昔の言葉と悪口

2021-02-26 慧澄子BAR


現在、各大學に落語研究會というものがあり、中學・高校の教科書にも江戸小咄がのっている。近頃落語の寄席へ若いお客が多くくるようになった。誠に喜ばしいことだ。ぼくは一般のお客から「落語はどういうところがお好きでおいでになりますか」とアンケートの投書をいただいた。そのなかに「昔の言葉が覚えられるから」というのが多くあった。
 われわれ商売人の若い咄家が聞いてもすでにわからなくなった言葉がある。土地の名前もわれわれはうっかり昔の町名をいって自動車の運ちゃんに聞きかえされる。
「妻戀坂」「湯島大根畑」「切り通し」。萬世橋から上野までが「御成街道」。「筋違すじかい」「講武所こうぶしょ」。現萬世橋が「眼鏡橋」。「御隠殿ごいんでん」「喰違くいちがい」「鉄砲洲」「お玉ヶ池」「新堀端」「大根河岸」「竹河岸」「白魚河岸」「灶へっつい河岸」。「ヤッチャ場」も「青果市場」と改名した。
 ついうっかり「二足三文だよ」といってしまう。これも下駄の鼻緒が二足分三文で買えた時代の言葉であるから、今は通用しないがついうっかり喋ってしまう。ためしに古い咄家が高座で使っている昔のことばを調べてみた。
「俺がいおうと思っていたがお株をとられてしまった」(先にやられて)
「いかなこっても」(何がなんでも)
「権助の話は裡がかえらねえ」(二度目にやることができない)
 権助とは何ですかと聞きかえされて、作男で臺所で働いている男だ。臺所とは何です、勝手、といってやっとわかった。
 昔の悪口には面白いのがずいぶんある。
 今は恐妻家、女天下というが、昔は「からすの昆布巻」(かかあまかれだ)
「ずいぶん歩いたがまだよほど遠方なのかね」
「なーに、臺屋のお缽だ」(じき底、すぐ底)
 吉原の料理屋からとる飯櫃めしびつは上げ底になっていた。いちいち説明をつけると長くなるが、現代人にはぴったりこない。
「怠け者の節句働き」
 五節句といって、一年に節句と名のついた休日が五つあった。一月、三月、五月、七月、九月である。三月三日の上巳じょうみと五月五日の端午たんごは誰でも知っているが、現在休日は五月五日の子供の日だけになった。
 相撲も四股名しこなのつくまでは苗字だの入門した月日で呼びだされる。行司が、
「片や三月二日、こなた五月の四日、互いに見合ってセックマイセックマイ」
 昔、この五節句に仕事をしているような者は、不斷は「引窓の紐」(くすぶってブラブラしている)といった。現在では引窓という物がなくなった。
 都內を歩き廻って見ても鯉幟のぼりなぞ少なくなった。我々子供時分は三間、五間という長さの鯉幟りと吹き流しを自慢で屋根へ上げた。真鯉という黒い鯉の下へ緋鯉を追掛け鯉として必ず上げた。

江戸っ子は五月さつきの鯉の吹き流し
     口先ばかりで腹わたはなし


 実にうまい表現だ。
 少し意気ごんで喋ると、
「五月の空じゃあるめえし、そう大きな聲をだすない」
 なぞといわれる。
「竹屋の火事みたいにポンポンいうない」
 昔は子供に大きな夢を持たせるというので、正月の凧上げ、五月の鯉幟りと大空を見せたものだという。
「今夜ひと晩泊めてくれねえか」
「駄目だよ、家は狹いし、蒲団が一枚しかねえんだ」
「いいよ柏餅で寢るよ」

