日本『六朝史研究會』簡介
並歷年(1990-2016)發表題目一覽
1.六朝史研究會について
(1)研究會のあゆみ
今から二十數年前、谷川道雄先生の聖護院の私設研究室(のち別のところに移転、ご逝去に伴い閉鎖)で始まったこの研究會は、當初きちんとした名稱もなく、いつのころからから「エルの會(Lの會)」と呼ばれるようになりました。2003年4月より現在の「六朝史研究會」の名稱を使うようになりましたが、いまでも會員には「エルの會」の名前のほうがなじみ深いようです。
これまでの発表題目については、本ページ末尾の(「六朝史研究會(エルの會)のあゆみ年表」)をご覧下さい。
(2)名前と実態との関係
「六朝史研究會」という看板を掲げていますが、例會での発表內容は、漢代から宋代くらいまでと比較的幅広くなっています。要するに、中國史の比較的古い時代を研究している人たちが意見交換・情報交換のために集まっている研究會です。
「六朝史研究會」的懇請會居酒屋,二十多年未變(童嶺攝)
2.活動のあらまし
(1)例會
原則として、月に1回のペースで「例會」を開いています。メンバーがそのときどきの関心にしたがって研究発表を行います(原則として、1回の例會で1人が発表)。
(2)エクスカーション(遠足・見學)
春や秋の気候の良い時期を選んで、京都や滋賀で開かれている展覧會を見に行きます。
3.次回例會のご案內
次回例會の予定は、下記の通りです。
日時:2016年11月13日(日曜日)
會場:京都外國語大學
発表者:陳冰妍氏、野口優氏
※新たに參加を希望される方は、事前に辻までe-mail(tsuji.masahiro.4m@kyoto-u.ac.jp)にてご連絡下さい。
六朝史研究會部分成員與谷川道雄先生(京都聖護院谷川研究室、張學鋒老師提供)
六朝史研究會(エルの會)のあゆみ年表
わたしの手許に殘っていた記録に、研究會メンバーの福原啟郎氏、丹治昭司氏に提供していただいた資料を附け加えてまとめたものです。
まだまだ不明が多いので、情報提供をお願いします。
(太史政按:原表為表格形式,今略為文本格式。又,原表所列會場亦略,大概而言,自1990年5月25日至2000年7月1日,基本在聖護院谷川研究室;自2000年10月7日至2007年4月28日,基本在京都外國語大學;自2007年5月19日至今,基本在京都外國語大學和京都大學総合人間學部之間交替進行。以此,亦可略將六朝史研究會按會場分為三個階段。)
1990年
1990年5月25日
福原啟郎:『世説新語』の儉嗇篇と沙侈篇
1990年6月
金民壽:『晉書』における王導の評価について
1990年7月27日
宇田恆久:晉書江統伝―徙戎論―
1990年8月31日
辻正博:同時代人の北斉史
1990年9月28日
佐藤達郎:陶侃軍団の権力構造・試探
1990年10月26日
井上徳子:五涼政権と漢人豪族
1990年11月30日
板尾典隆:『顔氏家訓』勉學篇及び渉務篇にみられる南朝士大夫批判
1991年
1991年3月22日
金民壽:東晉中期の政治―桓溫から謝安まで―
1991年4月27日
福原啟郎:魯褒の『銭神論』
葭森健介:『銭神論』の構図
1991年5月24日
大野雅仁:隋文帝時代の仏教―名僧の招致と「眾」について―
1991年6月21日
佐藤達郎:陳群とその時代―曹魏文・明帝期政治史―
1991年7月26日
丹治昭司:陳朝初期の諸反亂について
1991年10月
井上徳子:魏・両晉時代の貨幣鋳造
1991年11月15日
上谷浩一:後漢時代の中郎將について
1991年12月21日
鄭炳俊:唐後半期における州の位置―特に州の直達・直下を中心として―
1992年
1992年1月
板尾典隆:侯景の反亂に対する討伐軍の動向
1992年2月14日
辻正博:唐代の家廟
1992年5月22日
福原啟郎:王沈「釋時論」の論理
1992年6月19日
