日本語版も用意しておきました、どうぞ文末をご參照になってください
日文版:「さだめ川」在日文部分中
鍾馗嫁妹圖
「鬼」是什麼?這個不用多說了。「鬼」怎麼來的?蘇州話裡與「鬼」意思相近還有一個「赤佬」,來歷如何?兩者有何差別?
「可憐夜半虛前席,不問蒼生問鬼神」李商隱(?813~?858)借題發揮,用了漢文帝(前203~前157)與賈誼(前200~前168)在宣室中會面時,探討鬼神的歷史傳說,諷刺統治者所謂的「求賢」只是做做樣子,不去關心天下蒼生,卻在虛無縹緲的鬼神問題上浪費時間。
宣室是指未央宮中皇帝齋戒的側殿,原本就是「孤家寡人」在政事繁雜,精神不振之時用來與上蒼對話,調整身心的地方。所以,在此地與賈誼談論鬼神,無非是觸景生情或者就事論事,很是自然,賈誼也確實有才,腹笥充盈,談神論鬼,說得漢文帝不知不覺伸長了脖子,往對方跟前靠了過去……生死事大矣!
兩千多年前的那場關於「鬼神」的君臣夜談,後人無從知道他們談了些什麼。我猜想一定談到了關於人生最後歸宿的問題。天子雖富有天下,也知道不免一死。今日眼前的一切越是燦爛奢華,國泰民安,就越是讓皇帝眷戀現世,攥緊了權柄,而對於閉眼之後的世界則充滿恐懼或者不甘。深諳其心的謀臣找出一套「事死如事生」的理論,再輔以方士熬製長生不老的仙藥,神靈降下的祥瑞等魔術,讓皇帝努力說服自己把江山留給太子,自己再到另一個世界裡去做更大的帝王。
民間對於身後的【旅行指南】早就不知再版過N次了,比如【玉曆寶鈔】,【太上感應篇】之類。為了說明蘇州話裡的「鬼」,我又查看了許多資料,對於「鬼」的來歷做了些了解。
六道輪迴①中落入餓鬼道之中才能成為鬼。執著之心旺盛,拒絕輪迴投胎者也能成為鬼。其他就沒有做鬼的機會了,這和上天堂,入地獄相比無意中倒要難上許多。我們先來看看富有詩意的身後旅程的概略:當脫離了肉體的羈絆之後,你首先需要到管區土地那裡去登記,領取「冥府路引」亦即【陰間護照】,如果你有造化,在世時一直做好事,你可以從土地堂裡一扇充滿光芒的後門進去,直通神仙世界,這就叫「特事特辦」;如果你生時一直惡形惡狀,不修積德,那沒啥好說,天井裡有直通地獄的黑窟窿等著你跳,這就是「民憤極大」;餘下的凡夫俗子,芸芸眾生則拿好陰間護照,通過大堂後面的那扇過道門,踏上輪迴的道路,這就是「公事公辦」。
風景應該不錯!名稱也很雅致。出了「鬼門關」,走上「黃泉路」,路旁都是花葉不相逢的彼岸花,路盡頭有一座「奈何橋」,跨在緩緩西去的「忘川」之水上,過了奈何橋,登上「望鄉臺」,故國家鄉,親人子女就在眼前,讓你戀戀不捨地再眺望一回,「差不多了,差不多了,動起來!」在地府城管隊員的催促下,你走過「三生石」,跟著人流來到著名的「孟婆亭」旁,
孟婆頭也不抬,只管舀著沙鍋裡的「孟婆湯」,倒進八仙桌上的小碗裡,客客氣氣地說:「喝了,喝了吧,喝了好上路」,「再上哪裡去?」有不明白程序的,小心地向黑臉城管問到:「當然是去閻王殿咯,你自己掂量掂量,過去做的好事多還是壞事多」「然後呢」「然後?自然是輪迴。哈哈,當心有畜生道,餓鬼道哦,來過還問……」「二哥,別跟他們瞎扯,倒顯得孟婆婆的湯不靈似的」旁邊的白臉城管立馬打住了他的話頭。話音剛落,一片「嚶嚶」的啼哭之聲在黃泉路上響起,:「早幹嘛去了?走著吧」。
