朗讀者: hiyorimi
BGM:雨的印記
世界(せかい)から映畫(えいが)が消(き)えたなら
如果電影從世界上消失了
「人生(じんせい)は近(ちか)くで見(み)ると悲劇(ひげき)だけれど、遠(とお)くから見(み)れば喜劇(きげき)だ」
その男(おとこ)は僕(ぼく)に言(い)う。シルクハットに大おおきめのタキシード姿すがたで、スティックを振ふり回まわしながら。
「人生近看是悲劇,遠觀就是喜劇。」
那個男人對我說。他戴著絲質禮帽,穿著略微寬鬆的燕尾服,甩著拐杖對我說話。
沁(し)みる。いまの僕ぼくには、その言葉ことばがとても沁しみるよ。僕ぼくは想おもいを彼かれに伝つたえたいが、言葉ことばにならない。
太感同身受了。此刻的我對這句話深有體會。我很希望把內心的想法告訴他,卻說不出話。
続(つづ)けて男(おとこ)は言(い)う。「死しと同おなじように避さけられないものがある。それは生いきることだ」
那個男人又接著說:「生存和死亡一樣,都是無可避免的事。」
その通(とお)りだよ。
自分(じぶん)が死(し)ぬかもしれないと思(おも)ったときにはじめて分(わ)かったんだ。死(し)と生(せい)は等価(とうか)であることを。いまの僕(ぼく)はあまりにもそのバランスが悪(わる)すぎる。
太精闢了。
在得知自己將不久於人世時才第一次知道,生和死是等值的,只是目前的我生死嚴重失衡。
いままで、僕(ぼく)だってそれなりにがんばって生(い)きてきたつもりだ。
でも、いまの僕(ぼく)に殘(のこ)るのは後悔(こうかい)だらけ。圧倒的(あっとうてき)な死(し)の威力(いりょく)に、生(せい)が押(お)しつぶされてしまっているんだ。
至今為止,我也努力地過好每一天。
然而,如今我的內心只剩下後悔,在壓倒性的死亡威脅面前,「生」幾乎快要被壓垮了。
僕(ぼく)の想(おも)いを察(さっ)したのか、タキシードの男(おとこ)はそのチョビ髭(ひげ)を觸(さわ)りながら近付(ちかづ)いてくる。
不知道是否察覺了我的想法,燕尾服男人摸了摸鼻子下的小鬍子走向我。
「意味(いみ)を考(かんが)えていたって始(はじ)まらないよ。意味(いみ)なんてどうでもいいじゃないか。生(い)きていくことは美(うつく)しくすばらしい。くらげにだって生(い)きている意味(いみ)がある」
「現在思考意義也沒用了,意義並不重要。生存是一件美好而美妙的事,水母也有生存的意義。」
きっとそうなのだ。どんなものでも、そこに存在そんざいすることには意味いみがあるのだろう。くらげだって、道みちばたの小石こいしだって、盲腸もうちょうにだって意味いみがあるんだ。きっとね。
完全正確。任何生命都有存在意義,無論水母還是路旁的小石頭,甚至是盲腸,都一定有存在的意義。
だとしたら、僕(ぼく)が世界(せかい)から何(なに)かを消(け)していこうとする、その行為(こうい)は重罪(じゅうざい)なのではないか。くらげにだって生いきている意味いみがある。でも、生いきていくことが意味不明いみふめいになっているいまの僕ぼくはくらげ以下いかなのかもしれない。
既然這樣,我打算讓某些東西從世界上消失的行為,不就成為重罪了嗎?水母也有生存的意義,如今,生存意義很不明確的我比水母還不如。