呂春盛:両個宇文氏家族的悲劇―北周初政局的一側面―
1992年10月9日
佐藤達郎:福原啟郎氏「西晉の墓誌の意義」評
1992年10月30日
丹治昭司:陳朝成立と江南土豪層
1992年12月25日
井上徳子:『魏書』巻52にみえる河西人士の主君とのかかわり方について
1993年
1993年1月22日
鄭炳俊:唐朝の地方支配と観察使―藩鎮體制の理解のために―
1993年3月5日
佐藤達郎:九品官人法における「狀」の起源
1993年6月19日
鄭炳俊:書評:辻正博「唐代流刑考」
1993年7月17日
福原啟郎:書評:佐藤達郎「曹魏文・明帝期の政界と名族層の動向」(『東洋史研究』52-1、1993年)
1993年10月9日
佐藤達郎:福原啟郎氏「西晉の墓誌の意義」評
1993年12月17日
辻正博:谷川道雄氏の「府兵制國家論」をめぐって―「西魏二十四軍の成立と豪族社會」と「府兵制國家論」―
1994年
1994年1月22日
鄭炳俊:唐朝の地方支配と観察使―藩鎮體制の一考察―
1994年3月3日
佐藤達郎:漢代の選挙と三公・尚書―特に後漢を中心に―
1994年4月16日
中山義久:北魏孝文帝洛陽遷都に関する小考
1994年5月21日
樸永哲:中世中國における地獄と獄訟
1994年6月25日
井上徳子:五胡十六國時代における「忠」のかたち
1994年12月12日
谷川道雄:隋末の內亂と民眾
1995年
1995年2月17日
辻正博:法制史上の唐宋変革―労役刑の変遷を中心に―
1995年9月22日
中山義久:六鎮研究の整理と課題
1995年12月1日
井上徳子:吐谷渾に対する一視角
1996年
1996年6月22日
福原啟郎:貴族制研究の再検討
1996年8月2日
辻正博:笞・杖刑から見た隋唐律の淵源
1996年9月21日
葭森健介:福原啟郎著『西晉の武帝―司馬炎』をめぐって
1996年10月25日
張學鋒:北魏均田制下二十畝桑田の意義について
1996年11月22日
丹治昭司:南朝における皇子出鎮
1996年12月20日
谷川道雄:唐帝國の世界性
1997年
1997年1月24日
福原啟郎:西晉王朝の二學に関する研究ノート―とくに國子學創立の意義に関して―
1997年6月13日
小島浩之:唐代の尹について
1997年7月27日
中山義久:北魏時代の法典編纂―詔と格の分析を中心に―
1997年10月17日
張學鋒:戦國秦漢魏晉南北朝における畝制、畝収及び労働生産性
1998年
1998年5月29日
小島浩之:書評:谷川道雄著『増補隋唐帝國形成史論』(増補部分)
1998年6月26日
辻正博:英蔵敦煌文獻の現在
1998年7月20日
山口正晃:北周~隋代における総管について
1998年9月25日
小島浩之:唐代検勾官研究―録事參軍と縣主簿を中心にして―
1998年10月23日
佐藤達郎:九品官人法成立の再検討
1998年11月27日
丹治昭司:「元嘉の治」の一側面―文帝期の地方州鎮対策―
1999年
1999年1月22日
辻正博:流刑とは何か―唐律の流刑再考
1999年2月26日
福原啟郎:三國魏の明帝―「奢靡」の皇帝の実像―
1999年3月
丹治昭司:劉宋の文帝―元嘉の治の再検討―
1999年4月23日
上谷浩一:後漢時代中期の皇帝―和帝・殤帝・安帝―
1999年5月28日
張學鋒:東晉の哀帝―哀帝を通してみた東晉中期の政治と社會―
1999年6月25日
小島浩之:唐の玄宗―光と陰の皇帝―
1999年7月22日
李済滄:東晉の元帝
佐藤達郎:前漢の文帝-その虛像と実像にせまる-
1999年9月17日
山口正晃:北周の武帝
1999年10月16~17日
保科季子:漢代における「道術」の展開―経學・讖緯・術數―
丹治昭司:南朝の地方軍府―幼王出鎮と長史行事―
1999年11月26日
谷川道雄:中國の皇帝たち―漢から唐へ総論
1999年12月18日
辻正博:酷刑に見る文化の伝播