至於閻王殿那就複雜了,有十殿閻王,無數的刑具,刀山,火海,油鍋等等一刻不得閒,不看也罷。一般人還輪不上!現在,有錢有勢的多了,一條道走到黑的奸邪之徒層出,十殿閻王都在喊加班吃不消,所以,睜一隻眼閉一隻眼,胡亂打發投生的也多了,因此,科班正途的「鬼」倒少了許多。
再有,【旅行指南】上也寫了:如果需要改變輪迴的結果,請務必於入關之前,由家人進行布施,超度,行善等等操作云云,否則一入鬼道就要待滿千年,除非期間遇見地藏王菩薩巡視,安排握手見面,機緣巧合者或可得超度,否則就如同【一千年以後】歌詞裡寫的那樣:一千年以後,世界早已沒有我……
從【指南】裡描述的情況看來似乎與人間差異不大,無非陰暗一些,「人」流量也未必減少,並且不用戴口罩也無需隔離。
鬼的由來暫時解釋到此,蘇州話裡還有一個「赤佬」,意思和「鬼」似乎沒什麼差別。「小鬼」與「小赤佬」,「碰著個鬼」與「碰著個赤佬」也都通用,這個究竟是怎麼一回事呢?
由於「赤佬」並未在【旅行指南】裡出現,我另外查了一些歷史資料,發覺這個詞也頗有來歷。
「赤」者為紅色,又有「赤裸」的意思,「佬」是「傢伙」的意思,專指「成年男性」。如此限定之後首先,我們可以推測出「赤佬」的範圍小於「鬼」,並且不包含「女鬼」,另外,從「赤」的意義以及蘇州話同音詞「出」來考據,可以得到以下幾種出典的可能:
1.宋代對軍人的蔑稱。「赤佬」者,穿紅色軍服的傢伙之謂也。根據古書②的記載,這個大約是最早的「赤佬」由來。宋代軍隊自仁宗朝(1022~1063)開始統一成紅色軍服,軍人不遵軍紀,便是豺狼虎豹,成為老百姓的禍害。又因宋代重文輕武,鄙視軍人,因此才被以軍服的顏色取上綽號。逝者不可追,但是,我們小時候看的動畫片裡沒少出現「白狗子」,「黑狗子」,「黃狗子」的稱謂。「白」,「黑」者與「赤」相對,也就是與紅軍相敵對的武裝力量以及國統區的警察的綽號,「黃狗子」則是抗戰時期穿著黃色軍服的「皇協軍」的綽號,分別從政治立場以及軍服的顏色得名。可見這是欺壓百姓的「赤佬」
2.「路倒」「暴斃」。舊時窮苦之人,乞食為生的流浪漢,一旦遭受暴冷暴熱的天氣,被時疫流行感染就很容易一命嗚呼,即便有行善事的「善堂」之類市民互助設施來料理,也只能是草草了事,衣不蔽體蘆席一卷,棄之荒野了事。衣不蔽體謂之「赤」。對這樣死去的人,貶稱也是「赤佬」
3.蘇州話同音詞「赤」與「出」一致。「出」的意思為「抬走」「搬運」時,只限於「不動之物」。喝酒喝醉了被「出頭出腳」放到床上,那酒醉之人是不會動的,一旦他要動起來了,幫忙的人立刻就換了一個動詞「扶」或者「抬」,蘇州人對於「不動之物」非常敏感,「出」只用於「不動的」人或物,因此「出棺材」與「出垃圾」用的是同一個「出」字。由此,「赤佬」就等於「被抬出去的不動的人」而且是「男人」,如此意思就很明白了。
「鬼」是已死之人在輪迴之中的一種形態,「赤佬」則是禍害人的人,是對不幹人事的人以及非正常死亡者的蔑稱。落在日常生活中,兩者有同意的時候,也有不同側重點的強調。同意的時候都表示「死」人,但是「死人」成為「鬼」也是「出類拔萃」的壞的結果(按照輪迴說),是經過「冥府」多堂會審的判定,所以「鬼「以及」赤佬」都有貶低,厭惡的意思,一個重「積業」,一個重「狀態」。不同的時候:「鬼」是經過審判後定性,甚至定型的。
蘇州話裡有很多鬼的名稱:落水鬼,吊殺鬼,野鬼,大頭鬼,青胖大頭鬼……一聽就有個基本方向的想像:「哦,大約如此吧!」,並且陰陽之間無非是日夜交替,太陽換作月亮般隔著薄薄的一層界限,所以大家其實並不一定怕鬼,只是沒見著罷了!
