作者の紹介
盛欣夫、字は甫之、號は魚公。堂號は盛莊、夢齋、惕廬、子魚堂。1949年1月(舊暦戊子年の大晦日)に浙江桐郷(崇徳)の盛家木橋に生まれた。書壇の名人であり権威であった鄒夢禪の弟子で、國家一級美術師である。中國書法家協會會員、當代作家聯誼會理事、中國武術協會會員、浙江當代中國畫研究院副院長、寧波財経學院(元大紅鷹學院)教授、寧波大學客員教授、海曙書畫院副院長、中國漁業協會漁文化分會理事、寧波漁文化促進會芸術センター副主任、桐郷市書法家協會名譽主席、景徳鎮魚畫陶磁研究院名譽院長、魚公書院院長。
數十年にわたり老荘をひたすらに読み、晉唐の文化を體得し、明末の文化を理解し、楚簡(竹簡)の研究に勤しみ、草書を専らし、自身を書畫で表現してきた。書、畫、文、陶磁器の絵をものすが、ただ書畫に心をこめ、筆と墨の人生を歩んできたが、楽しさはその中にあった。かつて、「中國書法百傑」の稱號を與えられ、第二回中國書法蘭亭賞・教育賞にノミネートされた。魚の陶磁器作品と魚類の絵畫がいずれも農業部、中國漁業協會の金賞、嘉興市人民政府芸術教育成果賞を受賞。2019年、書と絵六點(組)が浙江省博物館などに所蔵品として収められた。
主な著作には、『甫之識聯』、『魚譜』、『魚磁』、『國畫野菜•魚類技法叢譜』、『行草十八要旨』、『盛莊芸文』、『獨寫人生』、『書寫入心』、『魚公書畫集叢』等30餘種がある。
格言:自然に従えば、必ず自我有り。
寛格局 臻境界 許 巖
書法は國粋。第一のものであることはいうまでもありません。
近頃盛欣夫さんの新著『書畫釈疑』の電子稿を拝読し、そう言えるような気分になりました。
『書畫釈疑』をざっと読み、全てが語られている。目次を見ればわかるでしょう——概説、筆法、墨法、線、章法、意鏡の六章で、中國文字の起源、書法の生まれ、書法の書き始め、書法に関する様々な格言とルール、技法內容をシンプルに敘述し、軽く語りつつ、全部を含んでいます。速成書法辭書と言っても過言ではないでしょう。
『書畫釈疑』に合わせて百一條目で、深奧な言葉ではなく、全て分かりやすく書かれていました。文字がシンプルで流暢で、読みやすく、読み始めると手放せなくなります。心の底から流れ込んだものは全て読みやすく、著作の引用においても、先賢の疑問に於いても、見識見解、忠告勧告など、透明な玉のように誠実で、彼自分が「心情を込め、人の心を和ませる」といっているようです。
「概説」第6條でことの、「簡牘」(漢字を毛筆で竹に書くもの)を語っており、これは重要なところです。「簡牘」の大量出現によって史學家が抱えている問題が多く解決されました。中國の文字は最初に殷商時代の甲骨文が起源で、約紀元前1700年前後といいます。後に、周の時代の金文、石鼓文、秦朝の大篆小篆となり実っていきます。しかし、これらの文字は全て骨や器に刻まれたので、広げるのに不便な器に、古人は散々頭を抱えたでしょう。この時に、獣の毛で作った筆を竹の欠片に字を書く人が現れ、みんなはそれを真似し、律令、命令、告示、文章等は各諸侯、國と國の間で情報と思想を伝える主な運び手となりました。しかし、「簡牘」が真に人々に知られたのは約その二千年後、20世紀に考古が発見されるにつれ、多くの「簡牘」が現れ、特に楚牘は傲然とし、古き眩しい光を輝いています。過去にすぎた日々の中、魏晉以來の書法家を含め、みな「簡牘」は見たことがないでしょう。
本書の第7條で、「篆隷は連結なし、秦楚は連結あり」。第69條で、また「秦楚文字は既に隷書と行書の意があり、言わば書寫の始まりである」。楚牘にはっきりと寫した隷書は事実上、中國書法史篆書から隷書までの間の空白を埋めたといえます。
しかし、「簡牘」の出現は何と言っても毛筆のおかげでした。
毛筆は実に中國で最初の大発明であることを以前は重視されていませんでした。毛筆は最も中國の特徴のある書く道具として、今まで使われ続け、風雲を叱吒し、魅力は無限です。毛筆の書く道具としての特性を離すと、筆墨どころか、中國書法も語れないでしょう。先祖が毛筆を発明したことに感謝します。おかげで中國書法は今でも世界の芸術舞臺に立つ一輪の花となりました。中國の四大発明は早々に世の中で知られていますが、毛筆だけ名を広げていないのは何故だと思ったことがあります。後になってわかりました。簡単にいうと、難しいのです。毛筆で字を書くのが難しすぎます。筆法が必要で、中鋒、側筆、逆筆、抑揚をつけ、點畫が必要、橫縦撇捺、點勾挑折、筆墨が必要で、豪快な流れ、緩急ぎ自在に筆を操る技量が必要となり、西洋人にはわからないでしょう。
昔の書論者は大體書法家であり、実踐から積もった経験は貴重です。最も印象に殘ったのは南朝斉梁時代の畫家謝赫が書いた『古畫品録』で、これは我が國最も早い絵畫論著であり、3世紀から4世紀までの重要な畫家についての評価でした。中國絵畫の「六法」を提出し、後世の畫家、評論家、鑑賞家の原則になりました。「六法」その一、気韻生動、その二、骨法用筆、その三、応物象形、その四、隨類賦彩、その五、経営位置、その六、転移模寫、「六法」は謝赫が國畫への要求と批評基準です。書畫同源なので、「六法」の一、二、五、六は完全に書法の評論と審美標準に適用できると思います。二、五、六は方法•過程•技術であり、第一條の「気韻生動」は最も重要で、視覚審美の至高標準でありながら、書法が獨立の芸術種類にされた理由で、毛筆の韻とリズムを表現した最終的な審美形態でもあります。「気韻生動」の魅力は筆墨の変化と全體の書寫構成からきていて、或いは秀麗飄逸、或いは厚重剛健、或いは広くて深いなどといった芸術表現です。
嬉しい発見もありました。『書畫釈疑』は古代の書論と名家論書話を沢山引用しています。この本は諸説を貫き、暦年各類書論の総集編となり、昔の物を今に役立てる試しとでもあります。
少し昔話をします。書畫、文學名手は古來歴代に誕生しているが、欣夫は晩明時代の文化盛景だけを尊く、慕っています。2011年、寧波美術館で書畫展を開いたとき、「致意晩明」と名付けました。明確な方向があった以上、展覧は別様な風貌を現れたのも當然のこと、古気あり、溫度あり、潤いあり、壁と同じサイズのものもあり、気勢盛大でした。
『書畫釈疑』で語られている筆墨の範囲內容は極めて広いです。全て纏めた中、最も重要なのは人の思想からのー「書は先ず心からでき、その後芸術になり」という要です。
筆墨は現代まで発展してきて、欠けているのが卻って筆墨なのです!世風は浮つき、銭権勢利の為、また工夫しない為、古代書畫筆墨の光は今の時代にだいぶ弱めてき、とんでもない悲しいことです!全體のレベルから見ると、今の各書展は全て同じ顔で、千篇一律、低俗の技で書いていると言っても理不盡ではありません。
「線」の一章には、とても目が引かれます。長年の書法実踐の成果で、耳を突き破るほど強力とは言えないですが、「良言一言三冬暖」と言っても過言ではありません。當今書法家の作品は大きくなっていくほど線條は卻って弱ってきています。力と趣がなく、心が痛むような仕方なさだけ殘されていました。常に線條を空想に描き、仰ぎ、仰いだ後しっかりし、全力で追いかけ、実際の好線條を描き出すようしてたほうがいいでしょう。
『書畫釈疑』の「意境」の一章は、とても気に入りました。第八十二條の「平時は蓄積、使う時は忘れ、何事もないように書く」。これは欣夫の肺腑の言で、他にない経験です。體験で理解できれば、飛躍できるでしょう。八十六條の「似たような、似ていないような、具現化したような、していないような、詳しく描いたような、描いていないような、生きているような、生きていないような」というのは透徹です。書法創作の「意境」とは、本來なら書法家が追い求める的であり、當たるには容易な事ではありません。読んだら、パンチが當たったような感じではっきりと理解し頷くことができるでしょう。書法の書心と詩意も徐々に湧いてきます。
「筆法」「墨法」「線條」の中、生じたリズムのディテールを表立てずに語っている場合が多い。例えば第五十條には「濃淡は階調を生じ、提按はしなやかさを生じ、スピードは気勢を生じ、虛実は意境を生じ、軽重は変化を生じ、めりはりは中身を生じ」とあります。ここで再び申しますと、リズムは書法にとって最も直接な美感です。リズムについて説明し辛いですが、自然に生じるもので、書法家が書くごとに虛実の間に、メリハリをつけ、感情の変化に自然と変わっていくものです。これも書法の難しいところであり、書法の芸術性をはっきりと表し、心に従うものといえます。
欣夫の『書畫釈疑』は彼長年書法実踐の心得だと思っていましたが、なかには彼獨自の秘訣が何條もあり、生きているように、月日の試練を受けています。読者と観者とのやりとりをしながら、現代會話の敘述スタイルで表しています。欣夫を個性的な書法の実踐の先行者と伝道者といえばいいでしょう。
考えてみると、欣夫の文字の裡に隠されていたものは深い意味があります。ある條目を書法の語録として覚えてみてもいいでしょう。これらの條目は基本的に押韻で、読みやすいです。例えば第十七條、「二王を學ぶのは大道、道を混んでいると、小道を歩く。」第三十四條「真剣に手本を読み、蓄積に長ける。視野を高めて、心と手がお互いに引き立て合う。」第九十三條「水墨雲煙の山は黛のようで、白い壁、青い瓦はぼんやりとある。天上の月宮の眺めかと思いきり、運河の南津灣であった。」など。
欣夫先生に馴れた人はみんな彼の書法が綺麗だと思っているでしょう。伝統的深みのある筆墨があった以上、自分獨自の方法もあり、新たなものを作り出し、強烈な馴染みのない美感を與えてくれました。「二王」體系外の別の書法面目のようです。2019年國慶節前、浙江省博物館は二年をかけて準備した「盛欣夫書畫作品展」を開きました。一部の作品も収蔵されました。書畫作品集『書寫入心』も出版されました。私は國慶節の後、見にいきました。観者は多く、「馴染みのない美感」の芸術効果は強烈で、私は一層激しく興奮しました。欣夫先生の書法筆墨の高明さは大らかに、厚みがあり、自由で飄逸的な鮮明さもあり、我々が追い求め続けている至上の境界と人格作りへの最大の認識です。
「馴染みのない美しさ」とは、1992年、北京で國畫大家李可染氏のドキュメンタリー『恆久の大山』を撮影した時、一番よく覚えている氏の言葉は「最大の功力で打ち込み、最大の勇気で打ち出す」という言葉です。こうして作り出した馴染みのない様貌は必ず「伝統」の継続、変化と発展、完璧な馴染まないインスピレーションの表現ができます。審美の角度から新しい名前をつけると「馴染みのない美」です。簡単に言いますと、最初は芸術品を見え、美しいと思い、知っていた美とは違い、斬新な馴染まないものに好感を持ち、好きになります。「馴染みのない美」の根元は創新か創新している途中にあります。欣夫がまとめたように「筆筆古人あり、字字自己ある」です。
大きく見れば、手札なので、比較的に自由で、欣夫先生の思考の結晶であり、興味の至る所、感情から生まれたものです。個別に見たら重なっている部分はあるかもしれませんが、ポイントが違うだけです。細かく読み上げれば、異なるの説または一つの側面の解読と延長になります。條目に多少重なっている部分はあえて強調の意味を持たせ、合わせると「筆墨」を強調しているのです。
欣夫先生は書畫の面から古今の話を語り、筆前筆後、手慣れています。語りも交流も自分のままで、脫落しているところはもちろんあります。それは書法作品の構成について論述が足りないところでしょう。中國當代書法は古人を超えがたいと思いますので、きちんと基礎を築き、文化素養を積み、視野見識を広げる以外も、書法作品の構成に工夫をしないといけないです。書法家の皆さんの探索と積極的な実踐の価値がここあります。
最後になりますが、文學芸術の創作しては想像力が必要で、書法の學習も同じ、想像力が大事です。
