「ことだ」與「ものだ」是日語考試語法部分的必考要點,兩者有很多相似的表達形式,同學們很容易混淆,特別是對於「ことだ」和「ものだ」的用法的模糊,今天,我們就重點講解一下「ことだ」和「ものだ」的幾個區別。下面先分別來看看「こと」和「もの」的常用用法:
人と人とのコミュニケーションをはかることから、お互いの信頼関係が築かれる。要尋求人與人之間的交流,才能建立彼此信賴的關係。自分に同情するな自分に同情するのは下劣な人間のやることだ。動詞原形直接加,一般表示沒必要做某事,偶爾也會表示「不會」;た型+ことはない表示「不曾」もの
ものか=もんか怎麼能?!(反問)
どこにこのような人がいるものか。
哪兒有這樣的人呢?!
ものがある有值得…的方面,確實
この絵には、評判するものがある。
這幅畫確實有值得評價的地方。
ものだ感嘆,常理
時の流れは早すぎものだわ。
時光流逝的太快了。
日が東の方から昇るものです。
太陽從東方升起。
ものだから正因為(辯解)
あまり悲しかったものだか、泣いてしまった。
正因為太悲傷才哭泣。
ものではない=べきではない不該
兄だから、弟を虐めるものではない。
哥哥不應該欺負弟弟。
ものなら如果能
行けるものなら行きたいんですが。
如果能去的話,真想去。
ものの=が雖然但是
免許はとったものの、車が買えない。
雖然拿了駕照但沒買車。
總結
「ことだ」和「ものだ」在表示感嘆時,兩者都可使用。但是用「ものだ」的形式,表示一般意義上的感嘆,此時一般不能用「ことだ」代替。而「ことだ」則表示就事論事的感嘆,一般用句型「なんと(或なんて、どんなに)……ことだろう(或ことか)」此時也一般不能用「ものだ」代替。
例 一
赤ちゃんは可愛いものだ(×ことだ)ねえ(嬰兒啊,那真可愛)。表示對所有嬰兒而言;この赤ちゃんはなんと可愛いことだ(×ものだ)、まるでお人形さんみたい。(這嬰兒多可愛啊,就好象布娃娃似的),是就事論事的感嘆,就對眼前的嬰兒而言是可愛的。
在表示忠告時兩者都可用,意思差不多,都可譯為「應該……」,但用法有區別。「ものだ」表示社會道德常識,人人都應該遵守的規範,表示大道理;而「ことだ」則表示就事論事,不屬於大道理。
例 二
先生に會ったら、挨拶をするものだ(×ことだ)。(見到老師你應該打招呼。)對所有老師都應這樣,屬於禮貌常識,應該做的;張先生に會ったら、挨拶をすることだ(×ものだ)。(見到張老師你應該打招呼。)打招呼只適用於張老師,對其他老師可以不用打,表示就事論事。
「ものだ」可以表示人們的一般認同,譯為「總是……,難免……,本來就是……」,但是「ことだ」沒有這種用法。
例 三
良薬は口に苦いものだ。
良藥苦口
人間は死ぬものだ。
總是要死的。
「ものだ」接在動詞過去時後,表示對往事的緬懷、回憶,而「ことだ」沒有這種用法。
例 四
子どもの時、よくこの川で泳いだものだ(×ことだ)。
小時候,我經常在這條河裡遊泳來著。
「ものだ」接在願望助詞「たい、ほしい」後表示強烈的願望,「ことだ」沒有該用法。
例 五
小さい時に戻りたいものだ(×ことだ)。
真想回到小時候。
弄清楚「ことだ」和「ものだ」相同意思的不同用法及「ものだ」獨有的用法之後,同學們在遇到兩者同時出現時就不會感到頭疼了。