不過,「赤佬」就不大一樣。首先,不一定就是「鬼」,帶著某種不確定性,不知道是怎麼個路數,是方還是圓?所以前面所舉的例子「碰著個鬼」無非是有所限定的「鬼」中的某一類,而「碰著個赤佬」就讓人有點惶恐,手足無措,程度上勝於「鬼」 :「格個房子裡出鬼格」(那個房子裡鬧鬼的)兇宅裡的「鬼」基本屬於執著型,戀戀不捨,放棄輪迴的專業「鬼」,足以讓人膽顫;「格個房子裡有赤佬格」(那個房子裡有赤佬的)則更讓人摸不著頭腦,究竟是大頭鬼還是吊殺鬼,還是其他什麼精怪?完全沒底。「赤佬」雖然不一定是「鬼」但讓人更加恐懼,萬一,是從「陰山背後」偷偷跑出來的呢?世上最讓人害怕的不是「鬼」而是人不人,鬼不鬼的「赤佬」。
還有一個不同的地方,將活生生的人可以貶低成介乎「鬼」與「人」之間時只有「赤佬」具有此功能:「日本鬼子」用蘇州話說就是:日本赤佬。這是抗戰時期對日軍的稱呼,是從這些活人的所作所為給出的稱呼。有時我們可以聽到一些老百姓在抱怨:「格排赤佬,阿弄得好啦?」(這幫傢伙,怎麼搞得好呢?)後面的內容可能是遭到城管強拆違建的,被交警處罰違章之類的情形,不去評判孰是孰非,就「赤佬」的使用而言,這就是來源1的持續。可見公家人需要注意在老百姓口中的自身形象,「赤佬」可是從北宋開始被一直罵到了今天。夫妻吵架,太太向老娘舅哭訴時:「娘舅啊,倷不曉得,俚亦不是人,俚真正是個赤佬……」(娘舅啊,你不知道,他又不是人,他真是個赤佬)「覅瞎說!不作興格尚講格」(別瞎說,可不能這樣亂講)娘舅連忙發話了。而此時,只有「赤佬」方能代表太太心裡的憤怒。
利用「赤佬」和「鬼」原先相同的那部分「死人」的意思,擴展範圍後都可以用在人身上,可好可懷。小弟兄之間開口閉口:「倷個赤佬」(你這個傢伙)如何如何,表示親密無間;家長生氣時:「倷個小赤佬,滾出去,勿許轉來!」,上海人更是:「小赤佬,小癟三」同時使用,以保持語言的鮮活度,並加強厭惡的語氣。
「小赤佬」,「小癟三」時常掛在嘴上,時間久了相貌就變化了。
後面兩個例句中的「赤佬」不能用「鬼」來替代。在表達相當的蔑視與憤怒時,「鬼」是達不到那種程度的。硬要替換的話只能用「死人」來表達,「倷個小死人」「小死人,小癟三」,那就直白了一些。
特別提一下,「見鬼」在蘇州話裡是「裝腔,大驚小怪」的意思,「見」讀成平聲。本來麼「見了鬼」總是大驚失色的,與國語裡的「見鬼」表示:莫名其妙,不合情理的意思並不相同。而國語的「見鬼」用蘇州話來講則是前面提到的「碰著個鬼」以及「碰著個赤佬」。
見鬼(碰著個鬼)偶爾一次是零分,碰著個赤佬則表示再三努力之下還是零分或者連續幾次零分