『書畫釈疑』は真摯的に語り、學習者の諸君の疑問もきっと解くことでしょう。さらに、想像力を奮い立て、もしくは、豁然とされることでしょう。または、醍醐味があり、即用でき、または一言で言い當て、光彩と放ちます。この全てが可能であると私は信じています。
盛先生は「拋磚」で、「引玉」は貴方です。一緒にリラックスし、線に凝り、構えを広げ、境界を高めましょう。
想像力によってより多くの「馴染みのない美」を持った書畫をつくり出しましょう。
2021.1.6 夜明けに杭州で
書くかたわら絵を描き、描くかたわら旅をする。
旅のかたわら書き、書くかたわら話しをする。
四十八年前の戱言の通りの人生になったが、これが本來の
志であった。ここまで歩いてきたが、半分以上は書畫、半分
足らずが著作であり、その一部を初學者に贈る。昨年十月か
らここ數十年の蓄積の整理を始めた。ちょうど春景色が麗か
なので、これらのれんがを日に當てて、玉を引き出そう、よ
りよいものを誘い出そうというわけである。あるいは、書を
習う者の參考にでもできればいいだろう。ここでは概説、筆
法、墨法、線條、章法、境地の六章に分けて論述する。私獨
自の見解であり、卑見である。四方の先達と、同業の方々に
ご教示をお願いしたい。厚くお禮申し上げる。
甲子春撰、庚子開春魚公盛欣夫記す。
管城の線一本、水墨で世界を描く。
書くことで精神を伝え、あっという間に三千年。
管城子とは、毛筆の別稱である。韓愈の『毛穎伝』に
よると、「秦始皇使恬(蒙恬)賜之(指兎)湯沐、而封
諸管城、號曰管城子。」(秦の始皇帝は將軍蒙恬がウサギ
の毛の束で筆を作ることを褒めるために、管城を彼に封
じた。そのため、毛筆は管城子とも言われる。)あるい
は更に早くから、人々は毛を束ねて筆にしようと試みた。
楚簡から見て、當時は毛の束の筆はすでにかなり熟成し
ていたようだ。
筆墨自書の一。戊子春日撰、庚子早春魚公記す。
凡そ芸術は、心よりいずる。
心の情をもって、人に喜びを與える。
芸術は心から出ているので、繰り返すことがむずかしい。沈括
は『夢渓筆談』の中で「書之神韻、雖得於心、然法度必講資本學。」
(書寫のうちに神韻を體現することは心より來るが、心は平素の
修練の蓄積が必要だ)としている。心の流れには教養の潤いが必
要だと説明している。清人の丁皋はさらに、「以己之神、取人之
神也」 (自分の技量は他人の長所を學ぶことによって成り立つ)
(『寫真秘訣』)と述べている。あるいは、他人の精神を取って、
おのれの心を滋養して、人に精神を返すと言う。
筆墨自書の二。己亥秋撰、庚子開春魚公盛欣夫記す。
芸術は建物であり、
技術は階段である。
明の解縉は『書法學』の中「學書之法、非口伝心教、不得其精華。
大要臨古人墨跡、布置間架、揑破管、書破紙、方有工夫。」(書
道を學ぶには、口と心で伝えなければならないという。古人の墨
跡から筆法、墨法、布石を見に行く。繰り返し學習し、筆管をつ
ぶし、紙を書き破り、日々積み重ねてこそ技量が習得できる。)
と言い、清の秦祖永の『絵事津梁』も「畫不師古、如夜行無燭、
便無入路。」(絵を描くのに昔の人に習わなければ、夜道に燈が
ないように、道が見えない)と言っている。だから、初心者は必
ず古人を模寫することを先として、技術を習得してから、最終的
に芸術の殿堂に入ることができる。
筆墨自書の三。己亥金秋撰、庚子初春魚公盛欣夫記す。
芸術家には三つの要素が必要、
天賦、品志、學識教養。
劉熙載は『芸概』の中ですでに、「書、如也、如其學、如其
才、如其志、総之曰如其人而已。」(字を書くということは、
己の知識教養を書き、才能を書き、志を書くこと、つまり己の
人となりを書くということである)と教えている。天賦は先天
的な資質であるが、しかしそれを活性化し、達成するためには
才と志が必要である。才と志は、後天的な學びや勤勉さを通し
て向上させる必要がある。最も重要なのは品を立て、志を立て
ることである。品が正しくなければ、芸も正しくならない。こ
れも私の師の鄒夢禪氏の芸術と人となりの基準で、人を育成し、
芸能を伝授するうえでの要綱である。
筆墨自書の四。庚子春陽魚公盛欣夫。
古人を畏敬し、博く學んで要點を得る。
書畫の門には、この近道あるのみ。
古人の千年の蓄積はすでに百代の淘汰を経ており、優秀な文
化、民族の精華が殘されてきた。古人は巨人のような肩を殘し
てくれた。古人に學ぶということは、実に無數の人の知恵を集
めることである。この道を捨てたら他の道はない。しかし、古
人に學ぶことは目的ではなく、古人の精華をわがものとするこ
とを目指す。だから、そのまま受け継ぐのではなく、奴隷にな
らず、それを栄養としなければならない。消化を通して自分を
はぐくみ、その後、心から再び現れたのが己の芸術である。
筆墨自書の五。己亥初冬撰、庚子初春魚公。
秦楚の簡帛(竹木の簡書、布帛の書)、書寫の発端。
脈々と受け継がれる華夏の文脈。
中華文化は五千年続いている。甲骨、金文の後から、先人は竹、
木片の木簡を発明し、毛を束ねて筆とした。両者は偶然に出會い、
そこに歴史の火花が生じて、2000 年餘りにわたって作用してきた。
エジプト、チグリス • ユーフラテス川流域、インドなどの古代文
明が続かなかったのは実に殘念なことだ。中國では、書法のおか
げで、華夏―中國の文脈が現在まで脈々と続いている。しかし、
楚の文化は主に南方のものなのだが、溼気が多いため、後世に伝
わったものはきわめて少ない。幸いなことに、前世紀の初めに大
量の木簡が出土し、ほこりに閉ざされた史実がようやく明らかに
なり始めた。この部分の歴史は今後更に補われて行くことになる
だろう。
筆墨自書の六。庚子謹月魚公盛欣夫記す。
篆、隷は直接通じておらず、
秦、楚が橋を架けた。(隷書は秦篆から発展した
と言われているが、実はそうではない。実は楚簡
から篆書と隷書の二つの道に分かれて発展した)
秦の時代、大篆小篆はすでに成熟していた。小篆の線は丸く
て潤いがあり、構造は穏健で均整がとれている。象形の枠が外れ
て文字の成熟した枠組みが完成した。書體として、最上位に達し
たのである。ここから漢隷に変わったことは、受け入れるのに支
障がある。そのため、後の史家は長い間困惑させらることとなっ
た。楚簡が出土するに至って、人々はようやく事情を悟った。楚
簡の中には、隷書の雛形が既にあった。こればかりでなく、行書、
草書もここから徐々に発展してきた。
筆墨自書の七。己亥歳末撰、庚子華歳魚公盛欣夫記す。
その場で足踏みするよりも、
むしろ別の道を選ぶ。
人は先天的な資質や後天的な學識が異なり、學業も異
なる。學びて迷ったり、興味がなかったりしたら、別の
道を選んでもよい。鄭板橋も「學一半、撇一半、未嘗全學、
非不欲全、実不能全、亦不必全。」(半分學び、半分學
ばす。學びたくないでもないが、できず、かつ必要がな
い)と言っている。板橋氏は弁証法的に一つの道理を説
明している。全てを學んだらかえって堅苦しくなったり、
自分がなくなったりする。どれぐらいかは気にせず、と
りわけ役に立つものを取る。方法はなく、あるいは不適
當なら探し続けて、古賢をさがせば、必ず自分に合うも
のが見つかるものだ。
筆墨自書の八。庚子梅見月に魚公盛欣夫記す。
思は賢人に見習い、道は敗者に尋ねる。
スムースな道を行き、二の舞を演じない。
清の呉徳旋は、『初月樓論書隨筆』を書いて、「學者貴於慎
取。不可遂為古人所欺。」(古人を學んでも盲従してはならず、
自分に適するか否かを見る。さもなければ逆効果になる。)と
戒めている。あるいはこのように言ってもいいだろう。古人の
法はすべての人に適しているとは限らないと。性格に合わなけ
れば、努力しても無駄なことである。そのため、學んで考える
ことが必要だ。學ぶこと、汲み取ることに長けている必要があ
る。回り道をしないということは、他人の長所を學び、また、
どのようにその長所を達成するかを學ぶということである。こ
れこそ學びに長けているということである。
筆墨自書の九。庚子麗月魚公盛欣夫記す。
書法を學ぶにはまず似ることを求め、
そのうえで精神を得る。
黃庭堅は『論書』の中で「學書時臨摹可得形似。大要
多取古書細看、令入神乃到好處。惟用心不雜、乃是入神
要路。」(書道を學ぶには、臨摹をして形を似させ、古
代の碑帖を重ねて研究し、內在する精神の要領を得て、
懸命に勉強してこそ、書道の精神を理解することが肝要
である。)と言った。清人の王澍もまた、「凡臨古人始
必求其似、久久剝換、遺貌取神。」(古人を模寫して、
まず形の似ることを求める。一歩一歩突っ込んで、不要
なものを取り除き、真実だけを殘して、更に精神を求め
る。)と言った。つまり、まずは技術的な問題を乗り越
えて、芸術の精神を得ることができるように努力すると
いうことである。その形があってこそ、精神を語ること
ができるのである。
筆墨自書の十。庚子仲鐘月魚公盛欣夫記す。
芸術は代々雅事と呼ばれ、
品位高く、古風で、質樸で、性情を描く。
「品高者、一點一畫、自有清剛雅正之氣。品下者、雖
激昂頓挫、儼然可觀、而縱橫剛暴、未免流露楮外。」(品
位が高ければ、構成が広くなり、點畫には正しい気風が
現れる、品位が低俗であれば、自然に作為、虛偽が現れ
る。)(朱和羹『臨池心解』)。それゆえに、書法、絵
畫を學ぶ者は、まず品格を立てる必要がある。品格の高
い人は心が穏やかに、姿勢が正しくなり、焦ることなく、
技を學んだ後、芸を身につけ、一歩一歩深く進み、理想
の彼岸に達することができる。
筆墨自書の十一。庚子寅月魚公盛欣夫記す。
技術は硬い道理、
芸術は柔らかい道理。
堅い道理というのは実際にやらねばならない。一歩一
歩深く、少しずつ積み重ねていく必要がある。いわゆる
「硬」とは、苦學にあり、実際にやらなければならず、
虛構はない。柔らかい道理は、道を悟り、理を明らかに
しなければならない。よく學んで巧みに取り、一を學ん
で十を知るのである。「柔」とは巧、変、化である。眾
賢を我が身とするのは、その次ではない。
筆墨自書の十二。庚子元春魚公記す。
古今の書を比較し、
劣るのは技であり、芸ではない。
書法の法はまず技で、その後は芸である。技と芸の比
重は同じではない。昔の人は幼い時から池に臨んで、筆
で書き、本を読むことを同時に行い、一生筆を使っていた。
それを実用していたのである。芸術よりも技術を重視し
ていた。現在は技術を軽んじているが、それでどんな芸
術が語れるだろうか。書法を習うのは筆一本、紙一枚で
簡単そうだが、実は一番難しい。職人芸は三年で年季が
明ける。しかし、書は三十年でも到達できるとは限らない。
先人を追い抜くには、技能を重視し、補習をしなければ
ならない。必ず基礎を補わなければならない。これが唯
一無二の道である。
筆墨自書の十三。庚子暮春魚公盛欣夫記す。
伝統を學ぶには、先ず専一し、それから博學する。
博學の後、再び専一。これが唯一無二の道である。
これは 1970 年代の譚建丞先生の教えである。まず一家
の模寫に専心して、三、五年又は七、八年経って成果が
あり、一定の規模を具えたうえでその他を學ぶ。各書道
の模寫を一年、三年して、十數年後に次第に自分の形(個
性的で、自分のスタイル)ができあがる。この時間は長
そうに聞こえるが、実は、これが一番時間が省けて、哲
理ある學問の近道である。幸いなことに、私の歩んだ道
はスムーズで回り道は少なかった。これが貴人の言であ
ることを証明した。
筆墨自書の十四。庚子上春魚公記す。
雄大は勢いにあまり目を奪われず、
心に平靜を取り戻す。
文字を書くことは本來寂しい道である。名聲や利益を勝ち取
る必要があるだろうか。実は彼らも大変で、學ぶ時間などある
だろうか、ないだろう。やはり心を落ち著けて、古法を學ぶべ
きである。梁章鉅は『學字』の中で、「凡臨古人書、須平心耐