まろび寢のわれは蒲団に柏餅
     かわいというてさすりてもなし


「北國の雷としよう」(きたなりゴロゴロ)
「百で買った馬みたいにどこでもゴロゴロ寢るなよ」
 百というと一銭だからおそらく玩具の馬のことだろう。
「蒲団が短いから足だけでるよ」
「蒲団が短いのじゃねえ、お前が半鐘泥棒だからだ」
 明治時代まではどこの町內にも火の見櫓やぐらというほどでなくとも、高い梯子がかかった火事を知らせる半鐘があったもので、背丈の高い人を「半鐘泥棒」とも「京間」ともいったものだ。
 江戸時代から東京は六尺を一間としてあるが、京都だけは六尺三寸から六尺五寸を一間としてあって、俗にまのびのしたことを「寸のび」とも「京間」ともいった。
「鰻の寢床じゃあるめえし、そんな細長い寢床はない」
 入口が狹く奧行きの深いことをいう。
 子供時分、本所、深川あたりでは蛙が鳴いたものだ。遊んでいて夕方になると、
「あばよ、しばよ、金杉よ」
「蛙が鳴くからカエロ」
 なんといって友達と別れた。
 子供の遊びも今とは違う。今のお好み焼きは昔子供の「文字焼」。これも「モンジヤキ」といって、冬の子供の社交場で、店先へ友達が、
「おくれ」
 と入ってくると、なかにいる子供が、
「おくれ(暮)が済んだらお正月」
 といってからかった。
「お庭の簾すだれ」で(よしにしましょう)となる。
 食物の灑落だけを並べて見ると、
「甘酒屋の荷物」で、片方だけ熱い。片思いの戀
「宵越しの天ぷら」揚げっぱなし
「そば屋の湯桶ゆとう」で、橫から口をだすな
「お角力すもうの煎餅せんべい」お手上がりだ
「夏の牡丹餅」ござって(腐って)いる
「金魚のおかず」で、煮ても焼いても食えない
「しゃぶりからしの金平糖」角がとれて丸い
「鰯いわし煮た鍋」どうもあの二人はくさい仲だ
「木挽の弁當」きにかかる
「やかんの蛸」手も足もでない
「蛸の天ぷら」あげ足をとるな
「おでん屋のはんぺん」そんなにふくれるな
「南部の鮭」で、鼻曲りだね
「お歳暮の鮭」ぶら下がっている
「水瓶へ落ちた飯粒」白くブクブクふくれている
「あいつの話は白犬の尻尾だ」おもしろいよ
「落語を聞いても伊勢屋のおつけ」で実が入らない
「あいつときたら煮過ぎたうどんだ」箸にも棒にもかからない
「いざりのお尻だ」すれきっている
「蟬の小便」ずうずうしい
「いくら塗っても午蒡の白和えだ」白く塗っても地が黒い
「空店の恵比壽様」一人でニコニコしている
「雨の夜の火事」ポーッとしている
「春の夕暮」くれそうでくれない
「秋の夕暮」くれぬうちからほしがある
「あひるの卵」で、やりっぱなしでかえさない
「新しい煙管きせる」つまらねえなあ
「いかけ屋の天秤」ですぎている
「石垣の蟹」穴を探す。これは競輪競馬にも使えそうだ
「忙しいせり呉服」大層背負ってるねえ
「牛と狐」こんなところへはモウコンモウコン
「牛のよだれ」だらだら長く続く
「行徳の爼まないた、浦安の爼」馬鹿ですれてる。これは夏目漱石の警句
「柄の取れた肥柄杓こえひしゃく」手のつけてがない
「おくや・け・こ」まぬけにふぬけ
「角兵衛の太鼓」萬事胸にある
「葛西かさいの火事」くそやけ、やけくそだ
「火事場の纏まとい」振られ通し、振られながら熱くなる
「鍛冶屋の向槌」トンチンカンで相槌を打つ
「かけた硯すずり」することができない
「経師屋」はりにきている
「九州の入口だ」もじもじしている
「下駄屋の煤払すすはらい」はがでてる
「小娘紙袋」じき破れる
「コロップ抜き」ひねくれてる
「乞食の蝨しらみ」口で殺す
「五月の桜」葉ばかりさまだ
「山桜だよ」はなよりはが先へ出ている
「材木屋の泥棒」きどってる
「桜に鶯」きが違う
「七月の槍」ぼんやりするな
「上手な易者」當てられどうし
「天神様の脇差し」そっくりかえってる
「天狗の幹し物」はなへかける
「唐人のおしり」からっけつだ
「日ましの種」めがでねえ
「坊主の缽巻」(つるつるすべって)しまりがねえ
「谷中の不作」しょうがねえ(昔は臺東區谷中あたりが、生薑の本場であった)
「菜葉のこやし」掛けごえばかり(現在三河島が昔は摘菜の本場)
 まだあるが、迷子の鳳凰で、きりがない(鳳凰は桐にとまる)
 古きをたずねて新しきを知るというが、昔の言葉を少し直すと、現在使える灑落になる。また現在使っている言葉が何年か後には古典語となる。新しい悪口に、
「缶切りのない缶詰」話の底を割る
「ヤソ教の屋根」トンガラかるな
 お使いにきた人にお小使いを、
「地下鉄の切符だ」やらなくってよい
「ぼくの喋っていることは十時過ぎの電車だ」押しも押されもしない

底本:「日本の名隨筆52 話」作品社
   1987(昭和62)年2月25日第1刷発行
底本の親本:「浮世斷語」旺文社文庫、旺文社
   1981(昭和56)年7月
※底本は、物を數える際や地名などに用いる「ヶ」(區點番號5-86)を、大振りにつくっています。


青空文庫作成

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