編者按:日本的明治維新,推動了日本的近現代化。而日本思想家福澤吉諭等人力推的脫亞論,也即全面西化,更是從思想上、行動上推動日本全面融入西方。這與當時的清朝洋務運動的所謂「中學為體,西學為用」是明顯不同的。事實上,最後效果也完全不同。從1868年的明治維新開始到1894年甲午海戰,日本僅僅用了26年時間,就把大清打得遍地找牙。回顧這段歷史,國人應該深思並得到啟發。
原文及譯文來自網絡 林思雲翻譯版
隨著世界交通的手段便利起來,西洋文明之風逐日東漸。其所到之處,就連青草和空氣也被此風所披靡。大致說來,雖說古代和今天的西洋人沒有多大不同,但他們的舉動在古代較為遲鈍,而今天變得活躍起來,無非是利用交通這個利器的緣故。對於東方國家的當務之急來說,此文明的東漸之勢十分強勁,如果下定決心來阻止它的話,這樣做倒也不是不行,但觀察當今世界的現狀,就會發現事實上是不可能的。莫不如與時俱進,共同在文明之海中浮沉,共同掀起文明的波浪,共同品嘗文明的苦樂,除此之外別無選擇。
文明就像麻疹的流行一樣。眼下東京的麻疹最初是從西部的長崎地方向東傳播,並隨著春暖的氣候逐漸蔓延開來。此時即便是痛恨該流行病的危害,想要防禦它的話,又有可行的手段嗎?我確信沒有這樣的手段。純粹有害的流行病,其勢力的激烈程度尚且如此,更不要說利害相伴、或利益往往更多的文明了。當前不但不應阻止文明,反而應盡力幫助文明的蔓延,讓國民儘快沐浴文明的風氣,這才是智者之所為。
西洋近代文明進入我日本以嘉永年間的開國為開端,雖然國民漸漸明白應該採用西洋文明,氣氛也逐漸活躍起來,但在通往進步的大道上,卻橫臥著一個守舊衰老的政府(這裡的政府指德川幕府——譯者注)。應該如何是好呢?保存政府的話,文明是絕對進不來的,因為近代文明與日本的陳規舊套勢不兩立。而要擺脫陳規舊套的話,政府也同時不得不廢滅。如果試圖阻止文明的入侵,日本國的獨立也不能保證,因為世界文明的喧鬧,不允許一個東洋孤島在此獨睡。
對此,我們日本的有識之士,基於「國家為重」、「政府為輕」的大義,又幸運地依靠帝室的神聖尊嚴(這裡的帝室指天皇——譯者注),斷然推翻舊政府,建立新政府。國內無論朝野,一切都採用西洋近代文明,不僅要脫去日本的陳規舊習,而且還要在整個亞細亞洲中開創出一個新的格局。其關鍵所在,唯「脫亞」二字。
雖然我日本之國位於亞細亞東部,但國民的精神已經開始脫離亞細亞的頑固守舊,向西洋文明轉移。然而不幸的是在近鄰有兩個國家,一個叫支那(這裡的支那指中國——譯者注),一個叫朝鮮。這兩國的人民,自古以來受亞細亞式的政教風俗所薰陶,這與我日本國並無不同。也許是因為人種的由來有所不同,也許是儘管大家都處於同樣的政教風俗之中,但在遺傳教育方面卻有不盡相同之處。日、支、韓三國相對而言,與日本相比,支國與韓國的相似之處更為接近。這兩個國家一樣,不管是個人還是國家,都不思改進之道。
在當今交通至便的世界中,對文明的事物不見不聞是不可能的。但僅僅耳目的見聞還不足以打動人心,因為留戀陳規舊習之情是千古不變之理。如果在文明日新月異的交鋒場上論及教育之事,就要談到儒教主義。學校的教旨號稱「仁義禮智」,只不過是徹頭徹尾的虛飾外表的東西。實際上豈止是沒有真理原則的知識和見識,宛如一個連道德都到了毫無廉恥的地步,卻還傲然不知自省的人。
以我來看,這兩個國家在今日文明東漸的風潮之際,連它們自己的獨立都維持不了。當然如果出現下述的情況的話,又另當別論。這就是:這兩個國家出現有識志士,首先帶頭推進國事的進步,就像我國的維新一樣,對其政府實行重大改革,籌劃舉國大計,率先進行政治變革,同時使人心煥然一新。如果不是這樣的情況,那麼毫無疑問,從現在開始不出數年他們將會亡國,其國土將被世界文明諸國所分割。