「獨(蠹)鬼」是女朋友對男朋友的親暱,「酒鬼」「菸鬼」是太太對不聽話老公的抱怨,「餓殺鬼」「泥活鬼」是家長對淘氣孩子的愛憐,這些時候,「鬼」就成為了帶著一些不盡人意的「人」的指代了。「窮鬼」,「縮鬼」(吝嗇鬼),「黴搭鬼」(倒黴鬼),「替死鬼」,「瘦骨鬼」(瘦子),「逗鬼」(愛炫耀的傢伙)等等一系列「鬼」詞其實都在說人,用著「鬼」帶給人的語感,起諷刺的作用,但不一定都是貶義的,有的時候當著聽話人說自己的孩子:「格個小鬼,我亦(há)勿曉得俚那哼會英語考第一名格,叫啥朆看見俚溫書介」(這小傢伙,我也不知道他英語怎麼考了第一名的,就沒見他複習)這是一種自謙的驕傲。此時用「小赤佬」似乎也可以替代,但給人的感覺則是說話人「粗俗」了一些,又有一種日語裡使用過謙的敬語反而讓人不舒服的感覺,這就是蘇州人的語感。
總體來看:「赤佬」的使用範圍狹窄,除了幾個固定使用的例子外,不如「鬼」豐富,但貶義的程度高。
有人要問了,「赤佬」沒有女的嗎?「鬼」可是分男女的。我很少聽到女子之間用這個詞互相表示親密無間的稱呼,或許,勉強用一用,表達激動的情緒時也可以吧!現在語言進化得快,中文裡面幾乎不分男女。蘇州話也是一樣,以前說不出口的,現在不戴口罩也都在說,百無禁忌了。
硬要說「女赤佬」的話,我建議用「赤姥」一詞區分,如果看過【倩女幽魂】,就知道「樹精」是個老妖婆,平日是被「聶小倩」稱為「姥姥」的,好比「他」和「她」一樣,這樣就公平了。
①六道輪迴:佛教用語,指眾生在:天道,阿修羅道,人道,畜生道,餓鬼道,地獄道之間不斷循環往復,生生死死。
②《江鄰幾雜誌》宋·江休復字鄰幾(1005—1060)撰。有以下記載:都下鄙俗,目軍人為赤老,莫原其意,緣尺籍得此名邪?狄青自延安入樞府,西府迓之,累日不至,問一路人,不知乃狄子也。既雲未至,因謾罵曰:「迎一赤老,累日不來。」士人因呼為赤老樞。狄青(1008年-1057年)北宋名將,即便做到樞密使(軍委主席)還是被歐陽修彈劾,旋即外放,鬱鬱而終。
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「鬼」って何?それは言わなくても分かるだろう。「鬼」はどんな來歴だろうか?蘇州弁中の「鬼」ともう一つ意味の近い「赤老」①という言葉があり、「鬼」とどう違うか?またその來歴は?
「可哀そうに夜半になって前へ身を寄せ、蒼生を問わずに鬼神を問う」②李商隠(?813~?858)は當てこすって、漢の文帝(前203~前157)が賈誼(前200~前168)と「宣室」で面會する時、鬼神を巡って検討した歴史伝説を借りて、統治者が所謂「賢人」を求めることがあくまで見せかけに過ぎない、天下蒼生のことに関心をせず、虛しい鬼神問題において時間の無駄遣いをしているのを諷刺していた。
「宣室」は「未央宮」中の皇帝が斎戒をする脇殿であり、そもそも「孤家寡人」③が政事によって煩わしさを感じ、精神が落ち込んでいる際に上天と話し合って、気を晴らす場となっている。だから、ここで賈誼と鬼神の談話をしたのはその場での物の哀れの情緒によるかそれともその場に即して論じるかのどちらかになって、自然なことだった。賈誼も確かに才能を持っている、知識を十分備えているから、鬼神の話しをして、文帝に気づかないうちに首を伸ばさせ、彼のほうに寄り添わせていったのだ……生死は大事だからな!
