コニカミノルタ弁公系統(中國)有限公司
中田 裕司 董事長兼総経理
1989年関西學院大學経済學部卒業後、ミノルタ株式會社(當時)に入社。95年にミノルタ香港北京事務所の所長に就任し、中國市場の開拓に攜わる。2001年に日本へ帰任後、2004年から18年まで、香港、タイ、インド、歐州、の各現地法人と事務所のトップを歴任する。18年に再び日本へ帰任し、上席執行役、地域営業統括部長を歴任後、21年に現職へ就任し現在に至る。
コニカミノルタ株式會社は、1873年に創業したカメラ、寫真用フイルムを主力とするコニカと、1928年に創業したカメラ、複寫機を主力とするミノルタが2003年に経営統合したことにより誕生した。その後、07年にフォト・カメラ事業を終了し、現在はデジタルワークプレイス事業、プロフェッショナルプリント事業、ヘルスケア事業、インダストリー事業等のより専門性の高い領域で事業を展開している。グループ全體の従業員數は約4萬人、150カ國でセールス及びサービスを展開している日本を代表するグローバル企業だ。
コニカミノルタは、長年にわたりスポーツ支援を続けている。同社の陸上競技部は50年の歴史を有する名門チームであり、これまで2名のオリンピック選手を輩出している。2008年の北京オリンピックでは、松宮隆行選手が日本代表としてトラック5000m、10000mの2種目に出場を果たしている。
「長年海外で仕事をする中で、世界で活躍する選手たちの姿をみると、とても勵みになりました」と中田董事長兼総経理はいう。コニカミノルタは、長年にわたりスポーツ支援を続けている。同社の陸上競技部は50年の歴史を有する名門チームであり、これまで2名のオリンピック選手を輩出している。2008年の北京オリンピックでは、松宮隆行選手が日本代表としてトラック5000m、10000mの2種目に出場を果たしている。
中國法人であるコニカミノルタ弁公系統(中國)有限公司でも、スポーツ支援事業に取り組んでいる。
「當社は、技術で社會に貢獻することを目的としてきましたが、身體にハンディキャップを持つ人々の支援においても社會に貢獻できないものかと、以前から検討していました。そこに、中智公司と上海市障がい者スポーツ訓練センターが提攜して展開する「円夢計畫」(ドリームプロジェクト)の存在を知り、參加することを決めました」と中田董事長兼総経理は參加の経緯を語る。
2021年7月23日、疫病の影響で1年延期されていた東京オリンピックが無事に開幕し、世界中の多くの人々に感動を與えた。そして8月24日から開幕するパラリンピックに、コニカミノルタ弁公系統(中國)に所屬する王洋選手が車椅子レース競技の中國代表として出場する。
7月、王洋選手の東京パラリンピック出場の知らせを受け、中田董事長兼総経理と社員の代表ら一行は、東京パラリンピック開幕に先立ち、選手たちを激勵すべく出発前の選手たちが練習に勵んでいる奉賢體育センター運動場を訪れた。
同センターでは、選手たちの練習風景を見學した後に壯行會が催され、コニカミノルタグループを代表して中田董事長兼総経理が挨拶を行い、コニカミノルタ株式會社 山名昌衛 代表執行役社長兼CEO及び日本本社の同僚たちからの応援メッセージを紹介し、選手の皆さんへ心の籠った記念品を贈呈した。
障害者アスリートを支援する事の意義について、中田董事長兼総経理はこう話す。「私たちが彼らを支援しているのではなく、むしろ彼が私たちを支持してくれている。私たちが彼らを勵ましているのではなく、むしろ彼らに私たちが勵まされている。そのように感じています。彼らの頑張っている姿を見ると、社員たちも、よし頑張るぞ!という気持ちが沸いてくるのです。私たちが社會に貢獻しているのではなく、彼らが會社に貢獻してくれているのだと、そう心の底から感じています」中田董事長兼総経理は1989年にミノルタ株式會社(當時)に入社する。技術サービス部、海外営業部を経て、95年に中國事業立ち上げのため、同社香港法人の北京事務所へ駐在することになる。「當社の中國進出は、同業他社と比べ比較的に遅かったため、日系企業や大都市のお客様は既に他社と契約していました。そこで、地方都市から開拓する戦略を採り、製品カタログを持って全國を飛び回りました」
今年の7月、あれから20年ぶりに再び中國へ赴任することになった。「1995年に中國へ赴任し、先輩方や現地社員と一緒に一からコニカミノルタの立ち上げに奮闘していた當時、私はまだ20代の青年でした。2001年の帰任から20年の月日が経ち、今回は定年までの集大成として、30數年間の経験と知識をここで全て出し盡くし、新しいコニカミノルタを創りあげたいという思いで気持ちが高揚しています」と中田董事長兼総経理は語る。
中田董事長兼総経理は、上海へ赴任するため浦東空港へ到著後、指定ホテルでの隔離監察期間を過ごした。その時の様子を中田董事長兼総経理に尋ねた。「隔離期間中は、毎日テレビ會議と、Wechatで社員たちと交流していました。このことが、かえって事前にお互いを知る良い機會となり、実際に出勤した後の業務の円滑に役立ったように感じます。生活面では、秘書にWeChatPayの使い方を教えてもらい、自由にフードデリバリーを頼めるようになってからは、生活が楽しくなりました」これから中國へ赴任する駐在員に対して、少しでも隔離期間をストレスなく過ごすために、あらかじめ翻訳、WeChat、支付寶などのアプリを準備し、WeChatや支付寶に社員から幾らかお金を送金してもらうとフードデリバリー等の支払いに便利だと中田董事長兼総経理はアドバイスする。
昨年から続く疫病の働き方に対する影響について、「世界的に疫病の収束が見通せない狀況が続いていますが、コニカミノルタでは、疫病流行前から、『いいじかん設計』というコンセプトで、場所にとらわれない、紙にとらわれない働き方を研究し、リモートワークや電子ワークフローをお客様に提案しており、自分たちでも実踐していました」そのため働き方や業務に大きな混亂は生じなかったと中田董事長兼総経理は話す。
インタビューの最後に、今後の中國ビジネスの展望を中田董事長兼総経理に尋ねた。「25年前、中國のオフィスは白黒のイメージで、あまり良いオフィス環境とは言えませんでした。中國へ進出した當時、中國のオフィス環境をカラフルに、より良くすることを夢に中國人社員たちと一緒に奮闘していました。20年ぶりに再び中國へ赴任し、今度は中國のお客様が求めるものは何かを考え、様々な中國企業の開発パートナーと協力しながら、中國の特色あるソリューションを提供できる會社にすることを夢に奮闘してまいります」
中田董事長兼総経理は、中國事業の基礎を固めた後、2001年に日本へ帰任されました。その後、タイ、インド、歐州法人等のトップを歴任し、2021年に再び中國へ戻ってこられました。25年前に中國へ赴任した當時は、中田様は初めて海外駐在を経験する20代の青年であり、多くの感動や驚き、苦労がありました。あれから20年の月日が経ち、數多くの海外駐在経験を積まれ、一流の経営者として再び中國へ赴任することになった際、あの時のような感動はもう得られないだろうと思っていたそうです。しかし、中國の會社を訪れると、王暁燕人事部長をはじめとする、あの頃に入社した懐かしい社員たちが、當時と変わらぬ情熱を抱きながら働いていることに感動を覚えました。初心を忘れず大切に守りながら、コニカミノルタの新たな百年の発展の基礎を築くべく、中田董事長兼総経理は情熱を燃やしています。