2019年4月10日(水)『天聲人語』・20年ぶりの新紙幣
1962年、千円札の肖像畫が伊藤博文に決まるまでには、有力なライバルがいた。実業家の渋沢栄一である。ぎりぎりまで候補に殘ったものの、落選した。容貌(ようぼう)がお札向きでないことが理由の一つだったと、當時の新聞にある。
1962年,千日元紙幣上的肖像在決定採用伊藤博文前,有過一個強勁的對手,那就是實業家澀澤榮一。直到最後時刻他還作為候選,終於落選了。當時報紙上列出的理由之一,乃是其容貌不適合作為紙幣肖像。
容貌とはつまり、渋沢の寫真にヒゲがなかったことか。今ほど偽造防止技術が高くなかったその頃、ヒゲのあるなしは重要な要素だった。細かな毛の一つ一つが描かれれば、それだけ偽札づくりが難しくなる。お札の伊藤は白く豊かなヒゲが目立っていた。
所謂容貌,就是照片上的澀澤沒留鬍鬚。防偽技術不如當今的那個時代,有沒有鬍鬚是一個重要的因素。單憑一筆一筆畫出的鬍鬚,就可讓偽鈔製作變得很難。鈔票上的伊藤有著顯眼的髯髯白須。
政治家や文化人の多かった紙幣の肖像に、ビジネス界からの起用が決まった。20年ぶりの刷新で、1萬円札には渋沢が選ばれた。聖徳太子、福沢諭吉に続いて3代目となる。
紙幣肖像向來以政治家、文化人為多,這次決定採用了商界人士。時隔20年的更新,1萬日元選上了澀澤。這是繼聖德天子、福澤諭吉之後的第三位人物。
時代の潮流を見極めた人だった。明治初年、若くして政府から民間に転じた。「金銭に眼(まなこ)が眩(くら)み、商人になるとは実に呆(あき)れる」と友人から言われたが、日本を豊かにするためには商売が大切だという信念を貫いた(『論語と算盤〈そろばん〉』)。なるほどお札にふさわしい人かもしれぬ。
他是一位準確判斷了時代潮流的人物。明治初年,年輕的他從政府轉到了民間。朋友說他「被金錢蒙住了雙眼,做起了商人實在讓人吃驚」,但他一貫堅持了要讓日本富裕起來、重視商業的信念(《論語與算盤》)。從這一點來說,也許他還真是符合紙幣肖像的人物。
潮流といえば、キャッシュレスの流れが進む現代である。新紙幣が世に出る2024年には現金の肩身はもっと狹くなっているかもしれない。「財布に栄一を……」との言い方が果たして定著するかどうか。
說起時代潮流,如今的無現金化不斷地推進。到了新紙幣正式登場的2024年,現金也許更加沒有它的地位了。「錢包裡的榮一······」,這種說法還能成為人們的口頭禪嗎?
註:現在1萬日元的肖像是福澤諭吉,人們往往用「諭吉」來替代對1萬日元的稱呼。就如我們稱百元鈔為「毛爺爺」一樣。
渋沢はお金について「よく集めよく散ぜよ」と書いた。お金は貴いが、むやみと惜しんでは社會が活発にならない。亂費ではなく、善用せよ。お札の人に納得してもらえるような使い方ができれば。
關於金錢,澀澤這麼寫過,「廣收於天下,散盡於天下」。金錢誠然寶貴,但一味地守財如命,社會就得不到活力。金錢不能亂花,卻必須善用。我們對待金錢的態度,還須得到鈔票上這個人物的認可。
※《天聲人語》是《朝日新聞》的付費讀物(始於2017年11月28日),譯者從2017年12月1日開始正式訂閱。故此,對本專欄的轉載等敬請自律。歡迎譯文讀者的打賞支持!