二千年餘り前に起こったその鬼神についての君臣の夜談の內容は後人たちに知られていなかった。推測として私はきっと人生の最後の帰著の問題に觸れたと思う。天子が天下を持っているほど力があるにしても死を逃れられないのが明白に分かっている。目の前のすべてが燦燦となって豪華であり、國が安定し、庶民の生活が豊かになっているほど、皇帝に現世に対しての未練を深まらせて、更に権力をしっかりと握らせてしまう同時に目を瞑った後の世界に怖気を持たせて、悔しい気持ちいっぱい抱えさせている。その心理をはっきりと知っている臣下は「死を生と同様に扱う」理論を持ち出して、その上、方士たちが長壽不老の薬を練り上げたり、神様がめでたい兆しの物を賜ったりする手品を通じて、皇帝が自分に言い聞かせ、江山を皇子に殘して、自分が他界で更に偉い帝王を続けるのだ。
民間では生後の「道中案內」が何度再版されたかもはや數えきれないだろう、例えば「玉暦寶鈔」、「太上感応篇」などがある。蘇州弁中の「鬼」を説明するべく、私はまた沢山の資料を調べて、鬼の來歴について調査してきた。
六道輪廻④で餓鬼道に陥ってから鬼になれる、尚、執著心が旺盛で、輪廻を拒んだ者も鬼になれる。そのほかに鬼になれるチャンスはもうない、どうも天國に上がるや地獄に落ちるよりも難しく見える。では中々優雅な生後の旅の概略を見てみよう:肉體の絆を離脫してから、まずは管區の氏の神様の事務所へ登録しに行く、「冥界道中案內」つまり「冥土パスポート」を取得する、もしあなたが生時にいつも良いことばかりしてきたことに加えて、運もいいなら、氏神の事務所の一つ輝かしく光っている勝手口を通ると、外は仙人の世界だ;もし生時いつもへそ曲がりに悪事をしたり、善を積んだことがなければ、庭には地獄に直通している黒い穴があって、跳び込むのが餘儀なくされる;殘った凡人や一般人たちは冥土パスポートを持參した上、事務所の後ろの通路の門を潛り抜けて、輪廻の道に辿り著く。
さぞ景色が悪くないだろう!名前も雅やかなものだ。「鬼門関」を出て、「黃泉路」を歩み, 道の両側にずらりと花と葉っぱが會わない彼岸花が生えてある、行き辺りに出ると、「やむをえない」橋があり、ゆっくりと西へ流れていく「忘れ川」の水の上を跨いでいる、やむを得ない橋を渡って、「望郷臺」に上がり、故國故郷、肉親子女たちが目の前に現れ、未練深く最後に眺めることができる「いい加減にして、そろそろだ、動きだせ」と冥界の町管理人の促しを受けて、三世石を経過し、流れに挾まれて、有名な「孟婆亭」に來ている、
孟婆が作った物忘れのスープには孟婆の涙があると言われている
孟婆は相手もしないで、ひたすら土鍋から「孟婆スープ」⑤を掬いあげている:「さあ、飲んで、飲んで、飲んだ後道に上がりなさいよ」と優しく言っている:「ここからはまたどこへ行く?」と手順に迷った人が気を付けながら、黒い顔の町管理人に聞いている:「勿論、閻魔殿に行くぜ、計らってみて、今まで悪事が多いか善事が多いか」「そのあとは?」「あと?輪廻に決まっているじゃ、気を付けてね、畜生道、餓鬼道があるよ、知っているのに煩い、ははは」「二兄貴、そいつらと話さないで、孟婆のスープがかえって効かなくなるかに見えるね」隣の白い顔の町管理人が直ちにその話を遮った。話の聲が終わるや否や、周りから「しくしく」と泣き聲が上がってきている:「今更か、何もならないよ、とにかく行け」。
閻魔殿を言うと、それはますます複雑になり、まず十か所もあるし、數えきれない拷問の道具、刃の山、炎の海、沸騰した油の鼎などあって、一刻の暇もない、まあ、見なくてもいい。一般の人はそこまで行くなんかは稀なことだ!今、金を持って、力を有する人が多い、悪事をする道を貫く邪険なやつも続出しているため、十か所の閻魔様も殘業が多すぎて、たまらないと文句を言っているらしい、目を瞑って、闇雲に生まれ変わらせる例も増え続けている、したがって、
正真正銘の「鬼」が少なくなってきている。尚、案內書には:もし 輪廻の結果を替えようとすれば、どうか関に入る前に家族に布施や済度や善事を行うなど操作をしてもらう必要がある、でなければ、餓鬼道に陥ったらそれは千年が満了するまで輪廻できなくなる、例外としては地蔵王菩薩が外出して視察する際に、面會、握手を手配される機縁があれば、済度がもらえるかもしれない、それ以外は「一千年以後」の歌詞の通りに:千年以降の世界にはとっくに僕がいなくなった……になる。
「案內書」から見ればどうも世間と変わらぬ気がする、もっと暗いぐらいの差に過ぎない、「人」の流れも減っていないが、マスクも隔離もまずは不要になっているようだ。
鬼の由來はまずこの辺でほっておきたいが、蘇州弁にはもう一つ「赤老」があって意味は「鬼」とさほど違いがない。「小鬼」と「小赤老」、「鬼に出會った」と「赤老」に出會ったも通じ合う、それはいったい何のことか?それらの差異はまたどこにあるか?