性為之、久久自有功効、不可淺嘗輒止、見異既遷。」(古人の
法書を學ぶには、心を穏やかにしなければならない。このよう
に日々の積み重ねがあってこそ、時間が経ったときに効果があ
るのだ。中途半端にしてもいけない)と言った。もう一言皆さ
んに申し上げたい。その名は決して技量より大きくてはならな
い。さもなければ問題が生じる。人生には時間は少ししかない
から、名利を爭うと、技能が少なくなる。損得は各自の心によ
って知るものである。「聰明吃飯、笨人吃飯。」(聡明の人は
食事の場でいろいろな機會を見い出すに対し、愚かな人はただ
食う)ということわざがある。この通りである。
筆墨自書の十五。庚子如月魚公盛欣夫記す。
多くを求めず、精緻さを求め、
捨て去ることを知って、常に更新する。
人生の精力は有限であるから、まず 1 つの優位を守る。
學べばすぐにできるようになる頭のいい人は多いが、精
巧にできる人は少ないものだ。諺にあるように、一人が
追えるのは一兎のみである。したがって、學業でも多く
をむさぼることはしない。堅持することが大切で、捨て
ることができなければならない。観念を更新し、初心を
堅持する。広い範囲から集めながら、一つに専心する。
成功と失敗の差はその點にある。
筆墨自書の十六。庚子梅月魚公記す。
「二王」を學ぶのは大道、
道が混んでいると小道を歩く。
「二王」(東晉の王羲之、王獻之の父子、略して「二王」
といい、いずれも書法の大家である)の書體は、筆法 • 章法
ともに申し分ない。審美的には、一脈を継ぐのが無難なこと
である。問題はみながこの道にひしめいていることで、これ
はいいことではない。書法の発展のためには多元的でなけれ
ばならない。例えば、魏碑、漢隷、楚簡。これらの書體を行
書や草書に溶けさせて、時代のリズムに合わせれば、発展の
餘地があるかもしれない。私はみんなと一緒に研究し、討論
して、書法の事業のために具體的なことをしたいと考えてい
る。
筆墨自書の十七。己亥冬撰、庚子泰月魚公盛欣夫記す。
畫人、太極を善くすれば、筆法に必ず內包があり。
畫人、陰陽に明るければ、墨法すなわち空霊。
畫人、哲人の如くあれば、章法は天成に向かう。
書畫の技量は、筆墨以外、また文字以外の努力が必要で、文
學、哲學、物理、自然、歴史、武術などが芸術と関連している。
関連している以上、つなげなければならない。たとえば武術或
は太極拳の一芸一式は行雲流水のように、書法の中で筆を運ん
で書き、ゆるやかに起伏することもこれに通じ、同工異曲であ
る。文字以外の工夫が深まれば、筆墨の線は必ず豊かになる。
筆墨自書の十八。戊子撰、庚子小草生月魚公盛欣夫記す。
字を習うポイントは筆を用いること、
用筆は入門時が肝要。
「従小看大、三歳致老」(小さい頃からの習慣は、老いてか
らに影響を與える)幼い時や初めて學んだ時にできた習慣が、
一生に影響を與えるということだ。書法の學習ではそれが更に
顕著である。初學時の姿勢、規範が形を成すと、習慣になる。
そのため、先生は厳しくしなければならない。手本を厳しく選
び、姿勢を規範化すべきである。役に応じて教え、體と筆はま
っすぐにし、全身はリラックスさせる。丁寧に文字を寫し、集
中して取り組む。ゆっくりでもかまわないが、決して急いでは
ならないが、少なくてもかまわない。決して欲張ってはならな
い。形の似ることを目ざし、それから更に精神が似るように努
力をする。
筆墨自書の十九。庚子稲月魚公記す。
指と手首を同時に回転させ、腕と肘を連攜させる。
滑らかに回転させ、中と側を共に用いる。
起承転結が、離れるかのようで繋がっている。
血も肉もあり、風骨が生き生きとする。
五指で執筆するのが依然として実用的である。唐の盧攜は『臨池
訣』の中ですでに言及している。宋の姜夔も、『続書譜』で、「不
可以指運筆、當以腕運筆。執之在手、手不主運、運之在腕、腕不主
執。」(筆を指だけで動かしてはならない。手首で筆を動かす。手
で筆を握って、手首より動かす。手が執筆を、手首が運筆と分擔す
る)と言っている。あるいは執筆と運筆を同時に動かして、すべて
の関節を連動させ、すべての筋肉を緩ませる。大小の字を全て思い
のままに書き、一筆に全身が関わる。リラックスし、忘我に至れば、
必ずある境地に入ることができる。
筆墨自書の二十。戊子撰、庚子桃月魚公盛欣夫記す。
身を正し、肘を平らかにして、指をしっかりと手
のひらを空虛にして握る。
筋肉の力を抜き、力を筆先に伝える。
筆を軽く握る。きつくは握らず、柔軟で自然な狀態である。
心筋をすべてリラックスさせると、筆先に己の心境が現れる。「或
問書法之妙、何得其古人、曰妙在執筆、令其円暢、勿使拘攣」(書
法の妙は、如何にすれば古人のようにできるか。妙は執筆、筆
の運び、筆先の回転を円滑にし、リラックスし自然にすること
であるという)(唐蔡希綜『法書論』)。虞世南は『筆髄論』で、「用
筆須手腕輕虛、太緩而無筋、太急而無骨。」(執筆は固く握らず、
腕の筋肉を緩めてしっかり握る。スピードは均等に、速くもな
ければ遅くもない。遅すぎると力が弱くて、速過ぎると風骨が
足りなくなる)と戒めた。これらはいずれも箴言であると言える。
ただし人によって違うところもあり、ある程度は異なるので、
自分にふさわしければよい。
筆墨自書の二十一。庚子嘉月魚公盛欣夫。
小さい字は指と手首を使う。
大きい字は腕と肩を使う。
元の鄭鑠は『衍極並注』で、「寸以內、法在掌指。寸以外、
法在肘腕。」(寸以內の小字の技量は手のひらと指にあり、
寸以上の字の技量は手首、肘にある)と言ったが、この
言葉には道理がある。しかし今は拡大して理解すべきで
ある。元以前には、紙に限られ、大きな作品はなかった。
明になってから大きな紙、大きな作品が出てきた。宋元
の時は 2 寸は大きいと考えられていたが、今では尺を単
位とする。したがって二寸以內の場合、技量は指と手首
にある。大きな字は尺ほど、大きい方は丈まであるが、
これは必ず肘、腕、肩を使う。書くことを言い、引っ張
りの書き方ではない。
筆墨自書の二十二。庚子桐月桐鄉甫之盛欣夫が寧波領
秀熙城で。
重厚と雄渾、過ぎると覇気に。
軽霊と飄逸、適當であればよき境地が生まれる。
筆の把握は自分にふさわしいものとする。姜夔は『続書譜』の中
で、「大抵用筆有緩有急、有有鋒、有無鋒、有承接上文、有牽引下字、
乍徐還疾、忽往復収。緩以効古、急以出奇。有鋒以耀其精神、無鋒
以含其氣味、橫斜曲直、鉤環盤紆、皆以勢為主。然不欲相帶、帶則
近俗、橫畫不欲太長、長則転換遅、直畫不欲太多、多則神痴。意盡
則用懸針、意未盡須再生筆意、不若用垂露耳。」(基本的に、筆は
速い場合と遅い場合があり、筆の先端を使う場合もあれば、散鋒を
使う場合もある。一貫した雰囲気にこだわる場合もあり、素早く、
時にはゆっくりと、左右に反転させる。ゆったりとした中に古意を
求め、疾走の中に奇趣を出す。筆鋒で精神を體現して、無鋒で味わ
いを表現する。ななめ、橫畫、曲線、直線、はね、回転こにられは
その勢いである。しかし、あまり線を引かないほうがよい。線を引
くと俗っぽくなる。橫線が長いと回転が遅い、直線が多ければ活気
がなくなる。意境を盡くした場合は懸針式を使い、意が盡くせなけ
れば垂露式を使う。勢いの停滯は避けられる)と言った。ここにす
べてが盛り込まれている。自分に一番ふさわしいところを見つける
だけである。最後のところはとても重要で、鋒を少なくして、気勢
である。気迫の境地は、自然に由來する。
筆墨自書の二十三。庚子春中魚公盛欣夫記す。
円筆は中身と力を現わし、
方筆は漂逸と精神を現わす。
中鋒による円筆はすでに秦篆の中で成熟していた。東漢の蔡
邕は『石室神授筆勢』で「蔵頭護尾、力在字中」(鋒先を點畫
の中に隠し、筆を収めて前線に返して、中鋒に力をいれる)と
する古典的理論を提示した。羲獻の二王は中鋒の名手と言うこ
とができる。しかし彼らも時には橫向きで勢いをとる。特に獻
之である。もちろん中鋒はいつも主役である。中側鋒のほかに、
両者の間に介在する奇鋒もある。仮稱は「篤鋒」。筆をまっす
ぐにして、鋒に向けてまっすぐ降下する。筆は中鋒で、降下し
たらすぐ運筆する。逆鋒も順鋒も必要ない。また、筆を立てて
橫に進み、ゆっくりと収めると、いつもすばらしい効果がある。
中鋒は円筆で、方筆の効果を出すことができ、また円筆の中身
が保つ。簡草に用いられて秦楚の趣が特にある。
筆墨自書の二十四。庚子花朝魚公盛欣夫記す。
筆を用いては、軽重緩急自在が肝要。
硬軟両様、長短優位を選ぶ。
唐の孫過庭は「執、使、転、用之方法:執謂長短深淺、
使謂縦橫牽掣、転謂鉤環盤紆、用謂點畫向背。」(執、使、転、
用の方法:執とは線の長さ、短さ、深さ、淺さ。使とは縦
橫転帯の連接のこと。転とは回り、円盤、回転のこと。用
とは點畫の向かい合い、反対を向ける、ぎゅっと締めること)
を示している。この四法はまた人、物、時と諸要素の関係
によって異なる。そこで、その適する點を探して、交互に、
あるいは速さ遅さ、乾溼、鋒線の長さ、毛の軟硬を使い分
ける。それぞれに長所がある。
筆墨自書の二十五。庚子桃月崇徳魚公盛欣夫記す。
字はその人がごとく、その人の學識、教養、品格、
性情を表す。
昔の人は「學術經論、皆由心起、其心不正、所動悉邪」(學
術経論も、心から出発する。動機が不純であれば、何もよく
學べない。)と言う。柳公権は、「心正則筆正」(心が正し
ければ筆も正しくなる)(項穆『書道雅言』)と言う。つま
り、心を修め、性情を養い、品格を持ち、志を立てることが
書家としての基本的な條件で、一生の教養である。
筆墨自書の二十六。己亥撰、庚子季春魚公盛欣夫記す。
絞り捻りをうまく用い、
散鋒を収める。
起、収、対、接。清の劉熙載は『芸概』の中で、非常
に具體的に、「起有分合緩急、収有虛實順逆、對有反正平串、
接有遠近曲直。」(筆を起こす際には分、合、緩、急がある。
筆を収める際には虛、実、順、逆がある。対には反、正、平、
串がある。接には遠、近、曲、直がある。)と述べている。
筆を運ぶ時には柔軟にとらえて、軽、重、開、合を転換し、
途中又は最後の部分で枯鋒渇筆を出現させる。絞り捻り
をよく用いて、散鋒をうまく収め、糸を全て収める。墨は
薄くてもよく、自然に乾く。質樸で慢、軽、激はあまり
使わない。王鐸、林散之の法書を手本とすることができる。
筆墨自書の二十七。己亥撰、庚子建寅魚公盛欣夫記す。
筆身を重くして練習すれば、
基礎が補える。
冷兵器の時代には、足に砂袋や鉛板を縛りつけて足を
訓練する者がいた。數年の訓練で腳力を上げることがで
きた。私は若い時、筆管に厚い鋼管をかぶせたことがあ
る。自分で、「加鉄補功」(この「功」は基礎力のこと)
と言っていた。毎日二時間かけて小楷を模寫したところ、
三年後には筆が安定して揺れ動かなくなった。小さいも
のは蠅頭小字から、大きいものは徑丈大字まで、すべて
楷書のごとく、少しも揺れ動きなく描くことができる。
筆墨自書の二十八。壬戌撰、庚子卯月魚公記す。
筆墨の內包、工夫は腕にある。
骨肉血気は、すべて筆先にある。
唐太宗•李世民は「吾臨古人書、殊不學其形勢、惟求其
骨力。」(私は古人の法書に臨み、とくに字形は學ばず、
ただその骨力を求めた)と言う。元の陳繹曾は『翰林要訣』
「肉法」中で、「字之肉、筆毫是也。疏處捺滿、密處提飛、
捺滿即肥、提飛即瘦。肥者毫端分數足也、瘦者、毫端分數
省也。」(筆墨が運動で生まれた墨韻は、まばらなところ
は右払いを強く押すと充実して見える。密集しているとこ
ろは筆を軽くすると筆畫が細くなる。肥は水墨が多いが、
やせていると水墨が少ない)と言った。筆の変數はすべて
筆先に生じる。筆先の力が、心と腕から流れ出す。そこから、
何を鍛えればよいのか、自然に分かるであろう。
筆墨自書の二十九。庚子仲春魚公記す。
穏やかで虛霊な筆遣いは、