在遭遇如同麻疹那樣流行的文明開化時,支、韓兩國違背傳染的天然規律,為了躲避傳染,硬是把自己關閉在一個房間裡,閉塞空氣的流通。雖說經常用「唇齒相依」來比喻鄰國間的相互幫助,但現在的支那、朝鮮對於我日本卻沒有絲毫的幫助。不僅如此,以西洋文明人的眼光來看,由於三國地理相接,常常把這三國同樣看待。因此對支、韓的批評,也就等價於對我日本的批評。
假如支那、朝鮮政府的陳舊專制體制無法律可依,西洋人就懷疑日本也是無法律的國家;假如支那、朝鮮的知識人自我沉溺不知科學為何物,西洋人就認為日本也是陰陽五行的國家;假如支那人卑屈不知廉恥,日本人的俠義就會因此被掩蓋;假如朝鮮國對人使用酷刑,日本人就會被推測也是同樣的沒有人性。如此事例,不勝枚舉。
打個比方,屋院相鄰的村莊內的一群人,在他們出現無法無天的愚行而且殘酷無情的時候,即使這個村莊裡偶爾有一家人注意品行的端正,也會被他人的醜行所淹沒。和這個例子一樣,支、韓兩國的影響已成為既成的事實,間接地對我外交產生了障礙,這樣的事情實際上並不少,可以說這是我日本國的一大不幸。
既然如此,作為當今之策,我國不應猶豫,與其坐等鄰國的開明,共同振興亞洲,不如脫離其行列,而與西洋文明國共進退。對待支那、朝鮮的方法,也不必因其為鄰國而特別予以同情,只要模仿西洋人對他們的態度方式對付即可。與壞朋友親近的人也難免近墨者黑,我們要從內心謝絕亞細亞東方的壞朋友。
《脫亞論》原文
「脫亜論」
福澤諭吉
世界交通の道、便にして、西洋文明の風、東に漸し、至る處、草も
気も此風に靡かざるはなし。蓋し西洋の人物、古今に大に異なるに非ず
と雖ども、其擧動の古に遅鈍にして今に活發なるは、唯交通の利器を利
用して勢に乗ずるが故のみ。故に方今東洋に國するものゝ為に謀るに、
此文明の東漸の勢に激して之を防ぎ了る可きの覺悟あれば則ち可なりと
雖ども、苟も世界中の現狀を視察して事實に不可ならんを知らん者は、
世と推し移りて共に文明の海に浮沈し、共に文明の波を掲げて共に文明
の苦樂を與にするの外ある可らざるなり。文明は猶麻疹の流行の如し。
目下東京の麻疹は西國長崎の地方より東漸して、春暖と共に次第に蔓延
する者の如し。此時に當り此流行病の害を惡て此れを防がんとするも、
果して其手段ある可きや。我輩斷じて其術なきを證す。有害一遍の流行
病にても尚且其勢には激す可らず。況や利害相伴ふて常に利益多き文明
に於てをや。當に之を防がざるのみならず、力めて其蔓延を助け、國民
をして早く其氣風に浴せしむるは智者の事なる可し。西洋近時の文明が
我日本に入りたるは嘉永の開國を發端として、國民漸く其採る可きを知
り、漸次に活發の氣風を催ふしたれども、進歩の道に橫はるに古風老大
の政府なるものありて、之を如何ともす可らず。政府を保存せん歟、文
明は決して入る可らず。如何となれば近時の文明は日本の舊套と兩立す
可らずして、舊套を脫すれば同時に政府も亦廢滅す可ければなり。然ば
則ち文明を防て其侵入を止めん歟、日本國は獨立す可らず。如何となれ
ば世界文明の喧嘩繁劇は東洋孤島の獨睡を許さゞればなり。是に於てか
我日本の士人は國を重しとし政府を輕しとするの大義に基き、又幸に帝
室の神聖尊嚴に依頼して、斷じて舊政府を倒して新政府を立て、國中朝
野の別なく一切萬事西洋近時の文明を採り、獨り日本の舊套を脫したる
のみならず、亞細亞全洲の中に在て新に一機軸を出し、主義とする所は
唯脫亞の二字にあるのみなり。
我日本の國土は亞細亞の東邊に在りと雖ども、其國民の精神は既に