2000年
2000年1月21日
山口正晃:不詳
2000年2月25日
福原啟郎:鍾繇とその書―「宣示表」を中心に―
2000年4月29日
保科季子:張衡と李固―後漢中期政治思想と識緯學―
2000年5月27日
丸岡昌之:州・郡の常備兵と都督
2000年7月1日
谷川道雄:六朝時代の宗族―近世宗族との比較において―
2000年9月23日
小島浩之:現代中國語資料目録事情
2000年10月7日
辻正博:流刑に見える唐律の理念と現実
2000年11月23日
丹治昭司:南朝前半期の荊州―州鎮経営の実態―
2001年
2001年4月14日
松浦典弘:碑文に見える北朝末~唐初の仏教政策-道徳寺碑を中心に-
2001年6月2日
佐藤達郎:漢代の古官箴
2001年7月7日
深出優子:後漢獻帝初平年間の政治
2001年9月29日
保科季子:不詳
2001年10月13日
辻正博:宋代編管制度考
2001年11月24日
本江隆典:東晉兵戸制考―僑州郡県制度を基礎に據えて―
2001年12月15日
福原啟郎:西晉の墓誌の真偽、再考―新紹介の趙氾墓誌の検討を中心に―
2002年
2002年2月2日
角森公武:不詳
2002年3月23日
丹治昭司:南朝における宗室出鎮―東晉政権との関係を中心に―
2002年4月27日
山口正晃:晉代における都督の支配構造
2002年5月12日
ミホ・ミュージアム春期特別展「永青文庫―細川家の名寶」參観
2002年6月1日
佐藤達郎:胡広『漢官解詁』の編纂とその構想
2002年7月6日
松浦典弘:修定寺碑考-北朝末から初唐期における國家と仏教-
2002年9月21日
本江隆典:不詳
2002年11月24日
ミホ・ミュージアム「開館5周年記念展・古代バクトリア遺寶」參観
2002年12月7日
保科季子:不詳
2003年
2003年1月11日
福原啟郎:不詳
2003年2月8日
辻正博:資料環境から見た20世紀日本の唐代法制史研究―唐令復原研究を中心に―
2003年4月12日
丹治昭司:不詳
2003年5月31日
佐藤達郎:應劭「漢官儀」の編纂
2003年7月5日
松浦典弘:唐元和期における節度使と仏教-慧能への諡號の問題を中心に-
2003年7月26日
角森公武:不詳
2003年9月27日
山口正晃:曹魏・西晉時期の都督と將軍
2003年10月18~19日
高山・松本旅行(飛騨安國寺経蔵、松本・仁井田文庫參観)
2003年11月8日
金志玹:『黃帝內景経』の実修のコンテキスト:序の成立を巡って
2003年12月13日
蘇航:唐朝北部辺軍における漢將の地位について―開元後期から安史の亂前後まで―
2004年
2004年1月24日
福原啟郎:魏晉時代における九品中正制度批判の議論に関する再検討
2004年3月6日
辻正博:中國中世における園林裁判の意義
2004年4月10日
丹治昭司:祖逖の北伐―東晉政権との関係を中心に―
2004年5月8日
保科季子:受命の書―漢代古文學と讖緯思想―
2004年6月5日
ミホ・ミュージアム春期特別展「長安陶俑の精華-汗血馬と美女の系譜をたずねて」參観
2004年7月3日
佐藤達郎:漢代の古官箴・再論―論考篇に向けて
2004年7月31日
松浦典弘:唐後半期の河北における藩鎭勢力と仏教―幽州の事例から―
2004年10月9日
金志玹:4世紀東晉「上清真人」の啟示と教え:上清の世界と真の人間という肖像
2004年11月6日
辻正博:魏晉南北朝時代の聴訟と録囚
2004年12月18日
馬場理惠子:『四時月令詔條』についての一考察
2005年
2005年1月29日
山口正晃:魏晉南朝における將軍號―梁武帝の官制改革にいたる道程―
2005年3月5日
福原啟郎:貴族制の成立(形成)と本質(実質)に関する一考察―內藤湖南『支那中古の文化』の再検討を中心に―
2005年4月2日
森涼子:南北朝時代の貨幣流通について
