在開始本期旅途之前,想向各位讀者簡單說明一下雪椿的新氣象。
我們新設了三個欄目,分別是介紹日本文化的和物語,分享日本旅遊見聞的旅行記,還有推薦喜愛珍藏的玉手箱。三個欄目將不定時穿插出現。
與起初設想不同,本期及今後的文章將出現部分中日文對照。這是希望讓更多讀者能夠閱讀我們的文章。要特別說明的是,我們都不是翻譯、文學專業的,中日互譯基本上是意思傳達到了就好。若有錯誤,還望讀者包容指正。
- 旅行記 -
1日目 | 第一天
2017年の夏,私たちは関西國際空港に降り立った.大學院の友人たち,3人の旅である.私たちはまず、JRで兵庫県明石駅へ向かった.明石駅でレンタカーを借りて,明石市から淡路島を通って徳島県へと向かった.2017年夏,我們降落在關西國際機場。我和研究生時期的朋友一起,開始了3人的旅行。我們首先乘坐JR (日本鐵道) 前往兵庫縣明石站,然後在明石站租了一輛車,驅車從明石市出發,經淡路島前往德島縣。明石駅から眺める明石城.お堀の手前に「全國高校軟式野球選手権大會」の看板が見える.いわゆる夏の甲子園大會は高校硬式野球の全國大會であり,兵庫県西宮市で開催される.一方で,高校軟式野球の全國大會は同じく兵庫県明石市で開催されるのである.明石海峽大橋を渡る.全長3,911m,中央支間1,991mの世界最長のつり橋である.主塔の高さは298m.運転中に見上げると眩暈がしてしまうので要注意.
我們驅車穿越明石海峽大橋。這是世界上最長的懸索橋。全長3911米,主跨長1991米,主塔高298米。要十分注意的是,開車時抬頭望會感到頭暈。
淡路島のパーキングエリアで小休止.とてもきれいなパーキングエリアで,中には淡路島でとれた農産物やレストラン,パン屋などがあった.
我們在淡路島的停車休息站短暫休憩。這是一個非常漂亮的休息站,裡面可以購買淡路島上種植的農產品,還有飯店和麵包店。
淡路島から見た明石海峽大橋(向こうが本州,手前が淡路島).パーキングエリアから明石海峽大橋を一望することができる.
這是從淡路島眺望明石海峽大橋 (對面是本州島,眼前是淡路島) 的景色。從休息站望出去,明石海峽大橋一覽無遺。
淡路島から鳴門海峽大橋を渡って,徳島県鳴門市に入った.そのまま下道を走って,香川県高松市に向かった.寫真は淡路島の風景である.淡路島の山も四國の山も,低くて形がぎざぎざしている印象がある.
從淡路島跨越鳴門海峽大橋,我們進入了德島縣鳴門市。沿著道路一路向前,前往香川縣高松市。相片是淡路島的景色。淡路島和四國的山都很矮,像參差不齊的鋸齒。
高松市では高松名物の鶏の丸焼きを食べた.寫真は夜の高松駅である.県庁所在地の駅であるのに,人はほとんどいなかった.瀬戸大橋ができる前は,四國と本州は高松駅と岡山県の宇野駅の間を結ぶ,宇高連絡船によって結ばれていた.しかし,瀬戸大橋の開業後,高松駅は往時と比べてひっそりとしている.この日は香川県善通寺市のホテルに泊まった.
我們在高松吃了當地名產烤全雞。相片是夜晚的高松站。雖是縣廳所在地 (相當於中國的省會) 的車站,但幾乎見不到人影。在瀨戶大橋建成之前,四國和本州之間通過連接岡山縣高松站和宇野站的宇高渡輪相連。在瀨戶大橋通車後,高松站變得寂靜起來。這天晚上我們住在香川縣善通寺市的一家酒店。
2日目 | 第二天
善通寺の朝.ホテルの窓から外を見る.前日は夜中に著いたので,朝起きてみて初めて,善通寺の街並みを見た.やはり,四國の山の形はどこか変だ.
