本譯文由知諸學院原創,轉載請註明出處
「おざなり」と「なおざり」の違いがわからないのだが、どう區別すればいいのだろうかという質問を受けた。
有人向我提出了這樣的問題:不知道「おざなり」和「なおざり」的差異,這兩個詞要如何區分。
このふたつのことばの関係は、確かに不思議だ。順序が違うだけで、どちらも「お」と「ざ」と「な」と「り」の同じ4文字で成り立っているではないか。まるでアナグラムである。なんともまぎらわしい。
這兩個詞的關係確實不可思議。只是假名順序不同,兩者都是由「お」、「ざ」、「な」、「り」這四個相同的假名組成的,就好像字謎遊戲一樣,實在是不好分辨。
漢字で書くと、「おざなり」は「御座形」、「なおざり」は「等閑」となる。おそらくどちらも當て字であろう。「なおざり」の方の「等閑」は「とうかん」と読むと、「なおざり」とほとんど同じ意味の漢語となる。
如果書寫成漢字的話,「おざなり」為「御座形」,「なおざり」為「等閑」,恐怕兩者都是假借字。如果把「なおざり」一詞的當用漢字「等閑」讀成「とうかん」的話,就成為了與「なおざり」大致相同意思的漢語詞。
「おざなり」はふつう、「いいかげんに物事をすること。その場のがれで誠意のないさま。まにあわせ。」という意味とされる。また、「なおざり」は、「深く心にとめないさま。本気でないさま。いいかげん。通りいっぺん。かりそめ。」などと説明される(『日本國語大辭典 第2版』)。
「おざなり」通常是指「不徹底地做事、敷衍了事。應付一時、沒有誠意的樣子。權宜之計、臨時湊合」的意思。而「なおざり」則被解釋為「沒有放在心上的樣子,不當真的樣子。含糊、不徹底,敷衍了事。泛泛,籠統。暫時,臨時。」等(《日本國語大詞典 第2版》)。
これらの語釈からも分かるように、この2語は「いいかげん」という點で共通しているのだが、何かを行うとき「おざなり」は、その場のがれであまり真剣には取り組まないという意味を表すのに対して、「なおざり」はその物事にあまり注意を払わないという意味が強いように思われる。
從這些詞語的解釋中也可以了解到,這兩個詞在「いいかげん(含糊、不徹底)」這一點上意思是共通的,但是「おざなり」表示「當場逃避,不認真地做」的意思,與此相對,「なおざり」一般被認為表示「對事物不太注意」的意思較強。
「おざなり」には江戸時代のものだが、こんな用例がわかりやすいのではないか。
關於「おざなり」,下面這個江戶時代的例句就十分淺顯易懂。
「お座なりに芸子調子を合はせてる」(雑俳『柳多留‐五八編』(1811年))
「藝妓伴著醉客的歌聲隨口附和著。」(雜俳《柳多留-五八編》(1811年))
芸者が酔客の歌に「ああ、こりゃこりゃ」などと、まったく心がこもらず適當に合いの手を入れているのであろう。
藝伎聽著醉客唱歌,一點都不真誠地隨聲附和「啊,真好真好」來喝彩助興。
「なおざり」には、このようなわかりやすい用例はあまりないのだが、たとえば、「どうも児供(こども)の時教育を等閑(なおざり)にしたものには困る事が多いもので」(永井荷風『地獄の花』1902年)のように使われる。教育をじゅうぶんにしなかったという意味である。
「なおざり」沒有這麼淺顯易懂的例句,一般是被這樣使用:「孩時不重視教育的話,就會遇到很多難以處理的事」(永井荷風《地獄之花》1902年),意思是沒有做充分教育。
ちょっと亂暴かもしれないが、「おざなり」=なげやり、「なおざり」=ほったらかし、ということになろうか。
雖然這麼說有點籠統,但可以把這兩個詞總結為:「おざなり」=なげやり(敷衍了事)、「なおざり」=ほったらかし(不管不問、置之不理)吧。
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