2005年5月7日
佐川美術館「中國國家博物館所蔵隋唐の美術」展參観
2005年6月4日
丹治昭司:東晉後期政治と劉牢之軍団
2005年7月23日
保科季子:亡人から流民へ―漢代における流動人口の問題―
2005年9月3日
齊藤まや:唐代の史書編纂と劉知幾京都女子大學
2005年10月8日
森涼子:北魏俸祿制施行をめぐって
2005年10月29日
ミホ・ミュージアム秋季特別展「中國美の十字路展―大唐文明への道」參観
2005年11月23日
保科季子:中國古代の民眾支配の法理念―法制用語における「亡」の概念を中心に―
辻正博:漢代の徙遷刑について
2005年12月26日
松浦典弘:唐代尼寺尼僧関係史料研究序説
2006年
2006年2月18日
馬場理惠子:前漢における政治と月令
2006年4月1日
佐藤達郎:漢代の扁書―四時月令詔條の周辺―
2006年4月29日
金志玹:神聖な註解―『雲笈七籤』「經釋」に見る上清經典―
2006年6月3日
福原啟郎:新刊紹介:渡邉義浩著『三國政権の構造と「名士」』
2006年7月1日
山口正晃:監諸軍事考
2006年7月29日
上谷浩一:東晉政治史と車胤
2006年10月7日
森涼子:北魏俸祿制の確立とその運用について
2006年11月25日
徐衝:漢唐間の君臣関係と「臣某」形式に関する一試論
2007年
2007年1月13日
市村導人:宋代江南における水稲一毛作の到達點
2007年2月24日
丹治昭司:六朝隠逸考―正史隠逸伝を中心に―
2007年3月17日
辻正博:西晉における諸王の封建と出鎮
2007年4月28日
松浦典弘:墓誌から見た唐代の尼僧と家
2007年5月19日
佐藤達郎:魏晉時代の官箴とその周辺
2007年6月3日
ミホ・ミュージアム開館10周年記念特別展「中國・山東省の仏像-飛鳥仏の面影」參観
2007年6月30日
馬場理惠子:中國古代における儒教的統治イデオロギーの形成と天の理學
2007年7月15日
田中一輝:學校制度の形成と思想―後漢から唐まで―
2007年9月22日
福原啟郎:魏晉時代の文學集団―「三曹七子」との対比による「二十四友」の再検討
2007年10月8日
伊藤侑希:三國呉形成史序論―孫策期集団の人的構成とその志向―
2007年11月23日
保科季子:秦漢時代の名數と自佔
2007年12月8日
辻正博:唐律の流刑について―天聖「獄官令」の公開を承けて―
2008年
2008年1月26日
山口正晃:両晉交代期における都督制の変化
2008年3月22日
金成愛:遣唐使にまつわる統一新羅の役割について―8、9世紀を中心に―
2008年4月26日
田中一輝:西晉の皇太子について
2008年5月31日
溝口瑛:漢魏晉時代の御史臺制度の展開
2008年7月19日
丹治昭司:東晉の隠逸と南人
2008年10月4日
市村導人:宋代江南における在來水稲品種について
2008年11月1日
益岡隆行:後漢における隠逸の風潮とその背景
2008年12月13日
佐藤達郎:漢六朝期の地方的教令について
2009年
2009年1月31日
孫正軍:五等から三等へ―北魏道武帝の「制爵三等」の原因について
2009年2月21日
田中一輝:西晉の東宮と外戚楊氏
2009年3月21日
松浦典弘:唐代の僧尼と寺と俗家
2009年4月25日
福原啟郎:西晉の荀嶽墓誌の検討
2009年5月23日
森涼子:北斉食幹制度考
2009年6月27日
伊藤侑希:東晉・劉宋における朝貢國遣使例―東晉南朝の「世界」をめぐって
2009年7月18日
馬場理惠子:漢代の社―社祭を中心として―
2009年9月26日
溝口瑛:魏晉南北朝時代の官人処罰制度―身分の問題を中心に
2009年10月31日
保科季子:秦漢時代における名數の移転
益岡隆行:後漢の隠逸
2009年11月28日
蓑輪圭一郎:唐代前期の中央醫療體制と薬材の供給及び消費について