構えと境界に関わる。
「用筆要沈著、沈著則筆不浮、又要虛靈、虛靈則筆不板。解
此用筆、自有逐漸改觀之効。筆要巧拙互用、巧則靈變、拙則渾古、
合而參之、落筆自無軽佻渾濁之病矣。」(筆遣いは安定してい
なければならず。安定していれば筆は浮かず、筆墨の線も渾厚
となる。しかしまた生き生きとしている必要がある。生き生き
していれば型に陥ることはない。この方法によれば、字は自然
に変わる。巧みさと拙なさが互生するならば、巧は霊変し、拙
は渾古であり、両者が合わされば、軽佻、濁りを免れる。)(秦
祖永『桐陰畫訣』)非常に明らかである。落ち著いていて虛霊
であれば、俗病を取り去ることができる。俗病は去って構えは
大きくなる。その構えがあって初めて境地が生まれる。
筆墨自書の三十。庚子杏月魚公欣夫記す。
速くて滑らかに流れるのが薄っぺらなのではなく、
ゆっくりとした筆だが生き生きとした様子も見ら
れる。
速いことと薄っぺらでないこと、ゆっくりでも生き生きと
していることにはいずれも矛盾が含まれている。どうやって
統一するのだろうか。功力と心力が必要だ。形は心で作られ、
心力のコントロール、功力の運用が必要となる。速くても飛
んでしまうことがなければ、ゆるやかでも呼応できる。米芾
は「無垂不縮、無往不収」(縦を書く時にはいずれも瞬時に
止めるべきであり、橫または左払いと右払いの時にはしっか
り押さえて出鋒しないようにする)と提唱している。一筆ず
つ返したり、回収したりするのではない。結果にこそ心を凝
らすべき、ここには內功が必要で、糸を引いて出ないように
しさえすれば內包が生まれる。あるいは空中で筆を収めて止
まることができれば、飛びだすことはない。飛ばなければ薄
っぺらにはならない。ゆっくりとした筆はこの逆である。筆
の運びが遅くても意味は絶えることはなく、一畫ごとに前後
左右を見守り、生命を注ぎ込むと滯ることはない。
筆墨自書の三十一。庚子桐月魚公記す。
書き始めをだらだらさせず、運筆が水を帯びない。
転筆は竜蛇のようで、筆を収めるも露が出ない。
創作も仕事のように心が和やかに、雑念を隠さずに、決して
だらだらせず、すっぱりとあざやかに行う。さわやかに筆を用い、
慌てず急がず、速くもなく遅くもなく筆を運ぶ。筆は心で動かし、
心のままに操る。気が向くままに書き、自分を忘れてしまうこ
とができれば、それが高い境地である。
筆墨自書の三十二。庚子仲春崇徳鳩浜盛家木橋魚公盛欣夫。
絵は描くには必ず先に執筆を知らねばならず、
執筆にはまず文字を書くのがよい。
文字を書くにはまず筆を持ち上げて書き、後
に筆を押して強く書け、止まること、反転す
ることができれば(提押頓挫)自然に書くこ
とができる。
書と畫の源は同じく筆墨にある。漢字は象形から始まり、
絵は線から始まる。書畫は互いを生み出し、互いの中に存
在する。そのため、畫を描くには筆墨の性能と技巧をよく
知らなければならない。一挙両得である。その「提押頓挫」
により形を作り、生き生きとした活発さを増すのである。
絵の中の枯溼濃淡は、書法においても精神を加えることが
できる。互いに補いあうわけで、とりわけ恵まれている。
筆墨自書の三十三。戊子撰、庚子雩風魚公盛甫之。
真剣に手本を読み、蓄積に長ける。
視野を高めて、心と手が互いに引き立て合う。
馮武は『書法正伝』の中で、「既知用筆之訣、尤須博觀古帖、
於結構布置行間疏密、照應起伏、正變巧拙、無不默識於心、
務使下筆之際、無一點一畫、不自法帖中來、然後能成家數。」
(執筆の方法を知らば、より多くの古帖を見て、その構造、
配置を見て、行間の疏密を且起伏の変化、巧と拙の違いを
心に黙って記すべきであり、自ら書く際、絵は法帖に基づ
いて表現され、発露し、次第に己の方法になる)と言って
いる。一家について専問的に學ぶ一方、百家をひろく學ぶ。
これは全て臨摹するのではなく、法帖を読むのも方法であ
る。百家をとり自家を成す。どのようにとるのがよいかそ
の造化を見るのである。法帖から來るものは、そのまま引
用するのではない。消化してこそ、己のものとなる。筆畫
には昔の人が見え、文字は己のものとなる。
筆墨自書の三十四。庚子五陽月魚公盛欣夫記す。
いらいらする時には執筆せず、気持ちがそぞ
ろの時に墨を使わず。
體が疲れたら先に休み、気持ちが穏やかであ
るこそ心と手が一緒になる。
書畫作品は心の産物である。気分がよくないときには
いい構想が生まれるはずがない。そのため、心配事があ
るときには、墨を使ってはならない。よい心持ちであっ
て初めてよい作品ができる。任務を成し遂げるために創
作したものを生産物と言う。これには芸術的な質はあま
り望めない。文化的な內包はさらに言うまでもない。芸
術は商品と同じではないのである。量産すれば、精神的
な核がなくなる。
筆墨自書の三十五。戊子撰、庚子辰月魚公記す。
執筆には気持ちを入れ、気を集中させて心情を
書く。
筆墨を日々心に置きながら歩き、模古読史し風
景を見る。
筆墨は心から出てくるものであるため、心は空虛であっ
てはならない。模寫、読書を主な源とし、歩き、見ること
はおろそかにできない。広い世界、大自然は心のありかた
と関係がある。出歩くこと、旅をしなければ、李白はおら
ず、あるいは「二王」(王羲之と王獻之の親子)はおらず、
あるいは徐渭、石濤等はいない。文化の粋は古賢にあり、
自然のすばらしさは、自然から生じるのである。
筆墨自書の三十六。戊子夏撰、庚子簡月魚公盛欣夫が寧
波の盛荘で。
墨 法
墨の五色分けは水分により、焦重濃淡の分稱あり。
技量は日ごろから學び、ほどよいあんばいの時に精神
が見える。
董其昌は蘇東坡を評し、「此『赤壁賦』庶幾所謂欲透紙背者、乃全
用正鋒、是坡公之蘭亭也、毎波畫盡處、隱隱有聚墨痕、如黍米珠、恨
非石刻所能傳耳。」(この『赤壁賦』の字は力がほぼ紙の裡に通じて
いると言ってもよく、彼は全て中鋒を使っている。これは東坡の『蘭
亭序』のような傑作だ。筆を収めるところにはいずれも墨を集めた形
跡がわずかに見える。きび真珠のように、殘念なことに、これは彫刻
石だ。紙絹に係れた原作はどんなにすべらしいものであったことか)
(『畫禪室隨筆』)と言っている。これは東坡の書が筆の用い方と関
係があることを説明している。筆鋒の正側を使った場合、スピードと
濃淡関係にはいずれも影響の要素がある。絵の墨の用い方は書道より
簡単で、近くが濃い、遠くが淡い、主が重い、次が軽いと運用するの
が常識である。難しいのは墨を一筆で何色にも分けることである。墨
を何回かに分けて添加し、水と墨をそれぞれつける。先に水、後で墨、
あるいは先に墨で後で水をつける。スピードは墨の量と関係がある。
筆にも、紙にも影響がある。模索をして、自ら契機を探す。
筆墨自書の三十七。戊子撰、庚子槐月魚公盛欣夫記す。
水と墨が調和し、筆と墨が互いに融合する。
色と墨が互いに補完し、紙と墨が両々相まつ。
趙孟頫は「古人作字、多不用濃墨、太濃則失筆意」(昔の
人は字を書くとき、墨を濃くしなかった。もし墨が濃すぎる
と渋くて滑らかに書けず、筆意を失うからである)と述べて
いる。この話はなかなか筋が通っている。層を求めるなら墨
を五色に分ければいいのである。必ず薄墨でなければならな
い。濃い墨は水をつけて、あるいは先に水、後で墨をつけるが、
それぞれ効果がある。毛質の軟硬によっても異なり、水墨の
比率はまた速度とも関係がある。うまく使うと、殊にすばら
しい効果がしばしば現れる。
筆墨自書の三十八。戊子撰、庚子陽月魚公盛欣夫記す。
黒い所には光を通し、密な所には気を通す。
白を知り、物があるがごとし、黒を守り、玄妙な
る道理を守る。
仏教では色はすなわち空であり、道教では無から有が生み出
される。それは哲學の命題であり、弁証法的思考が必要である。
中國の書畫もこれと同じである。白を知り黒を守り、白を黒と
し、彼を知り己を知る。蓮の葉の下には一筆の墨の跡もないの
に、池いっぱいに春の水が満ち満ちている。しかも、水蓮の葉
の尖った先が少し出ているだけで、それは単なる水ではなく、
春の水なのだ。もし枯れた蓮なら、それはきっと秋の水だ。こ
れが中國の書畫、中國の文化で、この水墨の白と黒の間には至
るところに哲學の理念が含まれている。
筆墨自書の三十九。戊子撰、庚子純陽崇徳盛家木橋魚公盛欣
夫が魚公書院で。
白を計り黒とあたり、白を黒として見、絵が
なくても絵があるものとして見る。
針も入らないほど密なのは墨が多いためでは
なく、馬が通れるほどまばらなのは筆畫數が
少ないためではない。
側面からものを観察すれば、更に真実に近づくことが
できるかもしれない。字畫の餘白からレイアウトを見れ
ば、その合理性が分かるかもしれない。白を黒とし、位
置を変えて考える。書畫に墨を用いるその最良の尺度は、
哲學の領域に屬す。
筆墨自書の四十。戊子撰、庚子麥月魚公記す。
重墨で雄渾が見え、
薄墨で飄逸が生ず。
清人の王原祁は『西窓漫筆』の中で、「筆肥墨濃者謂之渾厚、
筆痩墨淺者謂之高逸。」(筆が墨を多く付けるは重厚、墨が少
なければ文字は高雅に)と述べている。肥痩軽重それぞれに美
しさがあるが、大切なのは適當であることである。過多と不足
は美しくはない。「千鈿難買正好之」(いくら出してもほど良
さはなかなか手に入らない)ということわざがある。しかし凡
そ書家、畫家が追い求めるのはその「ほど良さ」なのである。
ほど良さが得られてはじめて、格調、構造、古さ、自然さを語
ることができる。
筆墨自書の四十一。庚子維夏夢斎盛欣夫が寧波で。
筆墨の格調、文雅を重んじる。
高古靜粛、奧深さを持つ。
內包は穏重、自然になりゆく。
方向が明らかであれば、目標を定めることができる。法
を取るのに繁雑ではならず、変化に富み、精巧であるべき
である。あっさりしていても重々しくしてもいい。唐人の
張彥遠は「多骨微肉者謂之筋書、多肉微骨者謂之墨豬」(骨
が多く、肉が少ないのを「筋書」といい、肉が多く、骨が
少ないのを「墨豬」という)(『法書要録』)と言っている。
何を取って何を捨てるかは、次第に明らかになるものであ
る。回り道を拒み、少なくとも無益な働きはしなくて済む
であろう。
筆墨自書の四十二。庚子花殘月魚公盛欣夫が明州領秀熙
城盛莊で。
真剣に古きを臨書し、柔軟に取捨する。
勤勉に修練し、巧妙に墨をあそぶ。
筆墨の道は、ひたすら修練するだけでなく、巧みさ、要
領も必要だ。腕の修練で磨くのは実力である。巧みさは頭
の中にあり、心志でもある。唐の張懐瓘は、「且一食之美、
惟飽其日、倘一觀而悟、則潤於終身」(しかも一回の食事
で満腹になっても、おなかがすかないのは一日だけだが、
その方法を身につければ一生の受益が可能となる)(『六
體書論』)と言っている。筆墨の道は、まず手を主とし、
後は脳を帥として、両方を兼ね備えて初めて書の道を得る
ことができる。墨を遊ぶとは、リラックスすることである。
筆墨自書の四十三。庚子夏首魚公盛欣夫が四明広徳湖
で。
墨は筆より生まれ、線は墨で形作られる。
畫法と墨法は、主に筆法にある。
紙の上でのポイントは人である。清代の包世臣は『芸舟雙楫』
中で、「然而畫法字法、本於筆、成於墨、則墨法尤工書藝一大關鍵矣。
筆實則墨瀋、筆飄則墨浮。」(書畫の技法は、主に筆を使うこと
にあり、効果は墨に現れる。つまり、墨法は書法のキーポイント
である。筆がしっかりしていると墨が著実なものとなり、浮くと
軽々しいものとなる。)と言っている。やはり筆は大切である。
技量は筆にあり、心力は人にある。
筆墨自書の四十四。庚子小満甫之盛欣夫が寧波四明山下で。
筆墨の境地は
神骨で決まる。
清の梁巘は『學書論』で、「學古人書、須得其神骨、魄力、気
格、命脈、勿徒其貌似而不深求也。」(古人の書を學ぶに、肝心
な點は神骨であり、表象だけ求めてはいけない。その法度、勢い、