「赤老」は「道中案內」に出ていない、やむを得ず他の資料を調べた、やはりこの言葉も由緒がある物だ。
「赤」は赤い、また裸の意味もある、「老」は「やつ」の意味、特に大人の男性のことを言う。そう限定されれば、まず「赤老」の範囲は「鬼」より狹いのが推定できる一方「女」の「鬼」が含まれていないのも分かる、尚、赤の意味から蘇州弁の同音字から推敲すれば、以下のいくつの可能性が見られるようになってきた:
1.宋の時代から発祥した軍人への卑しめた呼び方。「赤老」というのは赤い軍服を著ている奴の意味になる。古書の記載によれば、これは最も早い「赤老」の由來に當たると思う。宋の軍隊は仁宗時代(1022~1063)から赤い服に統一された、軍人が軍紀を守らなければすぐに獣に変わり、百姓に災いを與えてしまった、また宋の時代は文人で國を管理するから、軍人の地位が低かった、つい軍服の色によって渾名が付けられたのだ。去った者に追いつかず、我々幼い頃見たアニメの中には「白い犬」、「黒い犬」、「黃色犬」などの呼び方が少なくなかった。白、黒は「赤」と対立している、つまり「赤軍」と敵対していた武裝や國民黨が支配していた區域の警察に対して付けた綽名だ、黃色犬はまた抗日戦爭中「皇協軍」の渾名になる。それぞれ政治立場から軍服の色から名を得た物だ。それらは百姓を欺き、苛める「赤老」だ。
2.「行倒れ」、「暴死」。昔、貧しい人たち、乞食をして浮浪している人は一旦急冷急熱の天
気に遭われて、疫病などの感染で命が奪われたことが多い、後始末をしている「善事堂」など施設があっても、草々に処置するしかできなかった、碌に體を覆うほどの衣裝がないがままに簀子で包まれ、荒野にほったらかされてすむ。服が體を覆わずになっているのを「赤」と言うから、このように死去した人を貶して「赤老」と呼ぶ。
3.蘇州弁の中「赤」と「出」とは同音字だ。「出」の意味は「外に持ち出す」そして「動かない物」に限って使う。酒で酔った後、首や足を「出」されてベッドに置かれた場合は、酔った人が動かなかった、もし、酔った人が動き出したら、手伝う人の動作をすぐに「持ち上げる」や「助け起こす」になる。蘇州人は「動かない」物に対して非常に敏感なので、「出」はとにかく「動かない」物や人に使う、「死んだ人」を外に出すと『ゴミ「を外に出すとは同じ「出」という字を使う。そこから「赤老」というのは「外に出された動かない人」そして「男の人」になる、そうすれば、意味がよく分かる。
「鬼」というのはすでに死んでいる人間が輪廻に回されている狀態をいう、「赤老」は人間に害を及ぼすそして人間としてやらないことすらやってしまった人及び異常に死亡した人を貶す呼び方となる。日常生活においては両者が同じ意味を持つ時もあれば、強調しようとする所が異なった場合もある。同じ意味をする時は「死んでいる」人を意味する、しかし、「死んでいる」人が「鬼」になるのも「群を抜いた」結果だ(輪廻説からは)、それは冥土で數を重ねた審判を受けた結果だ、だから「鬼」及び「赤老」は貶す、嫌がる意味を持っている、前者は「業」に重點を置いて、後者は「狀態」に重點を置いている。異なっているのは「鬼」は審判を受けてから決まって、形まで決まっている物だ。