這是早上從善通寺的酒店窗戶望出去的景色。因為我們是前一天的半夜才到這裡的,所以早上起床後才第一次看到了善通寺的街道。果然四國的山看上去還是覺得形狀哪裡怪怪的。
若者らしくない,渋いホテルに泊まったようだ.(右側の避雷針が屋上にたくさん立っているところがホテル)
看來我們似乎住在了一家不像是年輕人會來的、簡陋的酒店 (右邊天台上立著很多避雷針的就是我們的酒店)。
香川といえば讃岐うどん.朝ご飯にうどんを食べに行った.香川県にはそこらじゅうにうどん店がある.香川は車県(註:自動車の保有率が高い県)なので,どこのお店にも広大な駐車場があり,駐車場には困らない.朝からたくさんの人がうどんを食べに來ていた.
說到香川就不得不提贊岐烏龍麵。我們早餐去吃了烏龍麵。香川縣到處都是烏龍麵店。由於香川是車縣 (汽車持有率很高的縣),所以每家店都有超大的停車場,完全無需擔心停車問題。一大早就有很多人來吃烏龍麵。
今日は善通寺から,國道438號線を通って,徳島県の祖谷に向かう.平地を離れて,どんどん深い山の中に入っていく.寫真は道の駅で休憩しているときのものである.このときはまだ平和だった.
今天我們從善通寺出發,沿438號國道前往德島縣的祖谷。我們離開平原,漸漸進入大山的深處。這張照片是我們在路邊車站休息時拍的,那時候一切都還很平靜。
車は渓谷の中を走っていく.車の右側にきれいな清流が流れていることに気づいた.車を道端に停めて,川に下りた.こんなにきれいな渓流に觸れるのは初めての経験だった.河床はエメラルドグリーンで水に濁りはない.
車在山谷間行駛。我們突然發現右側流淌著一條清澈的山溪,便把車停在路邊,下到溪邊。這是我第一次近距離接觸到這麼美的山溪。河床翠綠,溪水清澈見底。
川の上流側.流れは急で,白い水しぶきとごつごつした巖場が印象的である.
溪流上遊水流湍急,白色的水霧和嶙峋的巖石讓人印象深刻。
川の下流側.長い年月をかけて,流れが地球を深く削っている.向こうに釣りをしているおじさんがいた.
這是溪流的下遊。歷經漫長的歲月,水流一點一點地將地球往深處削切而去。對面有個大叔在釣魚。
地元の方言による注意喚起の看板がおもしろかった.共通語では「泳げない」に対応する.否定の意味の「ない」を「ん」に置き換えるのは,広く西日本の方言に見られる特徴である.しかし,共通語で「あぶない 泳がれない」と看板に書くと違和感があるが,方言であれば違和感はない.方言と共通語は必ずしも一対一対応していないところがおもしろい.
用當地方言引起注意的警示牌很有趣。意思對應標準語的 「不可遊泳」。這是西日本方言的常見特徵,以 「ん」 代替 「ない」,表否定。若變成標準語 「危險 不可遊泳 (此處在日語標準語中用詞有些許怪異)」 會讓人覺得有點兒奇怪,若是方言則不會覺得違和。由此看來方言和標準語間並不總是一一對應,這很有意思。
山が深くなるにつれて,道はどんどん細くなっていく.とうとう一車線になってしまった.向こうから車が來たらすれ違いができない.どちらか一方の車が,すれ違いできるところまで後退する必要がある.しかも,ガードレールの向こうは斷崖絶壁である.私たち3人は都會暮らしであるので,全員運転はほとんど初心者のようなものである.本來私たちのような技量の者どもは,挑んではならない道だったのである.