生命力はすべて筆墨の內包にあって、この內包は一定の深さにな
らなければ觸れられない。)と言った。神骨がなければ境地はな
い。では、どうすれば神骨の境地に到達できるのだろうか。その
ためには、スピード、濃淡、軽重が大切である。學び、習い、考え、
悟るのである。概して言えば、工夫である。
筆墨自書の四十五。庚子朱月魚公盛欣夫が寧波盛莊で。
紙墨がにじみ、水墨が互いに融合。
筆墨の間に、自然を探す。
水を上手く使えば、段差、雰囲気が自然になる。水が多過ぎ
ると柵がない墨豬のようになり、修正も難しくなる。昔の人は、
「用水之法、水散而墨在、跡浮而稜斂、有若自然。」(水の用
い方は重要で、水が外に滲んで墨が安定し、筆跡が浮動して辺
角が現れなければ、自然天成の効果がある)(盧攜『臨池訣』)
と言っている。このためには、墨の実踐、紙の性能、水の適度さ、
運筆の速さなどの有機的な調和が必要だ。何事も自然からいず
るように合理的でなければならない。
筆墨自書の四十六。己亥撰、庚子農月魚公盛欣夫が寧波香雪
路盛莊で。
枯溼濃淡、入神の域。
昔は血法と言い、ただ水と筆のみ。
絵を描き、字を書く際には、軽くもあり重くもあり、
水だけで効果が出る。元の時代の陳繹曾の『翰林要訣』は、
「血法」について、「字生於墨、墨生於水、水者、字之血也」
(文字の筆畫は、墨に生まれ、墨は水に生まれるもので、
水は字の血液である)と稱している。血脈は命脈で、用
水のポイントは、墨と水はむらなく調合してはならず、
分けてつけて、等速で書く。書法界の林散之、絵畫界の
張大千はいずれも水の用い方の達人であり、あるいは參
考になれるかもしれない。
筆墨自書の四十七。己亥撰、庚子乾月甫之盛欣夫が広
徳湖盛莊で。
線 條
內涵は線の本質であり、
流暢は線の精神である。
北宋の郭若虛は『図畫見聞志』の中で、「王獻之能為一筆
書、陸探微能為一筆畫。」(王獻之は一筆書を続けて書くこ
とができ、陸探微は一筆畫を描くことができる)としている。
これはその一定の形態を前提として、線でその精神を解釈す
る典型的なモデルである。これは中國書畫の精神的ありかで
ある。その線は當然、主役になる。言いかえれば、その形態
がなければ、線の価値もない。言いかえれば、線は獨立體で
はなく、書體や物體とともにその文化的使命を擔っているの
である。そのため、主體の中には必ず関連している文化的內
包を注ぎ込まなければならず、その上に累積した筆墨の精神
があってはじめて、この線は生命力を持つ。
筆墨自書の四十八。己亥撰、庚子畏月夢斎盛欣夫記す。
枯れに緩み、急ぐはならず、溼みに疾さ、
溢れにならぬ。
濃いに遅れ、止まりはならず、淡さに渋さ、
薄みにならぬ。
潤渇濃淡とスピードはうまく把握できれば技 • 力とな
る。どのテーマも皆矛盾を解決してみる。例えば、淡と
渋は非常に把握しにくく、淡(薄い)或いは水が多い場
合は筆が滯り溢れやすくなる。水が少なくて淡い場合は、
渋くていける。すべての矛盾は體験してこそ経験になる。
大切なのは思考することであり、技術は自ら修練するし
かない。
筆墨自書の四十九。丁酉撰、庚子雲月盛欣夫が浙東四
明で。
濃淡で深さを生み、提按で活気を生む。
速度で気勢を生み、虛実で境地を生む。
軽重で変化を生み、頓挫で內包を生む。
宣紙、湖筆、徽墨、端硯に文化、教養、練磨を加え、千年の
知恵を沈殿させ、脈々と伝承されてきた水墨芸術。これはわが
世代の幸運であり、國人の誇りでもある。殘るのは、我々が頭
を使い、手を動かすことだけである。軽重濃淡で芸術的な段階、
変化を織り成し、提按 • 頓挫で時代の特色を內包する壯麗な絵
巻を描き出すのだ。リレーのように芸はとどまることがない。
筆墨自書の五十。戊子撰、庚子蒲月魚公盛欣夫記す。
擔ぎ屋が出會えば譲り合って、軽重緩急は順調
に。
それぞれに伝承される千家の筆墨も、千々変化
は中心を外れない。
姫の輿が擔ぎ屋と道を爭った話が伝えられているが、後代
の人がこじつけたのかもしれない。実は擔ぎ手と擔ぎ手が道
を「爭」(譲)ったけれど渡れたということである。ここで
の爭いは、本當の爭いではない。昔は田舎は道が狹く、2 人
の擔ぎ屋では道幅をはみ出してしまう。しかし、擔ぎ屋には
方法があった。二人は背中合わせになるように斜めに進み、
背と背が近くなったところで同心に沿ってゆっくりと回転し
て、それぞれが行きたい方向に進むことができたのである。
南方の擔ぎ屋は皆これを知っていた。書寫の方法もこれと同
じ理屈で、二つの線が並ぶけれどくっつくことなく、擔ぎ屋
が道を爭ったときのようにするのである。神の教えとも言え
るだろう。
筆墨自書の五十一。戊子撰、庚子蘭月盛欣夫寧波で。
毛を絞摺り、皴擦點面。
筆墨を練って、神逸を集める。
線の質を高めるうえでは、筆の使い方、筆先の使い方
が重要である。快緩軽重と潤渇濃淡にはいずれも直接的
な関連がある。濃ければ遅く、薄ければ早くなり、渇な
ら絞り、潤なら引き上げる。自然の美を求める。肝心な
のは臨機応変で、技量は熟練が肝心である。更に大膽さ
と細心さ、自信と決斷が必要である。美人の化粧の最高
の境地は、二時間かけて化粧しても、化粧したようには
見えないことである。書畫は自然が大切で、嬌態はよく
ない。
筆墨自書の五十二。戊子撰、庚子忙月魚公盛欣夫寧波
盛荘で記す。
心に雑念なければ、筋肉は緩む。
描く前に考え、意は書く後。
おもちゃと同様に、紙筆を楽しむ。
軽重潤渇、応変自在。
拙いように、線に內包あり。
形の似るを求めず、ただ神逸を求む。
技術を身に著けた後、リラックスして、自然で
あることを大切にする。技術があれば、おのずと
リラックスすることができ、方向を設定すること
ができる。そこから、心を解き放ち、すべてを忘
れる。失敗も成功も関係はない。芸術家は失敗を
恐れず、功利にこだわらないことにより、優れた
作品を創り出すのである。
筆墨自書の五十三。戊子撰、庚子午月盛欣夫記
す。
速いよりゆっくり、連より斷。
巧より拙、熟より生。
細より太、薄より厚。
渇より潤、艶より淡。
滑より渋、雑より簡。
「哲學」という単語は舶來品だが、二千年以上前に、
我が國の哲學はすでに成熟していた。例としては易學
がある。諸子百家は先哲である。特に老子、荘子は哲
聖と言うことができるだろう。そのため、哲學は國學
に満ちている。書畫は、筆墨から白黒まで、筆法から
墨法まで、小章法から大布石まで、すべてに哲理が満
ちている。だから、絵を、一筆ずつ、一枚ずつすべて
弁証法的に見て、位置を変えて考える必要がある。逆
さにしても、普通にしてもいずれもよく、すべてに萬
華鏡のような変數がある。芸術はこの変數の中で育ま
れる。
筆墨自書の五十四。戊子撰、庚子皋月盛欣夫が魚公
書院で記す。
緩みが靜を生じ、良い。
靜から拙、拙から巧み。
前に述べたように、中國書畫は哲理に満ちている。太極
拳の緩慢な動作には、「力強さ」は見えない。これは文化
であり、內包である。中國の書畫も同じで、見たところ全
く無頓著のようであるが、実はこのゆったりとした線に張
力が內包されているのだ。飾り気のない點畫に動と靜が內
蔵され、その不器用な姿に知恵が宿っている。
筆墨自書の五十五。戊子撰、庚子榴月崇徳西門外盛家木
橋河西盛欣夫。
偏側の鋒は、ゆっくりで薄いことを直す。
折れ曲がった線は、鋒先を出さない。
「壁坼」の法には、その線に自然の美しさが溢れ
ている。「壁坼」とはなんなのだろうか。実は、昔
の土壁がひび割れた跡のことである。南宋の姜夔は
『続書譜』の中で、「用筆如折釵股、如屋漏痕、如
錐畫沙、如壁坼……壁坼者、欲其無布置之巧。」(筆
畫の線の曲折、円転は、壁から漏れてきた水の跡の
ように、砂の中に錐で描いた線のように、なめらか
で自然で、深いところがあり、自然に線が貫かれて
いる)と言っている。しかし、壁が割れる線をつか
むのは非常にむずかしいことである。側払い、折り
の中にやや渋みを持たせ、減速させると特別の効果
が出て來る。「偏側」や「壁坼」を慎重に用いて鋒
を出すことで、よくある弊害を減らすことができる。
筆墨自書の五十六。庚子鵓月崇徳南津郷魚公盛欣
夫。
霊動と質樸には、調和する點もあり、
飄逸と重厚にも、共通點がある。
古人は既に真綿に針を包むという言い方があ
り、蘇軾は「餘書如綿裹鉄(私が書く字は、外
見は柔らかいが芯が強い)」と言った。明の解
縉は、「東坡豊腴悅澤、綿裡藏針。」(東坡氏
の字はふくよかで潤いがあるが、骨質感が內在
している)と言っている。いわゆる綿の中に針
を隠すとは、柔らかさの中に硬さがあるという
ことで、柔らかさと硬さの矛盾を美に転化し、
內包に転化するのである。中華の筆墨が求める
內在的な美である。霊動減速あるいは質素な內
包で、飄々として渋ければ、あるいは綿に針を
隠すことができる。條件はそれぞれ違い、結果
も様々で、道理は実踐によって検証される。
筆墨自書の五十七。己亥撰、庚子皇月語渓南
津魚公盛欣夫。
行草の書、寫意の畫。
心脈を通じ、情志を表わす。
凡そ草書を書き、寫意畫を描くなら、學ぶ時には意を
筆の先にし、用いる時には意を筆の後にしなければなら
ない。さもなければ、心気がのびのびとしたものにはな
らない。元の時代の陳繹はかつて、『翰林要訣』の中で、
「喜即氣和而字舒、怒則気粗而字険、哀即気鬱而字斂、
楽則気平而字麗。情有重軽、則字之斂舒、険麗亦有深淺、
変化無窮。」(喜なら、潤いがあって合理的な筆畫で、
心地よく見た目よくなる。怒なら、太く、狂く、険しく、
気がスムースに通らない。哀なら、気持ちが憂鬱で字が
縛られる。楽なら、筆畫が平穏で美しい。感情は軽いと
きも重ときもあるが、それによって文字も変化する。険
しさもあり、美しさもあり、変化は無限だ。)と言って
いる。書家の狀態や情志は、必ず筆端につながっている
ことがわかる。だから、まずはしっかりと學び、習い、
日常の蓄積に重きをおく。そうすれば使う時には細かい
ことにこだわる必要はない。
筆墨自書の五十八。己亥撰、庚子橘月語渓鳩浜盛欣夫。
線には境地があり、
気韻が肝心である。
書畫の構造は線である。作品の生命、生き生きと
した気韻は線に依存する。線の気韻は、まずその勢
いにある。勢いの中で、霊動、変化、內包は人による。
人は內外の技量で、激しさや豪快さを筆端で表現す
る。劉熙載も『芸概』の中で、「高韻深情、堅質浩気、
欠不可以為書(格調が高く、感情が強く、気概があ
ってこそ、作品を書き、創作することができる)」
と言っている。つまり、十分に浩気を養い、技量に
熟練して初めて、思う存分発揮することができるの
である。
筆墨自書の五十九。己亥撰、庚子午月語渓盛家木
橋魚公盛欣夫。
気韻は情勢にあり、
柳で魚を穿つ。
気勢が虹のようであるためには、まず流暢で
なければならない。筆畫を切っても意図をつな
げ、これを一貫することを勢という。昔の人は
「柳穿魚」(柳の枝で子魚を穿つ)と言ってい
る。子どものころは川原で小さな魚をつかまえ、
柳の枝を折って魚を串刺しにしたものだ。形は
一行の文字のようだ。小魚はそれぞれ左右に橫
向きに並ぶが、重心は中心線にかかっている。
殘酷だが、比喩は生き生きしている。書法家に
はすぐに分かるだろう。その中に勢がある。
筆墨自書の六十。庚子星月崇徳上墅郷魚公盛
欣夫。
一波三折は、波折ではない。
內包にあり、心力により決まる。
古人が言う一波三折は、まず筆を置き起筆して折り
返し、更に頓挫して筆を橫に動かして送筆し、最後に
回鋒して筆を収める。実際には一度熟練したら、心の
力が所定の位置につけば、筆はあらゆる面で萬全であ
る必要はない。意が至れば、穂先を出さず、軽重の波
折の含蓄があればよい。黃庭堅の晩年には、例えば右
払いと左払いの筆畫に明らかに折り返しの意図が見え
る。これは彼の技量と體力が対稱的でない狀況におい
