映畫には常に「トレンド」が存在している。たとえばハリウッドでは一時期、往年の名作のリメイクが相次ぎ、現在は続編やフランチャイズ作品などのいわゆる「ユニバース化」が定番化している。それは日本の映畫界でも例外ではなく、テレビドラマの映畫化が主流だった「ゼロ年代」が終わり、あと2年ほどで幕を閉じようとしている「テン年代」の日本映畫界は「漫畫の実寫化」で作り上げられている。
電影市場中所謂「潮流」是一直存在的。比如說,好萊塢在某一時期,接連翻拍往年名作,而如今又熱衷於拍攝續篇或是壟斷經銷權,也就是所謂的「宇宙系列化」(拍攝共有世界觀的系列作品)。日本電影界也不例外,為影視劇拍攝電影續篇為主流的「二十一世紀第一個十年」已終結,再過兩年左右「二十一世紀第二個十年」也將落幕,而這十年日本電影的主流是「漫改電影」。
とはいえ「漫畫の実寫化」と一口で言っても「少年漫畫」と「少女漫畫」では、映畫作品として持ち合わせているニュアンスが異なる。前者は、迫力のアクションや原作の世界観を再現させるなど「非現実性」にあふれた圧倒的なビジュアルが売りの作品が多く、メガヒットコンテンツになるだけの強力なエンターテインメント性を備えたものが目立つ一方で「少女漫畫」は2005年に公開された『NANA』が興行収入40億円超え、2009年末と2010年春に公開された『のだめカンタービレ 最終楽章』の前後編が合わせて78.2億円という破格のヒットを記録したことを除けば「メガヒット」とは縁遠く、ヒットの基準が10億円前後といったところだろうか。それでも毎年10本前後の少女漫畫が実寫映畫化されており、今年はそのピークを迎えるほど量産に拍車がかかっている。
話雖如此,雖通稱為「漫改電影」,「少年漫畫」和「少女漫畫」以及電影作品的風格還是不同的。前者大多是展現迫力十足的搏鬥場景或再現原作獨特的世界觀,以「非現實的」畫面為賣點的作品,能獲得高票房的娛樂性極強,十分引人注目。而「少女漫畫」中,除了2005年上映的《NANA》票房超過40億日元,2009年末和2010年春上映的《交響情人夢 最終樂章》前後篇的總票房達到78.2億日元,創造了大熱記錄外。但除此之外,「少女漫畫」改編電影大多和高無緣,10億日元左右的票房已經算其中出彩的成績了。但即使如此,每年也有十部左右的少女漫畫被電影改編,今年更是一部接一部,迎來一個高峰。
なぜそこまで「少女漫畫映畫」は量産され続けるのか。そこには映畫がヒットすること以外にも多くの目標が存在し、それがきちんと達成されているからに他ならない。その最たるものは、いわずもがな「キャスティング」だ。主要ターゲットである10代·20代に刺さる人気俳優をキャスティングすることで劇場に足を運ばせることができ、さらに學園モノの特性を活かして主要キャラクターの友人役で売り出し前の若手俳優を出演させ、次につなげるという流れが完成されているのだ。
「少女漫畫電影」為什麼能量產到如此地步呢?這是因為除去電影票房之外還有很多目標存在,而這些目標只有「少女漫畫電影」能達成。在這之中最主要的,不言而喻,就是「選角」。這些作品以10代、20代年輕人為目標,只要有人氣演員參演他們就會去電影院看,再加上活用校園故事的特性,讓即將走紅的青年演員出演主要角色的朋友角色,完成少女漫改電影男主角的接力。
例を挙げれば、現在押しも押されぬ人気を博す菅田將暉も『高校デビュー』で溝端淳平演じる主人公の親友役を古川雄輝とともに演じていたり、実寫映畫化には欠かせない俳優となった山崎賢人も『今日、戀をはじめます』で松坂桃李の親友役。現在『honey』が公開されている平祐奈も『青空エール』と『きょうのキラ君』の出演からヒロイン級へと成長を遂げるなど、順調にステップアップを見せている。