山愈深,路愈窄,最終變成了單行道。如果有車從對面過來,則完全沒有會車的空間,其中一方需要倒車,直到有空間會車為止。不止如此,道路旁的護欄外側還是斷壁絕緣。我們三人都生活在城市裡,於開車也幾乎是初學者。這樣的道路本不應該是我們這個水平的人輕易挑戰的。
正直,この旅行に參加したことを後悔する瞬間は何度もあった.この山を通り抜けるまでの間,斷崖絶壁の上を走り,何度も何度も死ぬような思いをしたからである.最も死を覚悟したのは,カーブの向こうから突然大型バスがあらわれたときである.このときはパニックで寫真をとっている餘裕はなかった.そもそもこんな道を大型バスが通ろうとすることが無謀である.パニックになる私たちを,向こうのバスの運転手は感情のない顔で見つめていた.思考停止してその場で立ち往生してしまった私たちを見かねて,バスの運転手は,私たちの車とすれ違いできるところまで後退してくれた.大型バスにとっては幅員ギリギリ,ハンドル操作を少しでも間違えると奈落の底に落ちてしまうような道である.命を救ってもらったのである.このとき以來,私はプロドライバーに対する尊敬の念を新たにした.
實話說,我曾有很多瞬間後悔參加了這次旅行。當我們驅車在懸崖峭壁上的道路上飛馳,直到最終穿越這座山,這期間我覺得自己仿佛一次又一次地死去。離死亡最近的一次,是當一輛大型巴士突然從彎道前面出現時。由於當時我們陷入了極度恐慌,誰也沒有心思拍照。大型巴士在這種道路上行駛本就是近似胡鬧的行為,而就在我們驚慌失措的時候,巴士司機居然面無表情地注視著我們。看見我們仿佛停止了思考,進退維谷,巴士司機這才開始倒車,直到兩車能夠騰出位置交錯而去。這是一條對於大型巴士來說寬度勉強足夠,哪怕是方向盤上的一點錯誤,都有可能會讓整部車墜入深淵的道路。巴士司機 「救」 了我們的命。從那時起,我重新對司機這一職業充滿了敬意。
時折,集落に遭遇する.集落は山の中に突如としてあらわれる.寫真の奧に見えるのは學校だろうか.こんな山奧にも人は生活していて,子供たちは學校に行っているのだ.
我們偶爾會遇到一些村落。它們就這樣突然出現在山裡。相片裡後面的建築大概是一所學校吧。這樣的大山深處也有人生活著,這裡的孩子們也在上學。
命からがら,祖谷のかずら橋に到著.
劫後餘生的我們,終於到達了祖谷的蔓橋。
目的地の日本三大奇橋,かずら橋.かずらという植物で作られているものの,ところどころ鋼で補強されているので安心して渡れる.ここにたどり著くまでの間に経験したことと比べると,この橋を渡るのはさほど怖くなかった.
這一站的目的地是日本三大奇橋之一的蔓橋。雖然它是用藤蔓做成的,但處處用鋼筋加固,所以可以安心渡橋。與我們到達這裡之前所經歷的一切相比,跨越這座橋變得不那麼可怕了。
徳島県の祖谷は平家の落人伝説の土地である.12世紀末期の源平の合戦で敗れた平家の人々が,この深山幽谷の地に住みついたと伝えられている.この,かずら橋の由來については諸説あるが,源氏の追手が來た時に,容易に橋を切り落とせるようにとも言われている.
德島縣祖谷市是流傳著平家落人傳說的土地。傳說12世紀末在源平合戰中戰敗的平家逃亡者,後來便定居在這深山幽谷之中。關於這座蔓橋的由來有許多說法,其中一個是當源氏的追兵到來時,可以輕易切斷蔓橋,截斷追擊。
橋の下には河原がひろがっており,水遊びをすることができる.
橋下有連綿的河灘,可以盡情地戲水。
遠くでおじさんが遊んでいる.
遠處有個大叔在遊玩。
祖谷の集落.祖谷には平地がない.そのため,駐車場を作るにしても大規模な足場を組む必要がある.
遠處可以看見祖谷的村落。祖谷沒有平地,所以修建停車場也要搭建大型的腳手架。
私たちは日が暮れないうちに祖谷を後にした.私たちは徳島県から四國の西,愛媛県松山市に向かった.
我們趕在日落之前離開了祖谷,從德島縣繼續驅車前往四國西部的愛媛縣松山市。
つづく | 未完待續