て生まれた別の境地である。參考にすることができる
が、模範とする必要はない。老いていないのに先に熟
れれば、かえって中途半端になる。
筆墨自書の六十一。己亥撰、庚子鳴蜩語渓尚墅魚公
盛欣夫が寧波で。
枯れても離れず、散っても飛ばない。
溼飛でも浮かず、きめ細やか
線は明代に至り、すでに最高峰に達した。陳淳、徐渭、八
大山人、石濤、王鐸、傅山。寫意畫、行草書の中で、遊ぶ龍
のように、絶妙の域に達する。徐渭、王鐸の瀟灑(筆墨)、
傅山の円転(線)。現代•林散之の淡い墨の線は、散っても
飛ばず、きめ細やかだ。筆畫の線畫が極限まで表現されている。
私たちはこれを借用することができる。
筆墨自書の六十二。戊戌撰、庚子暑月崇徳盛家木橋盛欣夫。
直中に曲を求め、曲中に直を含む。
実中に虛を見、虛中に実を隠す。
つながっていながら斷つを欲し、斷中に
意を連する。
有の中の無のように、無の中に有が生じる。
曲直虛実、連斷有無、黒白軽重、濃淡快遅、みな
が互いに補完しあっている。これはすべて筆墨にあ
り、技量にあり、審美にあり、境地にある。あるい
は思考を換えれば、白を計り黒に當たり、すべての
技を利用して、互いに補完し合うことによってよい
効果を達成する。
筆墨自書の六十三。戊子撰、庚子芒種語渓鳩浜盛
家木橋盛欣夫記す。
手で苦しい練習をし、頭でよく考える。
近道は古道にあり、努力すれば自然に成る。
書畫を學ぶには、ただ古人に學ぶのみである。古人の経験
を學ぶことは自分で模索するより利がある。西洋のある畫家が
中國の翁に中國畫を學び、何年で覚えられるかと聞いた。翁は
「三千年」と答えた。善意が足りないように聞こえるが、実は
翁は哲學の思惟で問題に答えたのである。真実であり、また哲
理でもある。中國の書畫には三千年餘りの文化の蓄積がある。
中國人は幼い時から漢學の素養を身に著けてきている。一點一
畫一線にいずれも深い中國文化の精神が內包されている。線に
ついては、明代の灑脫、雄渾、高逸は宋、元の流暢さと違うし、
宋、元は晉唐の厳格、古風、穏健と違う。これは線の內包、線
の文化で、中國の書畫の獨特な點である。つまり、今日の線に
は三千年以上の文化の積み重ねが織り交ざっているのである。
筆墨自書の六十四。庚子桐月魚公盛欣夫記す。
章 法
點を続けて線となり、線を織って面となす。
面を縛して形となり、墨を以って神を伝える。
清の笪重光は、「筆之執使在橫畫、字之立體在竪畫、
気之舒展在撇捺、筋之融結在扭轉、脈絡之不斷在絲牽、
骨肉之調停在飽滿、趣之呈露在勾點、光之通明在分布、
行間之茂密在流貫、形勢之錯落在欹正。」(執筆のポイ
ントは橫畫にあり、字の安定は縦畫により決まる。勢い
の流暢さは左払いと右払いにあり、筋骨融結は転折にあ
り、脈絡の通じるは糸にあり、骨肉の調和は水墨にあり、
味わいは細部に現れ、光と黒は配置にあり、軽重疎密
は速度にあり、情勢起伏は頓挫にある。)(『書筏』)
と言った。総合的な要因の相互の影響については軽く
書いているが、正確さは失われない。大まかに言うと、
線を枠組みにして、筆墨で筋骨と血肉を與える。起承転
結で、漢字の生命、或いは水墨の精神を構築する。
筆墨自書の六十五。戊子撰、庚子荷月桐郷魚公盛欣
夫が四明広徳湖魚公書院で記す。
心が穏やかに、橫は平らに、縦は真直ぐ。
橫は細く縦は太く、左は細く右は太い。
中間は引き締め、両側はゆったりと。
筆畫が切れても意は連なり、繁を除去、糸で引く。
大きさの適切さ、太さのバランス。
朱を分け白を配し、白を計り黒に當たる。
橫平に対して、協調を図る。右手で執筆するため、左が低く右が高
くなる。中軸は右にずれるため、左が低く右が高い。しかし、四、五
度ぐらいに引き上げるのが書者の生理的條件に合ったやりかたで、九
度を過ぎてはいけない。さらに「三」字のように、橫線は同じレベル
である。首橫は下向き、中橫は水平、底橫は上向きとならぬようにする。
このように自家矛盾では気が遮斷され、勢いが表現しにくい。二つを
細く二つを太くするのはバランスの重心にするためである。中間は引
き締め、周囲を緩める。伸びやかにしすぎず、例えば「冀」の文字で
は、「北」は展開させて、底の「橫」を縮め、「槓」を出すと必ず「北」
を収める。左払いは雙飛とせず、右払いは雙出とせず、字を二重に伸
ばさない。精神は內包にあり、灑脫で自然である。
筆墨手紙の六十六。己丑撰、庚子鳴蜩魚公盛欣夫記す。
緩急自在に、理路整然と道を辿り、速度には変
化を持たせ、緩慢の中にも秩序があり、
交錯した中にも合致した、行列の勢いがある。
乾筆にておいても存在感を有し、多量の墨料で
も、重圧なく、意識は筆の先に伝わる。
事前に準備されていた、勢いが貫通し、拘りを
持たない。
本を読むこと、歩くこと、古人、今人、天地、自然、人文、
哲學。知れば知るほど、蓄積されるものは厚くなり、書く線
は滑らかになり、內包が生まれ、自然となる。胸に成竹があ
って初めて竹林を作ることができ、森も作れることができる
のである。
筆墨自書の六十七。己丑撰、庚子精陽甫之盛欣夫四明盛莊
で記す。
骨と肉は互いに生み、気と血は互いに依存す
る。動を靜に託し、靜を動に託す。一筆一筆
に先人の書があり、それぞれの字に自身が存
在する。意は筆の後、自ら流す。心と手をと
もに忘れ、意を得ると形も忘れる。起承転結、
自然となる。
骨肉血気は皆筆跡にあり、生命を與えれば、自ずと動靜
がある。これは文化の精神である。しかし境地、修練、技
量の沈殿、知恵の蓄積を要す。あるとき、功成り、學に冨
めば、心身がリラックスし、すべてを忘れることができる。
そうなって初めて、意が筆の後になり、重いものも軽々と、
気の向くままに書くことができる。この時の自分が本當の
自分である。
筆墨自書の六十八。己丑撰、庚子林鍾魚公盛欣夫が広徳
湖で。
楚簡に新意が出現し、転を以て折とし
扁緊平徐、橫畳縦勢。
楚秦の文字には既に隷書と行書の形態が見える。書寫の
始めとも言える。あるいは、竹や木を材料としたため、素
材の繊維が縦なので、棒狀になりやすかったのかもしれな
い。人の姿勢としては、左手で持ち、右手で書くため、縦
書きになったのである。筆もこうして生まれ、書寫がつい
に始まったのである。中華文明は人類の文明史の中で、ま
た前に向かって大きな一歩を踏み出した。それから脈々と
三千年、今日に至る。今日の縦書きは、その姿勢を守り続
けている。
筆墨自書の六十九。己亥撰、庚子季月桐郷魚公盛欣夫が
寧波盛莊で。
行草に生命あり、韻を貴ぶ。
運筆は同じ速度で、自然に呼応する。
なんと言っても、技量が重要である。文字の間に構造が
あり、行の間に呼応が必要である。筆畫が切れても意がつ
ながり、配置が自然でなければならず、清の宋曹の『書法
約言』には、「勿往復収、乍斷復連、承上生下、戀子顧母。」(少
しであっても回収しなければならない。その糸が切れても、
気は必ずつながり、上下の気は必ず貫かれ、左右を見回わ
さねばならない)と書かれているが、それはこの意味である。
言うは易く行うは難し。何事にも磨き合わせる過程がある
もので、一旦入口が分かれば、難しくなくなる。技量がつき、
その線に「命」が與えられたら、その字も生き生きとして
自然になる。
筆墨自書の七十。庚子伏月崇徳盛家木橋魚公盛欣夫が四
明盛莊で。
気勢は性格にあり、気韻は學問による。
品正しければ芸は俗ならず、淡泊で自らと高に
なる。
芸術家は品志、技量を重視する。読書以外の雑事は少ない
ほうがいいだろう。虞世南は『筆髄論』の中で、「欲書之時、
當収視反聴、絶慮凝神、心正気和、則契於妙。心神不正、書
則欹斜、志気不和、字則顛僕。」(字を書く前、その耳と目
で他の物を見聞きせず、精神を集中して、心を穏やかにし、
境地に入る。心が正しくなければ、書は正しくなく、気も和
さず、文字もでたらめなことになる。)と言っている。この
道理は深く、書寫と人間としての行いは、自然とつながって
いる。人柄は芸術品と同じであり、高く大きいことを求めず、
偽りではなく真実であることを求める。
筆墨自書の七十一。己亥撰、庚子初陽語渓夢斎盛欣夫が寧
波で。
行書、草書は鋒をあまり出さず、
鋒を出すと気が漏れる。
行草 • 草書は、どの文字も筆畫が鋒を出てはならない。
字の最後の一筆は右払い、縦或は少數の左払いであっては
じめて鋒を出す。詩或いは文字が多い場合は、右払い、縦
にもできるだけ鋒が出ないようにし、途中で散逸しないよ
うにして、全體の雰囲気に影響しないように注意する。最
後の筆畫が右払い、縦であれば、それを逆右払いや垂露に
することができる。あるいは空中で収筆するのも一つの方
法である。原則としては、その勢いは流暢なばかりでなく、
しっかりとしめる必要もある。一幅の文字であれば、一、
二ヶ所の出鋒で十分である。
筆墨自書の七十二。庚子孟陽語渓鳩浜魚公盛欣夫記す。
色が複雑であれば厚くなり汚れやすく、色が純
粋であれば明るいが俗っぽくなる。
色が淺いと奧深くなり弱くなり、色が重いと安
定して怠くなりやすい。
中國畫の色使いで難しいのは色調の調和である。しかし人
は矛盾の中で成長するものであり、謝赫の六法では類に従っ
て色彩を與えるのが原則である。あっさりした風格は高古に
往き、古人には賢者が多く、今日でも達人は少なくない。自
然を師として盡くすべくもない。苦労をして、頭をよく使い、
成功への道が準備のある人のために殘される。
筆墨自書の七十三。戊子撰、庚子新陽桐郷甫之盛欣夫が寧
波の盛荘で。
途中からの出家は昔からあるが、橫はまったいら、
縦は一直線は無邪気。
本當に正道に帰りたければ、途中でも修正が可能。
利口な人は賢い字を書く。先生がいなくても自分で何とかわ
かる。天賦である。しかし、本當に字を書くには指導も必要で
ある。橫はまったいら、縦は一直線で、筆畫の繋がりはすべて
消す。簡単に見えるが、痛い。ただ、堅持できれば成功する。
筆墨自書の七十四。己亥撰、庚子睦月崇徳盛家木橋魚公盛欣
夫が海曙魚公書院で。
繁を省き簡にし、雑を取り真を殘す。
部類に応じて彩色を施し、物に応じて神韻を書
く。
文人畫は、文人の気質と心情に由來している。気持ちを解
き放ち、小事にこだわらずに、意のままに、寫意に任せる。
これで志と情を現わす。形が似ることを求めず、正直である
ことを求める。背景を配置せず、シルエットを書く。これは
明代の人の風格であり、國人の修練でもある。陳淳、徐渭から、
特に後者は絵を描いているのではなく、自分を書き、性情を
書いている。中國畫を、現実を超えた至高の境地に到達させ
たのである。
筆墨自書の七十五。戊子撰、庚子竹秋魚公盛欣夫。
筆は遅くとも乾させず、墨は重くとも退屈では
ない。
水は潤なるも太らず、気が満ちても散らず。
水墨の重點は筆を使うことである。骨肉血気をすべて備え、
燥、悶、滯、散の問題を迴避する。渋筆(遅筆)はあまり使
わないほうがいいであろう。沈墨をうまく用いるのがよく、
水の使い方は最も重要であって、どこでもこれが役立つ。水
をうまく使うのは境地で、血肉、気韻はすべて水で決まる。
水は魂であり、神である。しかし、成功するのも水、負ける
のも水で、把握することが大切である。
筆墨自書の七十六。戊子撰、庚子晩春語渓盛家木橋魚公盛
欣夫。
魚を描くのに必ずしも似ている必要は
なく、ただ神韻を失わないようにするべ
し。
筆意だけを求め、簡潔に心を書く。
八大山人の墨鱗(水墨畫の魚)は、完璧で、靜
かな人気があり、悠々としていてまるで何事もな
いかのようだ。これは文人畫であり、また「大寫意」
とも言える。何も気にせず、いとも簡単に描くの
だが、楽で自然で、似ると似ていないの間に神韻
の境地がそろっている。(大寫意は文人畫とイコ
ールではなく、文人畫は基本的に寫意畫である。)
筆墨自書の七十七。戊子撰、庚子蠶月、崇徳魚