舉個例子。現在人氣頂尖的菅田將暉在《高校新人》中也和古川雄輝一同飾演了溝端淳平飾演的主人公的朋友,漫改電影小王子山崎賢人也在《今天開始戀愛吧》中飾演了松坂桃李的朋友。主演了當下正上映的《honey》的平祐奈也是從《青空吶喊》和《今天的吉良同學》的出演慢慢成長為女主角的。
さらに遡れば、1995年に公開された內田有紀主演の『花より男子』。當時女優としてデビューしたばかりの內田有紀を主演に迎え、相手役には谷原章介に藤木直人。このころから「若手俳優を売り出すため」のジャンルとして、少女漫畫映畫が機能していたことは言うまでもない。
再往前追溯。1995年上映的由內田有紀主演的《花樣男子》。當時的內田有紀剛剛作為女演員出道就擔任主演,搭檔還是谷原章介和藤木直人。自那時起,少女漫改電影就不言而喻地擔任起「推出青年演員」的重職。
メリットはそれだけではない。少女漫畫の基本プロットは「學校」を舞臺にした「戀愛」ものが中心。それだけ現実的なロケーションで作り出すことができ、製作のコストパフォーマンスも悪くない。おかげで幅広いターゲットを視野に入れなくとも、一定のターゲット層に刺さるものが出來上がれば、口コミによってヒットへ繋がる可能性も秘められているわけだ。
好處不僅只有這些。少女漫畫的基本情節是以「學校」為舞臺的「戀愛」故事。只要這樣就能很容易地創造出現實感十足的場景,製作性價比高。這樣即使目標人群範圍小,但只要能戳中特定目標群的心,口口相傳也有可能創造大熱奇蹟。
ジャニーズをはじめとした若手人気俳優を「王子様」に、そしてファッションモデルとして活躍するティーンの憧れの的である女優を「ヒロイン」に據えながらも、彼らがスクリーンの中で生きているのは「學校」という身近な世界。描かれている物語がある種の「理想」だとわかっていながらも、実現可能性がゼロではないという期待と親近感を持たずにはいられなくなるのだ。それは3D映畫以上に「映畫の中に入り込む」という楽しさを味わえるのではないだろうか。
起用以傑尼斯為首的年輕演員飾演「王子角色」,然後由在時尚雜誌中深受年輕人憧憬的模特演員擔任「女主角」,而他們在熒幕中的生活背景又是大家再熟悉不過的「學校」。這樣,即使大家心知這個故事在某種意義上是「理想」,但也會讓人覺得可能性並不是為零。這樣可以說比3D電影更能讓人感同身受。
現在のブームの火付け役となったのは前述した『のだめカンタービレ』と定義してもいいだろう。奇しくも、それまでの主流だったテレビドラマの実寫化から少女漫畫映畫の橋渡しを同作が擔ったということだ。それからというもの、『君に屆け』や『今日、戀をはじめます』『ストロボ·エッジ』など、まさにターゲット層に刺さる王道の學園ラブストーリーを中心に映畫化が進み、中にはティーン向けの少女漫畫ではない広義の少女漫畫(現在公開中の『坂道のアポロン』など)にも拡がっていったのだ。
引領當下少女漫畫改電影熱潮的可以說就是前面提到的《交響情人夢》。神奇的是,這部作品還擔當了從當時電影的主流,即從電視劇衍生到電影版過渡到現在少女漫改電影的橋梁。自那時起,《好想告訴你》、《今天開始戀愛吧》、《閃爍的愛情》等等以固定群體為目標的王道校園愛情故事不斷拍攝成電影,而改編的原作從狹隘定義的面向青少年的少女漫畫,逐漸延伸到了更廣義的少女漫畫(如正在上映的《坂道上的阿波羅》)。
そんな中で、ここ最近の少女漫畫映畫の特色として注目したい點は、近年連載が開始された作品の映畫化以上に、往年の名作漫畫の映畫化が急増していることだ。90年代に大ブームを巻き起こし、何度も映像化されてきた『イタズラなKiss』がシリーズとして映畫化されたり、昨年公開された『ピーチガール』や『先生!好きになってもいいですか?』。そして、極め付けは少女漫畫ブームの礎を築いた『りぼん』の看板作品『ママレード·ボーイ』が満を持して4月27日から公開される。