福原啟郎:高知科研調査旅行の參加記(南京~壽州)
2009年12月26日
光田雅男:南北朝間の聘使外交について―その「対等」意識を中心に―
2010年
2010年2月6日
塩沢裕仁:洛陽における漢魏晉北朝期遺跡の立地から
小方登:衛星寫真から見た漢魏・隋唐洛陽城
2010年3月6日
田禾:唐代暦日與《大唐陰陽書》―以暦注的成立為中心
2010年5月1日
金成愛:九世紀における新羅民間人の活動について
2010年5月22日
伊藤侑希:南朝禪譲革命における揚州刺史・揚州牧の意義
2010年6月12日
辻正博:隋唐時代の相州における司法と社會―「訴訟社會」成立の前提
2010年7月31日
赤羽奈津子:百済の対外政策について―南朝との関係を中心に―
2010年9月25日
山口正晃:「領兵置佐」小考
2010年10月16日
市村導人:江南における田畑輪換
2010年11月13日
石洋:秦漢における僱用労働者と僱用関係の変遷―私的僱用を中心とする
2010年12月11日
高橋亮介:後趙石虎の奉仏について
2011年
2011年1月29日
佐藤達郎:摯虞『決疑要注』をめぐって
2011年3月5日
北村一仁:明末清初における「叛」的風気の分布―『華夷風土記』及び『肇域志』を手掛かりとして
2011年4月30日
田中一輝:西晉恵帝期・懐帝期における皇帝と宗室諸王
2011年5月14日
松浦典弘:唐代の僧尼と寺院の関係―寺院への所屬の問題を中心に―
2011年6月25日
川見健人:孫呉政権の活動名分と正統性獲得に関する一考察
2011年7月23日
福原啟郎:曹魏・西晉の九品中正制度について大谷大學
2011年9月24日
岡田和一郎:後期北魏國家の形成―孝文帝期を中心に
2011年10月22日
福島將太:北魏における兵戸と六鎮の亂
2011年11月19日
金成愛:九世紀における在唐新羅人社會の相互連攜について―円仁『入唐求法巡禮行記』の記事を手がかりとして―
2011年12月23日
馬場理惠子:算術書のテキストの変遷と數的世界の構築―『九章算術』劉徽注にみえる「今有」の解釈をめぐって―
谷川道雄先生接受86周歲生日禮物,當場打開欣賞(2011年12月3日、張學鋒攝影)
2012年
2012年1月21日
安永知晃:前漢前期における后妃
2012年2月11日
伊藤侑希:東晉南朝における禪譲革命様式の確立とその影響―揚州牧就官の意義に著目して
2012年3月3日
林韻柔:南北朝時期的沙門從武之事
2012年4月14日
福原啟郎:書評:渡邉義浩著『西晉「儒教國家」と貴族制』
2012年5月12日
織田めぐみ:東晉の皇帝権力―修士論文に向けての覚書―
2012年6月16日
小野響:漢と前趙における斷絶面―両國建國時の比較検討から―
2012年7月21日
小坂恭子:南朝後期の寒門層のあり方をめぐって―『梁書』文學伝を中心に―
2012年9月29日
保科季子:張良と太公望―漢六朝期受命思想における「輔」―
2012年10月13日
安永知晃:皇后・皇太后像の形成―前漢を中心とした政治史的考察―
2012年11月10日
吉見晃:蜀漢における「勢力」と対立
織田めぐみ:昏君・孝武帝と亂相・司馬道子―南朝國家體制への転換―
2012年12月1日
赤羽奈津子:魏晉南北朝時代における東夷朝貢の意義について―粛慎朝貢を中心に―
2013年
2013年2月2日
小野響:漢から前趙へ
2013年3月9日
平松明日香:後漢における臨朝稱制のかたち
2013年4月6日
小野木聡:唐代の憲銜と「兼」の関係
2013年5月18日
千田豊:中國古代の東宮制度(仮題)
2013年6月15日
石洋:秦漢財産調査制度初探
2013年7月20日
市村導人:江南農業の作付方式とその展開
溝口瑛:魏晉南北朝における忠孝の先後について―唐長孺「魏晉南朝的君父先後論」に觸れて―
2013年9月21日
