リオ五輪では北京時間19日午前に女子バレー準決勝を行われ、中國が3対1でオランダを下し、グループ予選で負けを屈したオランダに見事一矢を報いた。これで12年ぶりに中國女子バレーチームはついに五輪決勝の舞臺に戻って來た。12年前のアテネ五輪では、中國は3対2でロシアに逆転勝利を収め、金メダルを獲得した。今回は、3対2で米國を下したセルビアと金メダルをかけて戦う。
「女子バレー先達者の精神」に敬意を示す最も良い方法は、まぎれもなくそれを継承していくことだ。リオ五輪では當初負けが続き、観客たちからブーイングの嵐を受けたが、それでもギリギリのところから何度も反撃し、その行動で「中國女子バレーの精神」を見せてくれた。
これまでずっと、中國では女子バレーはバスケットボール、バレーボール、サッカーの三大集団球技における「中國の顔」と見なされてきた。1980年代には、郎平や孫晉芳を代表とする優秀な選手が登場し、女子バレーにおいて中國を世界トップに引き上げた。そして、「あきらめずに一生懸命戦う」、「チームワーク」などの「女子バレーの精神」は代々引き継がれてきたと中國人の間で語り継がれてきた。
そして中國女子バレーのレジェンドと言われ、控えめな性格の郎平こそが、今回の五輪で「奇跡」を起こした「勝利のカギ」だ。
2013年4月、郎平は大きなリスクを抱えた女子バレーの代表監督を引き受けた。これは決して喜ばしい地位とは言えないことを知りつつも、郎平は堅い決意を持って臨んだ。
郎平の長所と言えばその「勇気」だ。世界チャンピオンになれるチームを作るため、敢然と選手の入れ替えを進めた。「代表監督を引き受けることを選んだ以上、目標を定め、失敗しても後悔しないように準備した」と語った郎平。
90後(90年代生まれ)だけでなく95後(1995年以降生まれ)の選手で大半を佔めるチームにおいて、郎平は時には厳しく、時にはやさしく、その対応の仕方も切り替える必要があった。
「年齢からして選手たちは私の娘のようなもの。そのため、私には母親の責任がある」と語る郎平はコートでも言葉だけでなく自ら見本を示して選手に指導。腰椎が悪く、歩くのすらつらそうな時があるものの、作戦を説明する時は自ら手本を見せる。練習後は、彼女自身も30分ほど物理療法を受けなければならないほどだ。
コートを一歩出ると、郎平の選手に対する思いやりはさらに細やかになり、若い選手たちには個性を出すよう勵まし、時には自腹を切って選手にプロテインを買ってあげたり、春節(舊正月)にはお年玉をあげる。その一方で自分に対しては、夜にお腹がすいても、インスタントラーメンを食べるだけだという。
若いチームにとって、一番怖いのがプレッシャーに負けることだ。そこで、郎平が選択したのは、できるだけそのプレッシャーを背負ってあげることだった。
前回のバレーボール世界選手権では、不公平なジャッジに泣かされ、主催國のイタリアに負けた。郎平はトイレに行ってこっそりと涙を流したという。負けてしまったというストレスを全て自分が背負い、若い選手たちには気を楽にしてほしいと考えたからだ。
選手らが「女神」と稱える郎平は、バレーリーグ開催中は最も多忙となる。各選手の狀態を確認するために3日間で3都市を飛び回ったこともある。
郎平は「一生懸命女子バレーの基礎を築き、最大限の努力を払って、中國女子バレーが正しい道を歩めるようにしたい」と語った。
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