19年10月8日(火)『天聲人語』・金田正一さんを悼む
彼に匹敵する素質を持った投手が今後出現したとしても……と、元巨人の強打者、青田昇さんが書いている。「彼のような精神的なしたたかさ、がめつさを併せ持つ男は、絶対出てこない」。名投手金田正一(まさいち)さんへの賛辭である。
今後、就算出現身體素質可與他匹敵的投手——原巨人隊強擊球手青田升先生寫道,「像他那樣同時具有精神上的強大和貪婪成績的漢子,絕對不會再有了」。這是對名投手金田正一先生的讚詞。
例えばキャッチャーフライになりそうな打球が上がる。金田さんは安堵(あんど)するどころか、捕手に「捕るな!」と聲をかけたというのだ。三振の記録を伸ばすため、フライでアウトにしたくない。これが金田だ、と青田さんが『サムライ達のプロ野球』で述べている。
比如對方擊出了一個眼看可以被捕手接住的高飛球,金田先生不是為此鬆一口氣,反而對捕手喊「別去接!」。為了增加三振的記錄,他不想以這樣接高飛球讓對方出局。這就是金田,青田先生在《武士們的職業棒球》中這麼敘述。
註:三振,是指攻方球員擊球不中而出局。這項記錄同時計入投手的成績,即所謂奪三振。
國鉄スワローズ、次いで巨人で投げた金田さんが、86歳の生涯を閉じた。現役時代を知る方のことがうらやましくなるような偉業の數々である。生涯で400勝、奪三振4490個は今後もまず破られることはない。
繼國鐵燕子隊之後又去巨人隊投球的金田先生,在86歲上走完了人生的道路。他創下的多個偉大業績,能讓看過他現役時代比賽的人都能讓人羨慕。球員生涯中獲勝400場、4490個奪三振的記錄,今後是幾乎不可能被打破的。
日本のプロ野球史上で最速の投手は誰か、との議論には必ず名前があがる。しかしスピードガンが広がったのは、引退から10年ほど後だ。実際は何キロだったのか。もし大リーグに行っていたら……。いろいろ想像したくなる伝説の人である。
倘若論起日本職業棒球史上球速最快的投手是誰,一定會說到他的名字。不過,測速儀的普及是他退役後10年左右的事了。實際的球速是多少公裡?如果去了美國大聯盟的話······。他是一個會引發各種想像的傳奇人物。
対談で、ヤンキースから誘われたことを明かしている。行かなかった理由は、「アンパイアも日本の選手が來たら潰すよ。対日感情も悽(すご)く悪かった……」。戦爭の記憶がまだ生々しい頃のこと。金田さんの強気にも、時代の壁はあった。
在採訪對談中,他披露了曾經接到紐約揚基隊邀請的往事。至於未能成行的理由,他說「那裡的裁判會與日本的選手過不去的。對日感情很不好······」。那還是人們對戰爭記憶猶新的時代。看來金田先生的強勢,也有跨越不了的時代障礙。
數々の日本記録のなかで通算完封記録を塗り替えられなかったのが心殘りだと、晩年のインタビューで語っていた。野球への執念は最後まで消えなかった。
晚年接受採訪時,他對自己多個日本記錄中完封勝利的記錄未被打破而耿耿於懷。直到最後,對棒球的執著也沒有消失。
註:所謂「完封」,指由一名投手包辦整個比賽的投球、而未讓對方得分。
※《天聲人語》是百年大報《朝日新聞》的百年專欄。專欄自2017年11月28日起成為付費讀物,譯者從2017年12月1日開始正式訂閱。故此,對本專欄的轉載等敬請自律。歡迎譯文讀者的打賞支持!