あかねさす紫の花裡面出現的和歌
文:嵐
あかねさす紫の花 (霞光輝映紫之花)是柴田侑宏先生的代表作,化用了許多和歌。
1.《紫に匂う花》這首主題歌裡,就含有兩首著名和歌,都是《萬葉集》的必選篇。
其一是天智天皇在蒲生野舉行儀式的時候,額田姬所作的和歌:
出自《萬葉集》20 天智天皇が蒲生野で薬狩をなさった時、額田王が作った歌
あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守は見ずや君が袖振る
晚霞照紫野,禁野君行速,守人見君否,翩翩振長袖?——我流歪譯
【現代語訳】茜色に輝く紫草が栽培されている野、天皇が佔有されているこの野には番人がいます。その番人たちに見られてしまうではありませんか、あなたが私に袖を振っているのを。それが不安です。
意思:霞色的光輝映照紫草野,天皇的御野有人看守。守衛已經看到了麼,你朝我頻頻揮動衣袖?我心裡很不安。
其二是大海人王子對額田姬這首和歌的應答
《萬葉集》21 20に対し、大海人皇子がお答えになった御歌
紫草(むらさき)の にほへる妹(いも)を 憎くあらば 人妻ゆゑに あれ戀ひめやも
妹妍若紫草,豈能生憎厭,雖已為人妻,猶使我生戀。——趙樂甡先生譯
【現代語訳】茜色の紫草のように色美しいあなたを憎く思うのであれば、もはや人妻であるあなたに、これほどまでに戀するはずはないではないか。そういう危ないことをするのも、あなたが可愛いからだ。
意思:你像紫草一樣美麗,我豈能對你心生厭惡,雖然你已經是別人的妻子,我卻依然愛戀著你。
作這些歌的時候,大海人大約40歲、額田姬大約35歲。
2.白雉之舞場景中的歌詞
大君は神にしませば 天雲の雷のまえに庵せるかも
大君は神にしませば 真木立つ荒山中に海をなすかも
這兩句都是《萬葉集》中的和歌,上句出自『萬葉集』235
天皇、雷嶽(いかづちのおか)に御遊(いでま)しし時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首
おほきみは かみにしませば あまくもの いかづちのうへに いほりせるかも
大 君 は 神 にしませば 天 雲 の雷の上 に 廬りせるかも
天皇遊雷丘,朝臣柿本人麻呂作歌一首:
大王乃神,天雲之中雷丘上,建廬作宮寢——趙樂甡先生譯
下句出自『萬葉集』241
おほきみは かみにしませば まきのたつ あらやまなかに うみをなすかも
大 君 は 神 にしませば 真木の立つ 荒 山 中に 海 を成すかも
皇者 神尓之坐者 真木<乃>立 荒山中尓 海成可聞
荒山之中,良材聚生;皇子為神,乃使湖成。——趙樂甡先生譯
3.三人舞時候的唱詞就是改編自中大兄皇子在表明爭妻心跡的時候吟誦的唱詞:
香久山は 畝傍を愛しと 耳成と あい爭いを 神代より かくなるらし 古も しかくなるらし 現身も 妻をあらそふらしき
出自『萬葉集』13 中大兄皇子の大和三山の歌
香具山は 畝火を愛(を)しと 耳梨と 相あらそひき 神代より 斯(か)くにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)を あらそふらしき
【現代語訳】香具山は、畝火山を愛して耳梨山と爭った、神代からそうであったらしい、昔からそうであったのだから、今の世においても人々は妻を爭うのだろう。
香具愛畝傍,與耳成爭奪,神代已如此,今人亦爭妻。
(香具山又作「香久山」,畝火山又作「畝傍山」,耳梨山又作「耳成山」。)
4.最後一幕:額田姬在天智天皇登基典禮上所唱的歌曲就是
『萬葉集』16 額田王が春秋の優劣を論じた歌
冬こもり 春さり來れば 鳴かざりし 鳥も來鳴きぬ 咲かざりし花も咲けれど 山を茂(し)み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黃葉(もみち)をば 取りてぞしのふ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨めし 秋山ぞわれは
【現代語訳】 春がやってくると、冬の間鳴かなかった鳥もやって來て鳴く。咲かなかった花も咲いているけれど、山の木々が茂っているので分け入っても取らず、草も深いので手に取っても見ない。一方、秋山の木の葉を見ると、紅葉したのは取って美しいと思い、青いのはそのまま置いて嘆息する。その點こそが殘念ですが、秋の山のほうが優れていると私は思います。
天智天皇が藤原鎌足に「春山の萬花の艶(にほひ)」と、「秋山の千葉の彩(いろ)」を比べたとき、どちらの趣きが深いかと尋ねられ、額田王が歌で判定した。詩宴の場での、即興の歌であるとされる。
額田姬論春秋之優劣:
冬去春又來,深山鳥始鳴,花開當時否,林茂草深,難得一見
秋山紅葉美,擷枝堪把玩,青葉尚戀枝,吾亦恨此,仍戀秋山——我流歪譯
天智天皇和藤原鎌足君臣以「春山萬花豔」和「秋山千葉彩」為題賽詩,請額田姬來評判,額田姬於詩會現場即興所作。
不光是在歌曲中直接引用萬葉集和歌,就連臺詞裡也有化用萬葉集和歌:
1.第二場 額田鄉 中大兄和鏡夫人見面的情景
中大兄:ああ、この家がせめて大島の嶺の辺りにでもあればなあ、ここは板蓋宮からは遠すぎる
鏡女王:申し訳ございません
中大兄:あなたは謝ることはない、いつ愚痴が出たまでだ。それに暇な時なら何刻を費やしても足繁く通えるのだが、今はどうにもならない。どうにもならないと思うと、よけい逢いたくなる
鏡女王:私も……。お待ち申している間の想いは、秋山の水が次第に水かさを増して行くように溢れんばかりでございましだ
中大兄:啊,你家如果在大島嶺附近就好了,這裡離板蓋宮太遠了
鏡夫人:真抱歉
中大兄:用不著道歉,不知不覺發起牢騷來。要是有空,花上幾個時辰,也能常來,可是現在不行,一想到現在不行,就更想來見面。
鏡夫人:我也是……在等你的時間裡,我的思念猶如秋山之水日日增長,就快溢出來了。
這裡的臺詞化用自萬葉集第91和92首:
天智天皇の歌としてはもうひとつ、鏡女王との相聞の歌が萬葉集に載せられている。
―天皇の鏡女王に賜へる御歌一首
妹があたり継ぎても見むに大和なる大島の嶺(ね)に家居(を)らましを(91)
——應能時常,到妹家;大和大島嶺上,有家豈不更佳
―鏡女王の和へ奉れる歌一首
秋山の樹(こ)の下隠(がく)り行く水の吾(あ)こそ勝(まさ)らめ思ほさむよは(92)
——秋山樹下潛流長;較君相思意,我戀深更強
2.在一路版紫花的第十二場 大津京濱櫻 中,藤原鐮足在額田夫人詠罷春秋之歌過後,也詠詩一首。這就是《萬葉集》第95首:鎌足が採女安見児を捲き娶きし時作る歌一首。(鐮足獲賜採女安見兒,欣而賦詩)
われはもや 安見児得たり 皆人の得難にすとふ 安見児得たり
我今有幸耶,得安見兒,皆雲難求者,得安見兒