公盛欣夫が寧波で。
落款の重さを押さえ、穴を埋めぬ。
孤立を禁ず、主客転倒もならない。
落款の重さは本文を超えてはならない。長い落款は畫面を
奪わない。位置は軽く、孤立しないところを選び、書體は調
和して目立たないようにする。穏やかに順応する。軽重を適
度にして互いに引き立て合うようにする。一文字多くても少
なくてもよくなく、合理的で自然にする。
筆墨自書の七十八。戊子撰、庚子晩春南津盛家木橋盛欣夫
が寧波盛莊で。
押印が大きくても落款と爭わず、押印が小さく
てもおさえがきく。
斜めに軽い角度で捺印し、絵に従って決める。
押印と落款は調和して統一していなければならず、印鑑は
落款より大きくてならない。畫面と補いあって色を増し、主
客転倒を起こさないように。名章は上、閑章は下にする。朱
文は前に、白文は後にする。起首は扁または長で、角押しは
欹て又は四角にする。楷書印は靜かで、粗放に対して意味が
ある。印肉は硃砂のほうがよく、捺印は少ないほうがよい。
筆墨自書の七十九。戊子撰、庚子荒月桐郷迎鳳新村墨耘樓
主盛欣夫。
境 地
心を込めて臨古し、意を用いて書寫する。
筆一筆に古人があり、字一文字がおのれに屬す
る。
真剣に古人を模寫するのは自分のためである。取捨選択し
て、完全に寫すのではない。意図的に書くということは、自
分が書きたいのであって、自分の字を書き、自分で決める。
書かされるのではないし、誰かの真似をさせられることもで
もない。姜夔は『続書譜』で、「大抵下筆之際、盡仿古人、
則少神気:専務遒勁、則俗病不除、所貴熟習精通、心手相応、
斯為美矣。」(大體において、落筆の時は全て古人の法書を
真似すれば、元気がなくなる。古人の法に精通し、心と手が
一致して行動すれば、成功する。)と言っている。つまり、
古人を學ぶ際には、そのまま學ぶのではないということであ
る。また一家、二家だけを習うのでもない。広く學び、自分
で消化すべきである。また書く時、筆から流れるのは自分の
ものである。古法を取り入れて消化した後の自分である。つ
まり、筆一筆に古人の法があり、字一文字が自分に屬する。
革新というものは、その中にもある。
筆墨自書の八十。庚寅撰、庚子夏初魚公盛欣夫記す。
境地はリラックスにあり、
筆墨は凝縮にある。
リラックスするのは心をつなぐためである。「形者、
神之質、神者、形之用也。是則形稱其質、神言其用、形
之與神、不得相異。」(字の形は神の依託したものであ
る。字の神は形のである。形を體とし、神を魂とする。
同體であっても、異相であってはいけない。)これは、
南北朝の範縝が『神滅論』の中で、形と神の関係を述
べている部分である。概して言えば、形は筆墨にあり、
精神は凝縮されている。境地は自ずとその中にある。
筆墨自書の八十一。己亥撰、庚子麥秋月、崇徳魚公
盛欣夫が寧波で。
平素を積み重ね、
おこなう時は忘れ、
忘我で書く。
古人に學び、模寫するのは近道であって、奴隷にな
るわけではない。一定量の備蓄をした後に書寫する。自
分を重複するのではない。古人を再現するのでもない。
消化と醸造を通じて自分の新しい酒が流れ出す。心とつ
ながったら、すべてを忘れて、忘我の境地に入ることが
でき、芸術はそこで生まれる。
筆墨自書の八十二。己亥撰、庚子麥序桐郷魚公盛欣
夫が寧波の盛莊で。
激情で書くも、常に新味を出せば、重複は
しない。
理性で描けば、平凡になりがちだが、廃畫
はうまない。
およそ芸術家は、感情的なタイプが多い。草書、寫
意畫のようである。激情が來た時、自由自在に振る舞う
ことができれば、ときおりよい作品が生まれる。繰り
返すのはおのずと難しくなる。理性的な狀態であれば、
雷池を越えず、廃棄畫は必然的にうまない。どちらが正
しく、どちらが正しくないかは、各自で理解する。密畫、
寫意の選択は正しいかどうかは言えない。高低は立場に
より決まる。
筆墨自書の八十三。戊子撰、庚子立夏桐郷牛橋頭迎
鳳新村墨耘樓主盛欣夫。
筆先に意があるのは技術の問題。
筆後に意があるのは芸術の問題。
芸術家の腕前は主に技術である。芸術は一番上の階にしか
ない。技術は大きな基礎で、能力及び要點である。この時は、
筆先に意を置かなければならず、まず何をするか、どうする
かが分からなければならない。だから、これは技術的段階で
ある。芸術は精神面のものであり、形而上である。風格、境
地を重んじる。だから、必ず筆後に意を置く。事前にデザイ
ンする必要はないが、技術と思想が必要である。自然に発露
するのが芸術であり、そうであって初めて境地がある。
筆墨自書の八十四。庚子午月崇徳鳩浜魚公盛欣夫記す。
線で形をつくり、水墨で魂を與える。
色彩に応じて意を表す、學問によって精神を
伝える。
執筆は簡潔のためであり、線は內包によって決まる。水
墨は趣があり、色は淡雅である。腕前を身につけて、文學、
歴史、哲學、地理を學び、審美の理念を完全なものにする。
他人の長所をとって自分の不足を補い、芸術人生を完璧に
する。
筆墨自書の八十五。戊子撰、庚子啟明、崇徳盛家木橋魚
公盛欣夫が盛莊で。
似ているような似ていないような、境地が似て
も具象にあらず
およそ似ているが形は似ず、似つかないがかえ
って非常に似ている。
東方の美意識は、イメージが一番重要である。西洋の抽象
を審美の物差しとして評価する必要はない。東方の筆墨線は
すでに芸術である。形象、抽象を審美の基準として評価する
必要はなく、東方的な線、文化的な內包で精神力を伝えてい
る。呉昌碩の梅のように、線の力強さで現わす。梅の枝が似
ているかどうかではなく、これは抽象では表せないことであ
る。それは一つの文化で、一つの精神であり、中華數千年の
文明の蓄積を含んでいる。
筆墨自書の八十六。戊子撰、庚子鬱蒸魚公盛欣夫。
古人は技を崇め、
今人は芸を尚ぶ。
技と芸は、古代においてほぼ同義である。技とは技量のことである。職人は、『荀
子 • 富國』の言った百技の成業(多くの技術を一身にした)である。芸とは才能のこ
とである。技芸は、『論語 • 雍也』に「求也芸」とある。朱熹の注では、「芸、多才能」
(芸、多種の才能の和)とある。けだし、今では「芸」の価値が引き上げられ、「形
而上」の內包が與えられている。これは悪いことではないが、問題は上下階級や頭脳
労働と肉體労働の違いだと誤解する人がいることである。力を節約しようとするのは
人の天性である。體力で低いところを追求するよりは、力を入れないか、力を少しだ
け入れて直接芸術を獲得したほうが得だと考える。
さらに見てみると、今の人にはるかに及ばない古人、二王、顔柳にしても、また八
大山人、石濤やすべての先賢にしても、能力が深くない人はいない。しかし、條件、時間、
社會、雰囲気は今日に及ばない。ただ一つ、基礎力と書く習慣だけは現代に勝っている。
最後の少しだけ及ばないことを、どうして甘受できようか。甘受できない。だから、
先に負けを認める必要はない。このように結論することができる。凡そ天賦の才能を
備えている者は、心があり、よく學べば、何事も達成することができる。
筆墨自書の八十七。庚子端陽撰重陽改訂、盛欣夫寧波魚公書院で。
正書は理にかない
行草は意境を求む。
篆、隷、魏、楷は正書、直書という。端正で、穏健で、精神
があり、威厳があり、整然として理に適っていることが重視さ
れる。行書や草書は、わがままにふるまい、フレキシブルで活
発で、自然な趣があることを提唱する。書き手の感情、喜怒哀
楽を加えて、思い切り表現することができ、絵の描寫と同じで
ある。自由でロマンチックで、あか抜けした自然である。悩み
を忘れて、自分を書くことは楽しい芸術であるといえる。
筆墨自書の八十八。丙申撰、庚子蒲月魚公盛欣夫が広徳湖で。
大所に墨をおき、心細やかに収める。
勢は形の間に布し、気韻は神情の中に。
寫意というのは、人の意を書くことである。大膽に墨を
つけるのは、構成が胸にあるためである。心細やかに収拾
するといっても、細かいことにこだわってけちけちするこ
とではない。大気に合わせて自由自在に操り、成否にこだ
わらないのである。成否は芸術家の常で、今日の失敗は明
日の成功につながる。形勢は無常で、公式もなく、大局だ
けを顧み、小事にはこだわらない。
筆墨自書の八十九。戊子撰、庚子仲夏崇徳魚公盛欣夫が
盛莊で。
大気でもひけらかさず、遅渋の中に張力を
育む。
著実であって鈍感ではなく、拙力で狂妄が
治る。
大気は枠組みであり、張力はエネルギー貯蔵である。
厚く蓄積してこそ薄く発するのは、心にものがあるから
である。賢い人は物売りに従事せず、芸術家は商法を研
究しない。単純、真率、無為こそ芸術の道である。
筆墨自書の九十。戊子撰、庚子中夏語渓盛家木橋魚公
盛欣夫が寧波盛莊で。
胸襟を大きく開き、得失を理解する。
自己を忘れ、境地に入る。
清の張庚は「書之大局、以気為主。字字有骨肉筋血、
以気充之、精神乃出、気韻有発於墨者、有発於筆者、有
発於意者、有発於無意者。発於無意者為上、発於意者次
之、発於筆者又次之、発於墨者下矣。」(書の大局は、
気韻を主として、文字ごとに骨肉筋血が完備して、気で
これを貫けば、精神が出てくる。気韻はある場合は墨か
ら発し、ある場合は筆から発し、ある場合は意から発し、
ある場合は無意識から発する。無意識から発するのを上
とし、意から発した場合を次とし、筆に発した場合は更
にその次とし、墨から発した場合は一番下となる。)と
言っている。とても深い見解である。取捨選択を獲得し、
自分を忘れ、無意識に発するのが境地だと私たちに教え
ている。
筆墨自書の九十一。丙申撰、庚子槐夏魚公盛欣夫記す。
心を沈めれば浮躁を抑制することができ、
品格が畫格を左右する。
線は技量を反映し、絵の中に徳行をうか
がうことができる。
書畫家、手仕事、技量の必要な仕事は、急ぐこと
はできない。絵は書き手のようであると知っている
上で、僥倖は求めない。一歩ずつ、著実に學ぶ。一
に一を足すと、二にならないと言っても、少しプラ
スはできる。0.1 でもプラスする。プラスがあれば上
達する。移り気ばかりで、いつも心が定まらないと、
結局は何もできない。だから品格道徳を先行させて、
芸術を純粋にする。
筆墨自書の九十二。戊子撰、庚子麥候崇徳魚公甫
之盛欣夫。
水墨雲煙の山は黛のようで、白い壁、青
い瓦はぼんやりとある。
天上の月宮の眺めかと思いきや、運河の
南津灣であった。
偉大なる祖先が筆を発明し、また書畫に適用す
る宣紙を発明した。これは中國の知恵である。筆、
墨、紙、硯に水を加えると、千変萬化できる。筆
墨で、書道で、物象を表現し、山水を表現すれば、
入神の域に達することができる。白黒で、江南の
水郷を書いて、ユーモアを添えれば、あるいは趣
を書き出し、精神を書くことができる。呉冠中の
筆による水郷は、白い壁に黛瓦が、明快で簡潔で
あり、自然の天成、すこぶるたくさんの趣がある。
これが水墨と自然である。
筆墨自書の九十三。戊子撰、庚子仲侶桐郷魚公
盛欣夫記す。
燕は柳の梢を切り、船と古い石橋の待ち合
わす。
水墨竹の瀛州、軽筆で漁樵を書く。
水墨で江南の春を表現すると、とても気楽で、自然
である。中國畫の水墨が滲み、江南の水郷を描くと最
高にマッチする。リズムが合い、適當で、詩の境地の
ようである。悠々として心を奪われて、長い間そこを
徘徊する。心が酔う。これが水墨江南で、絵の中に入
ることができ、千年前に帰えることができるかのよう
である。
筆墨自書の九十四。戊子撰、庚子純陽、魚公甫之記す。
柳のこずえが牛の背を払い、水煙が馬の頭
の周りを回る。
ざっと見ると墨がないところも、細かく見
ると淺い池である。
水墨の不思議なところが、雲煙の有無である。白い
壁には筆畫がなく、「黒い馬」には趣がにじむ。筆畫
がないのが境地であり、筆畫があるのが精神を出すの