在這之中,作為時下少女漫改電影的一大特色需要大家注意的是,比起近些年開始連載的作品的電影化,往年名作的電影化數量激增。90年代大火,幾次被翻拍成影視劇電影的《惡作劇之吻》被拍成系列電影,去年上映的《蜜桃女孩》、《老師!我可以喜歡你嗎?》也是如此。而被稱為奠定了少女漫畫風潮基礎的《RIBON》的看板作品《橘子醬男孩》也將在今年4月27日公映。
80年代や90年代と現在で物語の登場人物たちと同世代を取り巻く環境は、スマートフォンの発達などによって大きく変化している。それでも主幹となるテーマ、つまり「戀愛」「友情」「將來」の悩みといった部分は変わらないだけに、いかにして現代に置き換えられるかという腳色のアイデア性が発揮される部分といえよう。
80年代90年代和現在故事中登場人物生活的環境,因為現代智慧型手機的發展有了很大的變化。而作為故事主幹的主題,也就是因「戀愛」、「友情」、「將來」而煩惱的部分是不會改變的,劇本中如何在以前的故事中融入現代生活場景是需要創意發揮作用的地方。
もっとも一見すると同じようなテーマの作品が、同じようなキャスティングで散見することに、日本映畫界の衰退を危懼する人も少なくはないだろう。しかし、裡を返してみれば前述のスターシステム同様、日本映畫の黃金期を支えた「プログラムピクチャー」が現代に蘇ったというポジティブな見方ができるのではないだろうか。
面對無數乍看主題相同,選角設定也相似的作品,也有不少人對日本電影的衰退感到擔憂。但是,反過來也能以更積極的想法去面對:支撐日本電影黃金期的企劃電影正在復甦。
「プログラムピクチャー」とは50年代から60年代にかけて、各映畫會社が量産していた大眾向けの娯楽作品であり、人気のある俳優がキャスティングされ、明朗なストーリーテリングによって多くの人気シリーズが生み出された。娯楽性の高さから、いわゆる批評家受けする作品ではなかったにしても、映畫史の一端を擔った作品群として、近年再評価されはじめている作品も少なくない。
「企劃電影」指的是在50年代到60年代期間,各電影公司批量生產面向大眾的娛樂作品,它們由高人氣演員擔任主角,由於明朗的故事線,產生了眾多經典系列電影。雖然由於娛樂性過高,並不是評論家心中所能接受的好作品,但作為佔據電影史半邊天的作品群,近年來重新得到好評的電影也不在少數。
當時と同様、少女漫畫映畫というジャンルの作品は、俳優だけでなく監督も複數本攜わっていくケースが多い。安定したストーリー展開で俳優の良さを引き出す三木孝浩、コメディー要素が加わると才能が爆発する英勉、豊富なキャリアで鍛え抜かれた技で安定した作風を貫く廣木隆一に、畫面作りへのこだわりが伺える新城毅彥など、同じような內容の作品だからこそ、それを作り出す監督たちの個性が十二分に浮き彫りにされていくのだ。
和當時一樣,不僅是演員,很多導演也參與了多部少女漫改電影這一類型的作品。有以穩定的故事展開引出演員最好一面的三木孝浩、加入喜劇要素爆發出非一般才能的英勉、擁有豐富經驗技巧成熟作品風格穩定的廣木隆一,講求畫面感的新城毅彥等等,正是因為作品內容大多相似,才能更深刻地體現出每位導演的作品個性。
もちろん映畫はオリジナリティーに富んだ立派な「物語」を構築するという側面と、「技術」の進歩を見せつけるという側面を持ち合わせている。しかしそれと同時に、作り出す監督たちの「作家性」によって映畫史が存続してきたことを忘れてはならない。少女漫畫映畫がキラキラと輝いているのは、將來の映畫界を見據えた希望がそこにあるからということなのだ。
當然,電影在構築具有原創性的豐滿「故事」的同時也有著能讓人感受到「技術」進步的一面。但與此同時我們也不能忘記,正是因為創作出作品的導演的「作家性」使得電影歷史得以延續下去。少女漫改電影之所以如此耀眼,正是因為其中蘊藏著電影界未來的希望。
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