2017年5月14日 日曜日 母の日
新聞しんぶんに掲載けいさいされていた手紙てがみだ。
「私わたしの子供こどもは、胎內たいないで頭蓋骨ずがいこつが早期そうきに癒著ゆちゃくしたために不治ふちの病やまいにかかったまま生うまれました。私わたしは子供こどもを神様かみさまのように崇あがめ、限かぎりなく愛あいしました。
母ははと私わたしは、このかわいそうなおちびちゃんを助たすけるために、あらゆることをしました。が、無駄むだでした。子供こどもは歩あるくことも話はなすこともできませんでした。
でも私わたしは若わかかったし、希望きぼうを捨すてませんでした。私わたしは晝ひるも夜よるも働はたらきました。ひたすら、かわいい娘むすめに営養えいよう食品しょくひんや薬くすりを買かってやるためでした。
そして娘むすめの小ちいさな痩やせた手てを私わたしの首くびに回まわしてやって、『お母ははさんのこと好すき?ちびちゃん』、と聞きくと、娘むすめは私わたしにしっかり抱だき付ついて微笑ほほえみ、小ちいさな手てで不器用ぶきように私わたしの顔かおをなでるのでした。
そんな時とき、私わたしは幸しあわせでした。どんなに辛つらいことがあっても、限かぎりなく幸しあわせだったのです。」
生うまれたばかりの赤あかんぼうや、寢ねたきりの老人ろうじん…
まったく何なにもできない無垢むくな存在そんざいが、非常ひじょうに深ふかい愛あいを目覚めざめさせてくれる。
ただ、愛あいされるだけの存在そんざいというものは、それだけでとても大切たいせつな存在そんざいだ。
それだけたくさん愛あいを與あたえなければ存在そんざいできない存在そんざいだからこそ、その分ぶんだけの大おおきな愛あいを引ひき出だしてしまう。
若わかい母親ははおやは「ちびちゃん」を愛あいすることで幸しあわせになり、「おちびちゃん」は愛あいされることで幸しあわせになっている。
愛あいされるだけしかできない存在そんざいの意味いみを、ここでしっかり胸むねに受うけ止とめて欲ほしい。
愛與被愛的真諦
報紙上曾刊載這樣一封信:
「我的女兒因為在胎內時顱骨提前閉合,所以她是帶著不治之症降生到這個世界的。我像崇敬神靈般,給予這個孩子無限的愛。
我和母親竭盡全力來挽救這個小生命,但卻徒勞無功。我的孩子既不會走路也不會說話。
但是我還年輕,絕不會放棄一絲希望!我日夜連軸工作,為我可愛的女兒買藥和營養品。
我把女兒那瘦弱的小手搭在我的脖子上,問她:『寶貝兒,你愛媽媽嗎?』這時,女兒突然用力抱緊了我,微笑著,小小的手掌笨拙地撫摸著我的臉頰。
那時的我,是幸福的。即使很累,但卻是無比幸福的。」
剛剛出生的嬰兒、和臥床不起的老人···
我們正因為面對著無法自理,卻無比純潔的他們,才喚醒了自己心底裡深深的愛。
但是,正因為如此,只能等待接受愛的人們,他們才是無比重要的。
正因為他們得不到足夠的愛就無法生存下去,才會使我們醞釀出那麼多的愛。
年輕的媽媽因深愛著自己的寶貝而幸福著,孩子因為被愛而幸福著。
希望我們都能用心去真正理解那些愛的真諦。
單詞卡
新聞(しんぶん)◎:<名> 報紙
掲載(けいさい)◎:<名/他サ> 刊登,刊載
崇める(あがめる)③:<他動> 崇敬,崇拜
働く(はたらく)◎:<自動> 工作,勞動;起作用;生效
<他動> 做(壞事等)
痩せる(やせる)◎:<自動> 瘦;貧瘠
不器用(ぶきよう)②:<名/形動> 不靈巧,不熟練
撫でる(なでる)②:<他動> 撫摸;梳理
無垢(むく)①:<名/形動> 單純,天真;純粹
引き出す(ひきだす)③:<他動> 發揮,調出;提取;抽出
受け止める(うけとめる)④◎:<他動> 認識,理解;接住