川見健人:孫呉政権後期政治史―孫休期永安年間の詔を中心に―
2013年10月5日
吉見晃:蜀漢における中央権力機構とその変遷
小野響:五胡十六國時代における「単於」について
2013年12月7日
赤羽奈津子:六世紀の日朝関係―任那問題を中心に―
2014年
2014年1月11日
織田めぐみ:両晉南朝期の「承制」―東晉武陵王遵の故事を中心に―
2014年2月8日
野口優:後漢辺境における軍事防衛體制の転換
2014年3月22日
尾関圭信:西晉の元勲―曹魏後期の司馬氏との関係を中心に―
2014年4月12日
安永知晃:前漢初期の郡國制―文帝即位時を中心に
2014年5月10日
辻正博:宋代法令研究の可能性―「天聖令」研究の新展開
2014年6月14日
保科季子:宮中蔵書閣と講論―石渠閣より釈奠禮へ
2014年7月12日
豬俁貴幸:唐代皇后位変容攷初探―皇后空位の観點から―
2014年9月6日
前田拡:東晉における州都督について―支配・被支配の関係について―
2014年10月11日
小野響:五胡天王號再考
2014年11月2日
千田豊:西晉における東宮官
大野晃嗣:ライデン大學所蔵『道光甲辰恩科順天鄕試硃巻』について
明代會試執事官に関する一考察―外簾四所を中心に―
2014年12月13日
市村導人:長江下流域における水田開発と風土病―宋代以降を中心として―
2015年
2015年1月10日
尾関圭信:西晉武帝の皇帝権力と侍臣について―泰始年間における侍中任愷の舊臣抑制とその挫折にみる―
陳冰妍:李徳裕と宦官の関係―武宗朝を中心に
2015年2月7日
陸帥:青斉土民と南朝社會―五、六世紀の摂山における石窟造像をめぐって
野口優:漢魏時代における詔書の作成と伝達
2015年3月7日
小野木聡:唐代の憲銜と地方監察
平松明日香:前漢代における皇太后政治介入の変遷と外戚輔政
2015年4月18日
赤羽奈津子:中國南朝の仏教銘文について
2015年5月9日
保科季子:漢代の古文尚書學―「古文尚書」とその「正典化」
豬俁貴幸:太廟配食・后妃廟の系譜―魏晉南北朝からみた立相―
2015年6月20日
川見健人:孫呉國山封禪に関する若干の問題
2015年7月18日
千田豊:西晉における太子二傅の拡大と皇帝権
2015年9月12日
前田拡:梁、陳における徵討體制と國家―北伐の事例を中心として―
陸帥:『宋書・州郡志』の道裡記述からみる州郡の位置―青・冀の二州を中心に―
2015年10月10日
豬俁貴幸:唐代皇位継承過程における后妃の動向
蔡智慧:唐前期における北方羈縻府州の設置と変化
2015年11月4日
小野響:五胡十六國時代における宗室
2015年12月12日
安賢善:墓誌銘よりみた百済・高句麗遺民の動向
2016年
2016年1月9日
市村導人:穀と米―宋代以降の脫穀・脫稃・精米に関する検討―
2016年2月13日
福原啟郎:魏晉時代の社の歴史的特質―當利裡社殘碑の検討を中心に―
織田めぐみ:「陽秋」―東晉期における皇后の避諱―
2016年3月12日
平松明日香:両漢養子攷
2016年4月9日
劉萃峰:漢魏晉時代における渡海繆氏一族について
山口正晃:將軍制から都督制へ―都督制に対する誤解―
2016年5月7日
童嶺:「五牛旗建」と「赤牛奮靷」―南匈奴漢趙時代の予言と讖緯をめぐって
岡田和一郎:「漢魏故事」考
2016年6月18日
小野響:前燕國家體制考
2016年7月30日
豬俁貴幸:唐代宦官研究の現在―近年の先行研究整理と今後の可能性―
梁辰雪:中國中世の葬禮における后土祭祀
氣賀澤保規:中國中世史論の復権をめぐって
2016年9月19日
安永知晃:漢代における諸侯王の地位―武帝期を中心として―
周皓夫:呉越國の経済開発について
2016年10月8日
松浦典弘:五臺山佛光寺の唐代の経幢
2016年11月13日
陳冰妍
野口優
2016年12月10日
赤羽奈津子
(感謝童嶺兄提供信息!)