である。人に連想させて、人に參加させて、人を感動
させて、それが境地である。水牛が水の中で沐浴する
のを、牛の背を半分だけ書いて、水の中の部分は絵が
ないだけではなく、少しの水さえ描かないのだが、池
の水がいっぱいあることを感じさせる。これは、水墨
の魅力、白黒の境地による。
筆墨自書の九十五。戊子撰、庚子伏月甫之盛欣夫が
寧波盛荘で。
雨は淡墨の跡、軽く付けると芭蕉の音。
古い家は濃墨で書き、薄く塗れば桃の花。
中國畫は形が似ていることを求めないので、焦點で
はないが、奧行きを分けて、精神、境地を強調する。
テーマに注意して、添えものを薄く書く。気韻じみた
生き生きした情景である。重い方は人の心に深くとど
めることができ、軽い方は芭蕉の雨に打たれた音がす
る。桃の花を見ると、春を感じ、幾筋かのスケッチで、
村娘の機織りの音が突然聞こえてくるようだ。これは
水墨の江南で、筆墨の味わいである。
筆墨自書の九十六。戊子撰、庚子荷月盛家木橋魚公
盛欣夫。
風が蘆を揺らし、軽舟は江に花を耕し。
船頭は棹をさし、家々は年々悠々としてい
る。
江湖の景に似ているが、テーマは二匹のナマズであ
る。船頭は畫家のように、何かを思い、何かの意境を
持っている。遊びも文化である。中國人が吉語を話し
て、祝福の言葉を口にするのも文化である。この文化
は人々を自分の夢を実現するように激勵している。庶
民の夢は毎年餘りがあることである。數千年、相変ら
ず。これは民間の文化、水墨の文化、庶民の願いである。
筆墨自書の九十七。丙申撰、庚子長夏魚公盛欣夫が
寧波盛莊で。
「二王」は唯一ではなく、
大道には「天才」が締め出される。
書を學ぶ人はたいてい「二王」が好きだ。羲 • 獻の字がよいだけでなく、
実用として用いることもできる。私はかつて「二王」を 30 年餘り追いかけ、
大いに得るものががあった。しかし、全國の學書者の多くが同じ道にひし
めいていたのでは、発展のためには不利である。競爭のメカニズムが足り
なくなり、超越意識が足りなくなり、時代精神が足りなくなる。とにかく、
自我と自信が足りなくなる。そこで、この十年間、私は「二王」を避けて、
楚簡から自信を取り戻した。実は、「二王」以外にも多くの小道がある。
王蘧常の章草、孫伯翔の魏碑はとても成功している。沈曽植は先に、「凡
治學、毋走常蹊、必須覓前人夐絕之境而攀登之、如書法學行草、唐宋諸家、
已為人摹濫、即學二王、亦尟新意。不如學二王之所出——章草。」(一般
的に學問をするなら、みんなについていってはならない。先人が歩いたこ
とのない小道を探して登る。例えば、草書を習ったら、唐人宋人の法帖は
すでに多くの人に勉強されていて、珍しくない。王氏父子を改めて學んで
も新しい意味がないので、王氏父子の習った章草を習うのがいい。)と言
っている。これは沈曽植の王蘧常への教戒である。王蘧常がそのとおりに
して、やはり実をあげた。
筆墨自書の九十八。己亥冬撰、庚子文月魚公盛欣夫記す。
木を二本植えて、
一面の林を造る。
2 本の木とは書と畫である。その実もう一つ筆と墨もあ
る。筆墨を遊ぶからには、この一つに専念してよい。林を
作るということは読書、例えば文史哲、あるいは詩歌賦で
ある。旅して世界を見て、山水の間を遊ぶ。一面の林はこ
の 2 本の木を擁護するためである。字の外の技量はまた筆
墨のために役立つ。自分に頼り、己が道を歩くことには福
がある。
筆墨自書の九十九。甲申撰、庚子星月崇徳魚公盛欣夫が
寧波で記す。
自然に任せれば
必ず自我がある。
この話は論理的にはあまり筋道が通っていない。問題は
自信である。「順其自然、不是任其自然。」(自然に従うのは、
自然の成り行きに任せることではない。)一字の違いだが、
違ったのは「順」の字のわずかな主動性である。いかだは
流れに沿って下り、危険な幹潟に出あうと竿 1 本で危険を
無事に乗り切って目的地に著く。ここにこそ自我がある。
その道理に従うので、疲れない。疲れなければ大丈夫で、
疲れないのもまた境地である。
筆墨自書の百。庚戌撰、庚子申月崇徳魚公盛欣夫が四明
広徳湖盛莊で記す。
何事についても何故かを知り、己を知って日々
を過ごす。
昨日を知ることは今日のため、今日を総括する
のは明日のため。
己を知ることは簡単ではないが、自分が今やっていること
を知らなければならない。理論とは実踐から生まれ、更に実
踐を導くことができる。伝統を理解してこそ、今をしっかり
と行うことができる。今日を上手に総括できて初めて明日を
続けることができる。だから、理論を実行するには、事実に
基づいて真実を確認し、「銅を山で採掘」しなければならな
い。古いもののよさを生かして新しいものを作り出して初め
て発展することができる。「舊銅再生」はできず、私慾を持ち、
子どもになるのはよくない。健康な學術は、學養を健全にし、
作用を発展させ、筆墨を內包する。むしろ小善にして、慎重
に物事を言い、山のてっぺんに立たず、己の朋黨を樹立しな
いようにする。地に足が著き、明日のために行動する。
筆墨自書の百又一。庚子立夏撰、同歳夷則、魚公盛欣夫記す。
伝統は道であり、
時代は駅である。
伝統を受け継ぐことは手段とも言える。伝統という道を歩むことは、多利少害である。
先人が私たちのために多くの礎を築いてくれたからである。古人の知恵を集めた上で、時
代に負けない作品を創作することこそ、正道又は大道である。先賢が用意してくれた既成
條件を斷る理由はない。
古今の人の長所を學び、己の短所を補ってこそ、やりたいことが実現できる。今これら
の蓄積を書いて、くどくど言っているように見えるが、とても誠実なことだ。異なる角度
で主題をぎゅっと締める。作者は筆墨を命のように大切にして、真剣に純粋で、責任を持
って、少しも保留せず、心を文に書く。「橫はなぜ左が低く、右が高いのか」、「字を二
重に広げない」、「出鋒すれば気が漏れる」、「造型八象」、「用色八易」など、一部で
は初めて成文化された。みなと議論し、切磋琢磨して、共に書畫事業のために何かをしよ
うと思う。
芸術は感性的で、理論は理性的である。だから切磋琢磨が必要で、発展も肯定的なこと
である。
人は世の中には元々用がなく、小道を歩みながら時間を過ごす。
魚公は以下のように言っている。
古を學ぶのは、自我を探すため。
リラックスするのは、本當の自我を解き放つため。
イキ リラックス 自己を書く
人はこの世に生まれ、本來なら他の事はしません。自分で自分を律し、他人を裡切りもしません。
まだ餘力あれば、素晴らしい事をやればいいのです。
人類のために何かをやる人はすばらしいです。當然、自然界の他の生き物に損害を與えないこと
を前提に、己のできる事をやればいいのです。
私にできる事は、筆墨だけ、人生七割の時間を筆墨に費やしましたから。60 年以上筆墨に費や
した時間の中、遠回りしたのも経験し、辛い事もたくさんありました。幼い頃、祖父•盛守仁先生
に啟蒙を受け書を習い初め、1970 年、河北獲鹿県小壁農場では、張仃先生の指導を受けました。湖
州で譚建丞先生の教え授けを受け、鄒夢禪先生門下に入ってから少しずつ上手になりました。多く
の先生に導いてもらい、古書の中で古人と交流し、少しずつ成長してきて、伝統を如何に守ってい
くことかがわかり、基礎を伝承した上で時代を書き、天賦と芸術言語の契合點を探り出すことがわ
かりました。この過程は長く、たくさんの精力を払いました。幸い初心を忘れず、使命を忘れず、
先祖の訓を守り続け、柯先生の催促や監督もなまけずにしてきました。すべての問題は段々と明ら
かになり、古人に學び、心境をリラックスし、自分を描くようになりました。古人の繰り返しやそ
のまま伝統を真似するのではありません。今日『書畫釈疑』を上梓し、皆様が時間を少しでも省き、
迷わないように、最少の時間で、より良い自分を書せることを願っています。私には責任があります。
社會は発展し続け、時代は前進していくなか、書法も例外ではありません。私たちは自分に問い続
けるべきで、古人との差を探り出し、短所を直し、追い続けるといいでしょう。書畫を不景気から
救い出すことだけは私たちの世代で終わらせなければいけない事だと思います。
『書畫釈疑』ができたのは柯文輝先生のおかげで、先生の提案、お世話、催促の下で完成しまし
た。2015 年の春、柯先生が私の『行草十八要旨』に序を書いてくれた時に指摘し、『要旨』の基礎
の上でさらに長く広く書くがよし、読書、創作中で実感したものを文字にし、時代に合わせた本に
すべきだと言いました。現在書壇畫壇に欠けているのは実在、明白な理論でしょう。この事をやり
遂げるには徳、才、學がなければならず、貴方には責任感を持つすべきで、考えておくようにと話
してくれました。今でも、將來にも悪い事ではありません。當時は少しプレシャーを感じ、しぶし
ぶと受け取りましたが、毎回電話の中で捗りを聞かれた途端、言葉に詰まっていました。引き延ば
す理由はどんな形で表現するのかわからないとしました。確かに、些細な問題が多く、矛盾し複雑で、
如何に整理し貫き、また合理的な答えもしなければいけないので難題だと思っていました。2019 年
まで、筆墨手札の形を思いついた後、やっと手がかりがつかめました。離す事も分けることもでき
ます。中國畫の散點ぼかしのように、一筋のロジックで貫くのではなく、千を一に纏めたロジック
の概念だと思いました。2020 年、謝客を斷り、原稿を何回も修正し、友人たちに評論、分析された
後、この原稿はやっと完成しました。わざと 77×47cm 寸法を注文し、ちょっと個性的だと自覚して
いますが、やはり望み通りにはいきませんでした。しかし、今のこの內容をきちんと皆様に読んで
いただいたく、是非ご意見を聞かせてください。
『書畫釈疑』を日本語版にすることも前からの願望でした。恩師鄒夢禪先生は 35 年前に日本で
書法篆刻展を開こうとし、日本文部省から誘いがありましたが、準備の途中に先生が病気で亡くな
ってしまい、とても殘念なことになってしまいました。中日書法のために何かをしたいとずっと考
えていましたので、本書により恩師と自分の宿願を果たしたことにもなります。去年寧波大學梅法
釵院長から東京書法家藍田さんが書いた小行書をいただき、豆粒大の字に、法度が精厳であると感
じました。國內においても、実に珍しく、立派だと感じました。中日書法は同源異流で、頻繁に交
流すべきで、本書を日本語に訳すのもその一つだと思います。中日書法が共に発展し、また中國文
化を國際舞臺に立たせるため、力を盡くすべきだと考えています。
『書畫釈疑』を整理している途中、多くの方々から支持と指導を受けました。徐仲偶院長、梅法
釵院長、李福安院長、國宇主席、鄒大鳴主席、王毓芳社長、程寶泓院長、萬伝根理事長、呂建明副
院長等。また許巖、陸明、徐樹民、周乾康、晉鴎、李子等多くの同仁に多忙の中で真面目に読んで
いただき、及び日本語には日本都留文科大學草津祐介教授、友人の岸田紳さんに指導していただき、
また高逸仙、盛新利、王美紅、陳黃婉優及び家族のサポートに合わせて感謝いたします。
本書の上梓にあたり、桐郷市文化と広電旅行體育局、君匋芸術院のサポートと、西泠印社出版社、
高美印務と日本語翻訳のサポートにも感謝いたします。皆様のご支援があったからこそ、この本を
仕上げることができました。恩返しとして、それが故郷への愛情を込め、『書畫釈疑』原稿を君匋
芸術院に寄贈いたします。保存と伝承をすること、私の願いでもあります。
最後に『中國美術報』『書法導報』『書法報』及び『東方』雑誌の長編報道と全文連載に感謝い
たします。伝統文化が皆様の心の中での地位を佔め意味が理解できますように。中國文化を、代々
伝え、子々孫々、永世絶えずに。
先人に感謝いたし、後世にも感謝いたします。
盛欣夫
2021.1.27 魚公書院で