蘇州弁には鬼の呼び方が多い:水落鬼、首を括った鬼、野鬼、大きい頭の鬼、青くて頭が大きい鬼……などいろいろあり、聞くなり、決まった方向性に想像がつくものだ:「そうか、そんなものか」と思われるそして陰と陽はあくまで日夜の交代、太陽がお月さまに替えられて僅かな薄い隔たりしか持っていない感じに過ぎない、だから人間として鬼を恐れるわけとは限らず、會っていないだけだ。
ところが、「赤老」なら、ちょっと違う。まず、「鬼」とは限らない、とある不確定な部分がある、どんなものか分からない、方か円か?前にあげた例の」鬼に出會った」というのは限られた「鬼」中のどちらかに決まっているに対して「赤老に出會った」のは幾分恐れる感じがあって、訳が分からないからだ、程度を言うと、「鬼」に勝るのだ:その家には鬼があるぞといった場合、家にいる鬼なら執著タイプで、未練が多い物で輪廻を放棄した専業鬼になっている、十分に人々を恐ろしく感じさせる;その家に「赤老」がいるぞと言ったら、更に魂消ったものになり、一體どんなものか?大きい頭の鬼?首を括った鬼?また何のお化けか?全然心當たりがない。「赤老」は必ずしも「鬼』ではないが、餘計に恐ろしさを感じられる、萬が一そいつは「陰山」⑥から脫出してきた物になったら?世の中に一番怖い物は「鬼」ではない、人間でもない人間、鬼でもない鬼の「赤老」だ。
生きている生の人間を「鬼」と「人」の間に貶されてしまうことができるのは「赤老」しかない:日本鬼子⑦を蘇州弁ではつまり:日本「赤老」になる、それは生きている人間同士の作為から出た呼び方だ。時に我々は百姓たちが文句を言っているのを耳にしている:「あんな赤老なら、何ができるか?」裡の內容は無理やりに規制違反の建物が取り壊されたり、交通警察に処罰されたりすることがあるかもしれない、誰が正しいかを判斷したくない、「赤老」の使い方だけ言えば、すなわち由來1の持続だと言える、だから、公の関係者は百姓の輿論における自分の様子に十分注意を払うべきだと思う、「赤老」という罵り方は北宋時代からずっと今日に掛けて続いてきたからだ。夫婦喧嘩で、奧さんは年寄の舅(おじさん)に泣きながら訴えるときに:「知らないか、彼は人間じゃないよ、真に赤老なのよ」と言ったら、:「とんでもない、こんな話をやめなさい」と舅が慌てて止めておいた。ただ、その時は「赤老」だけで奧さんの心の憤りを反映することしかできなくなる。
「赤老」と「鬼」の本來の同じ 「死んでいる人間」の意味を使って、範囲を広げた後、人間に使うこともできる、意味は良し悪しと共にある。兄弟の間にいつも「お前の赤老、何々」とは隙間がない親しさを示している;親が怒って:この赤老目、出てけ、戻るな!、上海人は更に:この若赤老目、この田舎者と同時に使うことで、言葉の鮮度を保つ同時、嫌みも強める。
いつも「若赤老」や「若死人」を口癖にすれば、顔つきもおかしくなる
後者の二つの例の中の「赤老」は「鬼」で代替することができない。相當軽蔑及び憤怒の気持ちを表す場合は「鬼」ではその程度にはいかないからだ。無理やり取り換えようとすれば「死人」しかできない「この死人目」「この若死人目、田舎者」となってしまい、直接しすぎた感覚がある。
特に細かい所に精いっぱい気づくなら、まさに「鬼」に會ったものだ
注意してほしいのは國語中の「鬼を見る」(見鬼:訳が分からない、しまった)という意味は蘇州弁に「空騒ぎ、気取る、大げさに振舞う」意味になり、見る字のイントネーションは平らになる(一聲)。本來「鬼を見る」なら、怖気立つのは當たり前のことだが國語の訳が分からない、辻褄が會わない意味とは違っている。國語中の「鬼を見る」(見鬼)意味は前述した「鬼に出會った」や「赤老に出會った」に相當する
