我們都知道「になる」是表示變化的語法,那麼「ようになる」呢?在日語學習中,我們經常會碰到「ようになる」這個句型,該句型主要可以概括為以下兩種用法:
(1)日本語が話せるようになりました。
(1)我會說日語了。
(2)我々二人は妙にいらいらとして神経質になり、相手の一寸した過ちにもきつい目をむけるようになっています。
(2)我們兩個人都變得神經質,會因為對方的一點點過錯就看不慣對方。
我們一般把「ようになる」作為表示狀態變化的表達方式。如(1)中,表示從以前不會說日語的狀態到現在會說日語的狀態變化過程。而在(2)中,「我々二人は妙にいらいらとして神経質になり / 我們都變得神經質」的部分主要表示的是主體的心理變化,然後在周邊環境的影響下,主體自然而然地做出了「きつい目をむける / 看不慣」這種行為。
在學習中,不難發現,有的同學對此句型有一定的不解。本文將對此句型進行簡單地分析,主要從表示狀態變化「ようになる」這一方面進行探討、分析。
「ようになる」一直作為表示狀態變化的句型出現。關於這一點,松岡弘認為「ようになる」描述的是以前沒有的狀態現在出現了。他列舉的例句如下:
(3)油をさしたら、ドアがスムーズに開くようになった。
(3)加了油之後,門就順利地打開了。
(4)私は毎朝朝食を食べるようになった。
(4)我現在每天早上都吃早餐了。
例(3)表示的是本來是不處於「スムーズに開く / 順利打開」這個狀態的門,現在處於「スムーズに開く / 順利打開」的狀態。(4)中,雖然使用了「食べる」這個意志動詞,但「食べるようになる/(變得)開始吃」並不表示一直的動作,而是自然而然地到達了該狀態。
(5)眼鏡をかけたら、黒板の字が見えるようになりました。
(5)戴上眼鏡,就可以看到黑板上的字了。
(6)東京の近郊に紅葉が見られるようになるのは十一月の半ばごろである。
(6)到十一月中旬,才能看到東京附近的紅葉。
(7)赤ちゃんはずいぶん活発に動くようになりました。
(7)嬰兒變得好動起來了。
(8)日本人も以前に比べれば肉をたくさん食べるようにはなったが、ヨーロッパ諸國やアメリカに比べると、國民一般の肉類消費量はお話しにならないほど少ない。
(8)跟以前比起來,日本人的食肉量已經有大幅增長,但是跟歐美國家比起來,還是少得可憐。
(5)、(6)中,「ようになる」接在非意志動詞後面,表示事物的自然變化。「見える」「見られる」這種狀態是不受人為控制的。(7)、(8)中,「ようになる」 接在意志動詞後面,並不表示自然變化,而是客觀地敘述狀況的變化。
綜上所述,「ようになる」接在動詞基本型後面,表示從不可能的狀態變成可能的狀態,或者表示主體開始做以前不會做的動作。