日中資訊 原全日本華人書法家協會常務副主席、旅日著名書法家高小飛,當選為新一屆全日本華人書法家協會主席。
全日本華人書法家協會換屆會議,是1月26日下午在日本東京都港區的中國文化中心舉行。
高小飛
新任(第三任)全日本華人書法家協會主席高小飛,即興發表了就職演說。全文如下(中日文):
【中文】
今天我們值全日本華人書法家協會換屆之時,承蒙大家不棄選我為主席,在此多多的表示感謝。
遙想十六年前,劉洪友、晉鷗、高小飛、巍來、段冰幾人經多次聚會終成立「全日本華人書法家協會」,由劉洪友任第一任主席,當時在中國駐日本國大使館由王毅大使宣布協會成立,沈鵬先生為名譽主席,我等皆為副主席。
2014年換屆改選,晉鷗為第二任主席。這以後協會的活動一會兒由秘書長向大家作詳細介紹,在此我就不多說了。
光陰荏苒、歲月如梭,如今由我接晉鷗兄的主席一職,我確實是慚愧之餘又有許多難以表達的心情。
書法藝術是書齋裡生出來的,離不開筆墨紙硯,故文人雅士視筆墨為至寶,至今沒有改變。
在研墨、運筆之外無不在唐宋詩詞上先下一番功夫,即便書寫自詠詩詞,也多體現的是唐宋遺風。
東坡居士把王維的「詩中有畫、畫中有詩」看作最高境界以開文人書畫之先河,自此詩書畫為一家,是文人也是墨客,文人的浪漫情懷流傳到了今天,以書作示人成為文人的一大樂趣。
在宋以前版印書籍尚未盛行,大量的文獻均以手抄為主,至今可以看到唐代無名氏抄寫的各類經卷,書寫技能雖高,卻留不下名,其主要原因是書寫者非文人雅士,而青史留名的能書之士無一不是文人,自此可見古人志趣之一斑。
歷史發展到了今天,舞文不一定弄墨,可以用電腦將文字直接列印出來,但反過來說在書法領域弄墨根本離不開文,至少書寫的是文字,那怕只寫一個字也有其文化內涵,不管你情不情願,只要你拿起毛筆就已經步入到了傳統文化之中。
為了打造和諧社會,我們書法界的同人必須以身作則,不僅把自己的書法水平更上一層,同時影響或帶動更多的人們去愛好書法,通過書法來反饋出那些被人們忘卻了的傳統文化。
在中日兩國文化交流已十分繁榮的今天,呼籲社會各界進一步重視書法藝術的普及,使文墨之風再次佔據人們的心田。
【日文】
本日は、全日本華人書法家協會の事業年度が切り換わる時期に際しまして、皆様が私をお見捨てなく主席に選出してくださいましたこと、ここに、多大なる感謝の意を申し上げます。
はるか16年前のことに思いを馳せますと、劉洪友、晉鷗、巍來、段氷の先生、そしてわたくし高小飛は、幾度も會合を重ね、終には「全日本華人書法協會」を設立いたしました。初代主席には、劉洪友先生が就任し、當時、駐日中國大使を務められていた王毅大使が協會設立を宣言してくださり、名譽主席に沈鵬先生を迎え、私たちはみな副主席に就任いたしました。
それ以降の協會の活動につきましては、このあと秘書長が皆様に詳しく紹介いたしますので、ここでは割愛させていただきます。
光陰矢如し、月日が経つのは速く、本日、私が晉鷗先生の主席の任を引き継ぎ、お恥ずかしい限りではございますが,一方で、言葉に盡せない、様々な思いに満たされております。
書法芸術は、書斎の中から生まれたもので、筆墨硯紙(ひつぼくけんし)とは切り離すことはできず、文人や風雅を愛する人々は、筆墨を至寶とみなし、それは今に至るまで変わることはありません。
「在研墨、運筆之外無不在唐宋詩詞上先下一番功夫,也多體現的是唐宋遺風」(この部分、よくわかりません)墨を磨る、筆を運ぶことのほかには、唐、宋時代の詩詞にまず多くの時間と精力を注ぎこみました。仮に文字を書き、自ら詩句を詠ずるとなると,やはり體現されるものの多くは、唐、宋の時代の風格です。
主な意味:たとえ(筆で)自詠詩を書いても、その(詩と文字の)風格は唐宋時代の遺風を目指さなではならない。蘇東坡居士は、王維の「詩中に畫あり、畫中に詩あり」を最も高い境地とみなして、文人書畫の先駆けとし。
ここから詩と書と畫を一つのものとし,文人であり、また墨客でもあり,文人の浪漫や心情は今日まで語り伝えられ,書作を人に示すことは文人の一つの大きな喜びとなっています(?)。
宋の時代以前は、書籍を版で印刷することはまだ盛んではなく,多くの文獻は手で書き寫すことが中心でした。現在、唐の時代の無名の人々が書き寫した様々な経典や書物を目にすることができますが,彼らは文字を書く技量は極めて高いものの,名前を殘していません。
その主な理由は、字を書く人々が文人や風雅の士ではなかったことです。さらに、史書に名を留めている能書家には、文人でない人はいません。
文字を書くには必ずしも墨を用いる必要はなく,コンピュータで文字を直接印刷することができます。逆に言えば、書法の分野では墨を扱うことは文字と切り離すことができず,少なくとも書くものは「文字」であり。
たとえ一文字を書くだけでもそこには文化のエッセンスが內に含まれており,自ら望むと望まざるに関わらず、人が筆を取りさえすれば,伝統文化の中へとその人は足を踏み入れることになります。
調和の取れた社會を築くために,わたくしたち書法界の同人たちは、身をもって範を示し、自身の書法の境地を一段と高めるだけでなく,より多くの方々が書法を愛するように影響を與え、或いは導き,書法を通じて、忘れ去られた古來の伝統文化を人々に取り戻すようにしなければなりません。
中日両國の文化交流がすでに十分な繁栄を見せている今日,社會の各界が書法芸術の普及に更に重きを置かれ,文人墨客の気風が人々の心に広くいきわたりますよう、呼びかけてまいりたいと思います。