亞細亞の固陋を脫して西洋の文明に移りたり。然るに爰に不幸なるは近
隣に國あり、一を支那と雲い、一を朝鮮と雲ふ。此二國の人民も古來亞
細亞流の政教風俗に養はるゝこと、我日本國に異ならずと雖ども、其人
種の由來を殊にするか、但しは同様の政教風俗中に居ながらも遺傳教育
の旨に同じからざる所のものある歟、日支韓三國三國相對し、支と韓と
相似るの狀は支韓の日に於けるよりも近くして、此二國の者共は一身に
就き 又一國に關して改進の道を知らず。交通至便の世の中に文明の事
物を聞見せざるに非ざれども 耳目の聞見は以て心を動かすに足らずし
て、其古風舊慣に變々するの情は百千年の古に異ならず、此文明日新の
活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と雲ひ、學校の教旨は仁義禮智と
稱し、一より十に至るまで外見の虛飾のみを事として、其實際に於ては
眞理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を拂ふて殘刻不廉恥を極め、尚
傲然として自省の念なき者の如し。我輩を以て此二國を視れば今の文明
東漸の風潮に際し、迚も其獨立を維持するの道ある可らず。幸にして其
の國中に志士の出現して、先づ國事開進の手始めとして、大に其政府を
改革すること我維新の如き大擧を企て、先づ政治を改めて共に人心を一
新するが如き活動あらば格別なれども、若しも然らざるに於ては、今よ
り數年を出でずして亡國と為り、其國土は世界文明諸國の分割に歸す可
きこと一點の疑あることなし。如何となれば麻疹に等しき文明開化の流
行に遭ひながら、支韓兩國は其傳染の天然に背き、無理に之を避けんと
して一室內に閉居し、空氣の流通を絶て窒塞するものなればなり。輔車
唇歯とは隣國相助くるの喩なれども、今の支那朝鮮は我日本のために一
毫の援助と為らざるのみならず、西洋文明人の眼を以てすれば、三國の
地利相接するが為に、時に或は之を同一視し、支韓を評するの價を以て
我日本に命ずるの意味なきに非ず。例へば支那朝鮮の政府が古風の専制
にして法律の恃む可きものあらざれば、西洋の人は日本も亦無法律の國
かと疑ひ、支那朝鮮の士人が惑溺深くして科學の何ものたるを知らざれ
ば、西洋の學者は日本も亦陰陽五行の國かと思ひ、支那人が卑屈にして
恥を知らざれば、日本人の義俠も之がために掩はれ、朝鮮國に人を刑す
るの慘酷なるあれば、日本人も亦共に無情なるかと推量せらるゝが如き
、是等の事例を計れば、枚擧に遑あらず。之を喩へば比隣軒を竝べたる
一村一町內の者共が、愚にして無法にして然も殘忍無情なるときは稀に
其町村內の一家人が正當の人事に注意するも、他の醜に掩はれて湮沒す
るものに異ならず。其影響の事實に現はれて、間接に我外交上の故障を
成すことは實に少々ならず、我日本國の一大不幸と雲ふ可し。左れば、
今日の謀を為すに、我國は隣國の開明を待て共に亞細亞を興すの猶豫あ
る可らず、寧ろその伍を脫して西洋の文明國と進退を共にし、其支那朝
鮮に接するの法も隣國なるが故にとて特別の會釋に及ばず、正に西洋人
が之に接するの風に從て處分す可きのみ。惡友を親しむ者は共に惡友を
免かる可らず。我は心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり。
『時事新報』1885(明治18)年3月16日
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