火の発見とエネルギー革命、歴史を変えたビール・ワイン・蒸留酒、金・銀への欲望が世界をグローバル化した、石油に浮かぶ文明、ドラッグの魔力、化學兵器と核兵器…。化學は人類を大きく動かしている――。化學という學問の知的探求の営みを伝えると同時に、人間の夢や欲望を形にしてきた「化學」の実學として面白さを、著者の親切な文章と、図解、イラストも用いながら、やわらかく読者に屆ける、白熱のサイエンスエンターテイメント『世界史は化學でできている』が発刊された。
池谷裕二氏(脳研究者、東京大學教授)「こんなに楽しい化學の本は初めてだ。スケールが大きいのにとても身近。現実的だけど神秘的。文理が融合された多面的な「化學」に魅了されっぱなしだ」と絶賛されたその內容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。
金は文字通り黃金色の美しい光沢を持つ。化學的に非常に安定で腐食しにくいので、黃金色の輝きをいつまでも失わない。人類がもっとも古くから利用してきた金屬の一つで、世界中で通貨や裝飾品として珍重されてきた。
たとえば、『舊約聖書』には金についての多數の記載があるし、メソポタミアのユーフラテス川下流域右岸のシュメール人が建設した都市國家ウルでは、紀元前三〇〇〇年頃、すでに優れた金製の兜などがつくられていた。
また、エジプトの遺跡から発掘された多くの豪華な金製品はよく知られている。紀元前一三〇〇年代に在位したツタンカーメン王の墓からは、王のマスク、椅子、寢具、裝身具など四〇〇〇點以上の金製の副葬品が出土した。
紀元前三〇〇〇~紀元前一二〇〇年頃栄えた、トロイ、クレタ、ミケーネのエーゲ文明も金製品を多く殘した。紀元前六世紀~紀元前四世紀頃、南ロシア草原地帯を支配した騎馬遊牧民スキタイのスキタイ文化では、武器・馬具などに施された動物文様と豊富な金の使用が特徴だった。
金は、人間の異常な欲望の源ともなり、中世の錬金術の流行を生み出すもとにもなった。さらには、世界の未知の地域に黃金郷(エル・ドラド)を求める衝動を強め、それがやがて大航海時代へと導き、世界をグローバル化させた。大航海時代とともに出現したヨーロッパの強國は、いずれも金・銀を國家の富として集積したのである。以降も、十九世紀の大英帝國、二十世紀以降のアメリカなどは世界の金の大半を集積した「金の帝國」でもあった。
金はやわらかい金屬で、その延びは驚異的だ。金一グラムから二畳分以上の金箔ができ、三〇〇〇メートルの金線にできる。
金は純金のままではやわらかすぎるので、銅、銀、白金などとの合金として用いられることが多い。合金としての品位は、カラット(K)で表す。カラットは純金を二四K(金一〇〇パーセント)とし、たとえば金貨は二一・六K(金九〇パーセント)、裝身具一八K(金七五パーセント)、萬年筆の金ペン一四K(金五八・三パーセント)などだ。もっとも低い一〇Kで、金の含有率は二四分の一〇だから、金四一・七パーセントになる。
金は耐食性に加えて熱や電気の伝導性にも優れているので、通貨や寶飾品として使われる以外にも、電子部品の端子やコネクタ、集積迴路に金めっき処理して使用されている。
また、赤外線をよく反射する性質があるため、人工衛星の外面に斷熱材として金箔が貼られる場合がある。アメリカのスペースシャトル・コロンビアには約四〇キログラムの金が使われていたし、日本のJAXA(宇宙航空研究開発機構)が開発したH-Iロケットの主エンジンにも約五キログラムの金が使われた。
これまでに採掘されて精製加工された金の総量は、二〇一九年末で約二〇萬トンになる。これは、水泳競技用の五〇メートルのプール何杯分にあたるだろうか。金は密度が大きいので、これまでに採掘された金は、わずか五〇メートルのプール四杯分程度なのだ。
二〇一九年の鉱山からの金産出量は世界全體で三三〇〇トン。二〇一八年の三二六〇トンから四〇トンの増加だ。國別ではシェア一位は中國で四二〇トン、二位豪州で三三〇トン、三位ロシアで三一〇トン、四位アメリカで二〇〇トン、五位カナダで一八〇トンだ。以下、インドネシア、ガーナ、ペルー、メキシコと続く。
かつては南アフリカが首位だったが、二〇〇七年に世界一の座を中國に譲り二位に、二〇一九年には一二位まで転落した。
(參考:U.S.Geological Survey , Mineral Commodity Summaries 2020)
古代から現代まで、砂金や自然金が豊富に土砂のなかに存在する場合に金を採るための「特別な方法」がある。まずもっとも原始的な「パン」(洗面器のようなパンニング皿)でふるいを行う。パンに土砂と水を入れてゆすると、密度の大きな砂金がより分けられるのだ。
金鉱山(銀鉱山などでも)で金鉱脈をふくむ巖を掘り進めるのは、長いあいだ、タガネとハンマーだけの手掘りだった。十九世紀中頃に蒸気力による穴開け機・削巖機が現れてから、圧縮空気で動かすようになり、さらに油圧を使うようになった。さて、次の革命的な出來事は巖石を爆破するダイナマイトの発明だ。
こうして得られた鉱石は、古代では石臼と鉄のきねで粉砕された。十五世紀には水力、つまり水車の動力を使うようになり、十六世紀に栄えたボリビアのポトシ銀山でも使われた。現代でもこれを改良した機械が用いられている。
金を分け取るには、水銀に溶かし込むアマルガム法が古代から用いられた。金は常溫で液體の水銀に溶け込み、水銀との合金であるアマルガムとなる。このアマルガムを加熱して水銀を蒸発させれば金が殘る。この方法は古代から知られていた。
しかし、水銀は貴重な金屬なので、アマルガム法に代わる方法が探し求められた。それが十九世紀に導入されたシアン化法である。
シアン化法は、シアン化カリウム(青酸カリ)水溶液が金を溶かすことを利用した方法だ。細かく粉砕した鉱石を、シアン化カリウム水溶液のタンクに入れて、よく空気にふれるようにかき混ぜ、金をイオンとして溶かし込んだ溶液をつくる。この溶液に亜鉛を入れると、イオン化傾向が大きな亜鉛がイオンになり、金を取り出すことができる。シアン化法で金の含有量が少ない低品位鉱からも金を抽出することが可能になったのだ。
元法政大學生命科學部環境応用化學科教授『理科の探検(RikaTan)』編集長。専門は理科教育、科學コミュニケーション。一九四九年生まれ。千葉大學教育學部理科専攻(物理化學研究室)を卒業後、東京學芸大學大學院教育學研究科理科教育専攻(物理化學講座)を修了。中學校理科教科書(新しい科學)編集委員・執筆者。大學で教鞭を執りつつ、精力的に理科教室や講演會の講師を務める。おもな著書に、『面白くて眠れなくなる化學』(PHP)、『よくわかる元素図鑑』(田中陵二氏との共著、PHP)、『新しい高校化學の教科書』(講談社ブルーバックス)などがある。