早朝、友達から電話がかかってきた。
「今日の午後、太極道交會のクラウド・フォーラムがあるので、參加しないか?」と誘われた。「太極道教會?」私の頭に西遊記の中の「太上老君」の顔が浮かんだ。
「違うよ」友人は笑い出した。「太極道交會は、博永道長が創立した太極拳を學ぶ會だよ。」
「太極拳?その博永道長は能忍寺の博永住職のことですか?」
「はい。」友達は答えた。こんな貴重なチャンス、勿論逃すわけにはいかない!
17時定刻になり、フォーラムが始まった。
司會者: まず本日のパネリストをご紹介いたします。
博永道長はお仕事のため出席できませんでしたが、4人の先生はいずれも太極道交會の元老なので、どんな話が聞けるかわくわくしてきました。
Q1 先生たちが太極拳を習い始めたきっかけは何ですか?
1970年代の日本では、太極拳は若者にとって「幻の拳法」でした。ゆっくり動いて人を倒し、 拳ではなく掌で打ち、一撃で倒す。しかも健康にぴったり。當初腰痛に悩まされていた私には、願ったり葉ったりの話でした。
しかし、當時は太極拳を學ぶ本や教室がほとんどなく、手探り狀態でした。78年頃に、偶然の機會で博永道長の表演を見て、初めて本格的に修行した太極拳を目のあたりにして、それに魅せられて40年以上追いかけてきました。
私は北九州生まれです、男の子はみんな護身術に憧れて育ちました。青木先生の世代の皆様の努力によって、太極拳はずいぶん日本で普及し始めました。最初は青木先生に習い、その後青木先生を通じて博永先生の指導も受けました。當時まだ21歳の私にとって、博永先生や青木先生は雲の上の人なので、直々にご指導を受けられたのは幸運でした。あれ以來、毎月能忍寺に通って、坐禪や太極拳の練習をしてまいりました。
男の子だけでなく、女の子も太極拳に憧れていた時代でした。その時、サントリーのテレビCMに美しい女性の太極拳表演シーンがあったので、「あんな凜とした強い女性になりたいな」と思いました。今振り返ってみると、その時若いから、世間知らずで、太極拳を簡単に思ってしまったのですね。
先生方は今でも若いですよ、私の質問に素早く反応され、聲に丹田の気を感じさせるぐらいです。今日のフォーラムはクラウドなので、まさに「雲の」上の「群英會」ですね!
Q2 先生たちが中國に訪問した時の感想を聞かせてください。
初めて中國の鄭州に行ったのは1982年です。當時、陳家溝には外國人客向けのホテルがなく、日帰りしました。陳式太極拳十九代伝人の陳小旺老師に本番の拳法を教わり、今でも貴重な思い出になっています。陳家溝から帰りのバスに、急ブレーキがかかった時、陳小旺老師は両手を天地、開にして「白鶴亮翅」の型をとられました。さすが家代々の武術の家に生まれた武術家で、基本功が體にしみついていますから(笑)。
私が初めて中國に行ったのは1985年です、それ以來毎年陳家溝に行って、たくさんの先生に指導して頂きました。もし去年コロナがなければ、3月に行く予定でした。今でも港支部で王西安老師に教えていただいた老架一路を30年以上教えています。
私は1988年に初めて陳家溝に行きました。本番の陳式太極拳は武術っぽくて、魅了しました。その時はちょうど改革開放の直後なので、中國の経済発展は悽まじかったです。
鄭州、陳家溝、北京、そして嵩山の少林寺にも行って、坐禪の練習もしました(笑)