イギリスの詩人、ウィリアム·ブレイクの「無垢の予兆」Auguries of Innocence)という長編詩の冒頭の4行は、多くの人に知られている。「一粒の砂にも世界を/一輪の野の花にも天國を見、/君の掌のうちに無限を/一時のうちに永遠を握る」(松下正一訳)。そしてまたこの句は、寫真撮影について語るに、意外に適切ではないかとも思われるのだ。
個展を「遙かなる餘韻」と名付けた理由について、日本の女性寫真家である広瀬明代氏は、「あの時、確かにそこにあった真実と感情。現像液に浮かび上がるイメージは、靜かに、優しく、確信をもたらす。遙かなる時の餘韻である。時空を超えたネガはようやく語り始めた」と、個展の小冊の前書きにこう書いている。
1989年3月、つまり30年前、広瀬氏は35ミリレンズの著いた一眼レフを首から提げて、中國の北京、上海、広州の3都市を旅行した。そのとき撮った寫真の中の51枚を、「遙かなる餘韻」と題して、2019年の年末に上海で展示した。
常に首からカメラを提げている広瀬氏
「この寫真展のことを新聞で知ったので、わざわざ見に來ました。カメラを持ってきてよかったです!」。來場者の女性は、上海語で嬉しそうに言った。なぜならさっき広瀬氏と記念寫真を撮ったからだ。そしてその記念撮影の後、広瀬氏はいつも首から提げているカメラを手に持ち、「あなたの寫真を撮ってもいいですか?」、と尋ねて、すぐにシャッターを押した。
30年前にも広瀬氏は、このように中國の街を歩いていた普通の人々にレンズを向けて、笑顔の一瞬を捉えたのかもしれない。
「スナップが好きだ。人や街が靜止した表情は、そこにある生活を物語るから」。
こう考える広瀬氏は、當時の北京、上海、広州の街角で、おもちゃの鉄砲で遊ぶ子供、仕事を終えて建物から出てきた人々、ミシンのそばで微笑むおばあさん、平和飯店で出會った人々など、いろいろな人々の様子をフィルムに寫し摂った。
これらの寫真は、今、30年後の上海の展示館で、靜かに昔の中國の都市生活を物語っている。
「停止線で止まる自転車」(上海)
広瀬氏は當時を振り返って、「人が人に興味を持つ時代だった」、と思うそうだ。
30年前の旅で北京から広州に向かった時、広瀬氏は寢臺車に乗った。そこで上海から出張したビジネスマン2人、アメリカ人の留學生1人と知り合いになり、楽しい時間を過ごしたという。実はその時、広瀬氏も同行の日本人3人も中國語を話せなかったが、筆談で交流できたそうだ。
「非常に楽しかったです。今振り返てみると本當に不思議な感じです。列車が広州に到著して別れなければならなくなった時、自分が泣いたことを覚えています」、と言った。
これは30年前の中國旅行で一番記憶に殘ったことだ。しかし、今の時代なら、列車に座って対面になっても、自分の攜帯を見つめて何の交流もせずに、目的地に到著することを待つのが普通だろう。
寫真撮影もそうである。「(30年前に)寫真を撮っていると『あなたは何者?』『何をしているの?』、と言いたそうに、こちらを見る人が多かった。笑う人も怒鳴る人もいたし、何かを話しかけてくる人もいた。國も時代も違うけれど、今、東京で寫真を撮っていても、人は攜帯端末に視線を落としたままだ」、と広瀬氏は語る。
寫真を鑑賞する來場者
1989年3月は中國にとっては「改革開放実施開始10周年」を意味し、日本では「平成時代の始まり」を意味する。その同じ時空にいた被寫體と寫真家であるが、時間の意味は両者では異なっていた。
1989年は平成元年であり、広瀬氏が寫真家としてのキャリアを始めた年でもある。それに対して、今年2019年は、平成最後の年であり、寫真家としての30周年でもある。これに込められた特別な意味は、日本の年號とは縁のない中國人の來場者には、たぶんわからないだろう。
展示されている寫真は51枚だけだが、広瀬氏はこの展示會のために約2年前から寫真選びや暗室作業を始めた。フォトプリンター1臺で自宅でも手軽に寫真を印刷するという簡単な寫真印刷とは違い、モノクロ寫真の暗室作業にはかなり時間がかかる。広瀬氏によると、いい寫真を印刷するには1〜2週間もかかる時もあり、操作を何回も繰り返す必要があるという。
まさにその長い時間がかかる作業の中で、ネガにイメージが浮かびあがるにつれて、広瀬氏の心の中にしまい込まれていた30年前の記憶も、すこしずつ回復し始めた。人々の靜止した表情を通じて、あの時の自分の感情や考えを再確認することができた。そして辿り著いたのが、遙かなる時空の中の中國であり、遙かなる時空の中の広瀬明代氏の記憶なのである。
來場者が書いたコメント、「広瀬明代さんが上海に記憶を殘してくれてありがとうございます。」