「愚かな鬼」というのは女のほうが戀人に対する甘えた呼び方になり、「酒の鬼」、「タバコの鬼」というのは話を聞いてくれない旦那さんに対する恨みを持つ奧さんの呼び方になる、「餓死鬼」や「泥鬼」は親が悪戱っ子に対する愛を込めた呼び方だ、そんな場合は「鬼」というのがあまり自分の思うままにいかぬ人間に対する呼び名になる。「貧困な鬼」、「ケチな鬼」、「ひどい目に遭う鬼」、「濡れ衣鬼」、「骨ばった鬼」、「見せびらかす鬼」などシリーズの「鬼」言葉は実際に人間のことを言っているのだ、「鬼」がもたらしてきたニュアンスで、揶揄う働きをしているものの、すべて貶すわけではない、ある時、聞き手に自分の子供のことをこう言う:「この若鬼目、私もどうやって英語テストで一位取ったのが分からないよ、知っているか、復習する動きなんか見たこともないよ」、それは謙虛的な自慢だと言える。この場合は「若赤老目」で入れ替えても行けるが、話者の言い方がやや粗いと感じられるし、日本語のようにあまり謙虛な敬語を使って、逆に変な感じになってしまう気持ちになる、それは蘇州人のニュアンスだ。
「赤老」が使える範囲が狹い、いくつか固定した形の場合以外、「鬼」ほど豊富多彩ではないが貶す意味の程度が「鬼」より深い。
聞く人がいるかもしれない:「赤老に女はいないか?鬼なら男女と分けているね。実は個人であまり女同士でこの言葉を使って互いに親しい呼び名として使うのを聞かなかったが、ひょっとするとたまに激動した情緒を表すために使ってもいいかも分からない。今、言葉が早く進化したので、中國語には男女を殆ど區分けされていない、蘇州弁も同じだ。今まで言い出せなかった言葉を今マスクしなくても平気に言えるようになり、なんの憚りもなくなってきた。
赤姥
どうしても「女赤老」を言うなら、「赤姥」という言葉で區分けするのを勧める、もし「倩女幽魂」という映畫を見たなら、分かるだろう、例の木の化け物が怪しげな老婆から変わった物で、普段主人公の「聶小倩」によって「姥姥」(お婆さん)と呼ばれているのだ、こうすれば「他」(彼)「她」(彼女)と同じようになり、公平になるだろう。
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① 赤老:正しい字は赤佬だ、當用漢字ではない、やむを得ず老にした。
② 原文:可憐夜半虛前席、不問蒼生問鬼神。唐の詩人李商隠の「賈生」と題した詩より。全詩は:宣室求賢訪逐臣、賈生才調更無倫。可憐夜半虛前席、不問蒼生問鬼神。
③ 孤家寡人:皇帝の自稱:孤、寡人を源にして、一人ぼっちの意味。
④ 六道輪廻:仏教用語、眾生が:天道、阿修羅道、人道、畜生道、餓鬼道、地獄道の六道に回されて、絶えずに生まれ変わること。
⑤ 孟婆スープ:伝説で冥土の中に孟婆という老婆がいて、輪廻誕生に行く途中の死んでいる人が彼女が作ったスープを飲んだら、前世のことをすべて忘れられる。
⑥ 陰山:冥土中の山のこと、蘇州弁では暗い所を言う場合も使う。暗いから、どんな物か判明できない、恐怖感を感じる。
⑦ 日本鬼子:Japs,抗日戦爭中の日本軍に対する軽蔑の呼び方。略稱:鬼子
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