鈴木啟太(日本人)
曾在南京大學朝鮮語系留學3年
現留學韓國
高中時在日本參加中文演講比賽,獲南京大學交換生項目獎學金,而來到南大學習一年,之後正式在南大就讀韓語專業。2019年夏天畢業後,赴韓留學。
這是《外國人眼中的中國》第77篇
今日ご紹介するのは日本の「端午の節句」です。とは言うものの、私もあまり詳しく端午の節句を理解している訳ではなく、何を紹介したらいいのか分かりませんが、日本の端午の節句を伝えられる様にがんばります。今天要給大家介紹的是日本的「
端午節」。話雖如此,我卻也不是很了解端午節,不知道該介紹些什麼才好。儘管如此,我也會盡力將日本的端午節介紹給大家。
私が「端午の節句」という名前にあまり馴染みがない理由は、日本では「端午の節句」と「こどもの日」がごっちゃになっているからです。と言うのも日本では明治時代までは5月5日は「端午の節句」と呼ばれてきましたが、今は5月5日を「子供の日」と呼び、「端午の節句」という名稱はあまり使われなくなりました。我對「端午節」這個名字不太熟悉的原因是,
在日本「端午節」和「兒童節」這兩個節日的名字有點兒混亂。在日本直到
明治時代,5月5日都被稱作「端午節」,而現在5月5日被稱為「兒童節」,「端午節」這個名稱已經不怎麼使用了。
注:在唐朝時期,日本曾多次派遣唐使前往中國學習,端午節也在那個時候傳入日本,這段時期在日本歷史上稱為飛鳥時代(公元573年-公元710年)。
しかし「子供の日」と言う名稱も「端午の節句」が男の子の成長を願う日であったことに由來しているためであり、「子供の日」というのは「端午の節句」の名殘だとも考えられるかもしれません。一方で端午の節句に食べられるものですが、日本では粽や柏餅を食べる風習があります。但是,「兒童節」這個名稱,也是
來源於「端午節」是祈福男孩成長的日子,「兒童節」的存在,或許可以看作是
從「端午節」而來的吧。另一方面,就端午節可以吃到的食物來說,在日本有
吃粽子和
柏餅的風俗習慣。
ただ私が中國に行き驚いたのが、中國では肉などを詰めたしょっぱい粽が一般的ですが、日本ではあんこの入った甘い粽を食べます。天性の甘黨である私は端午の節句であるか否かを問わずに年中柏餅を食べている訳ではありますが(笑)。只是到中國之後讓我吃驚的是,
在中國一般都是用肉等包起來的鹹粽,在日本則是吃豆沙餡兒的甜粽。而天生嗜甜的我,不管是不是端午節,一年四季都會吃柏餅(笑)。
しかしこの様に見てみると、日本と中國の「子供の日」は全く異なる日にあるので、中國で子供の日を過ごした後、日本で子供の日を過ごすことも現実に可能なのです。そう!子供の日は二つあるのです!私は既に成人を迎えてしまいましたが、もしも成人する前に戻れるなら、親に二回子供の日を祝えと堂々と言えるわけですね(笑)。然而如此看來,日本和中國的「兒童節」是完全不同的日子,所以在中國過完兒童節後,再在日本過兒童節也是可以實現的事。沒錯!有兩個兒童節!雖然我已經成人了,但是如果能回到成人前的話,就可以堂堂正正地跟父母要求過兩次兒童節了呢!(笑)
この様に私が日本で「端午の節句」に抱いていた認識は「鎧兜」と「鯉のぼり」と「柏餅」、たまに「菖蒲湯」(お風呂の湯船に菖蒲の葉を浮かべたもの)程しかなく、「端午の節句」が中國戦國時代の屈原に由來するなどとは露程も知りませんでした。更に言うとこの「屈原」ですが、端午の節句以外でこの名前を目にしたことがありません。就像這樣,在日本我對「端午節」抱有的認識僅僅是
「鎧甲」、「鯉魚旗」和「柏餅」,還有
「菖蒲湯」(在浴室的浴池裡浮上菖蒲的葉子),僅此而已,並不知道「端午節」來源於
中國戰國時代的屈原。更不消說「屈原」這個名字,除了端午節以外,我從未見過。
注:五月飾可分屋內飾和屋外飾。屋內飾主要有五月人偶,屋外飾主要是鯉魚旗。五月人偶的服飾一般依照歷史上或傳說中的戰鬥服飾製作,並配以武器,造型則是可愛的孩子模樣,故稱為「孩子大將」。
しかし詳しく調べてみると、屈原が生きていた時代は戦國時代の真っ只中!ちょうど秦の白起が郢の戦いで楚を打ち負かした時に、楚の將來を憂いて入水自殺した愛國烈士が屈原さんです。この様に屈原の自殺した背景にある歴史を知ると、端午の節句に行われる「鎧兜」や「鯉のぼり」を飾る風習には國の將來を憂いる屈原の悲しみと、將來の為に子供(特に男子)が健やかに育つよう願う屈原の希望が見えてくるかの様です。但是詳細調查後發現,
屈原生活的時代正是
戰國時代中期!楚國在郢都一役中被秦軍白起攻敗之後,為楚國的將來憂心忡忡而投江自殺的愛國烈士,正是屈原先生。在了解了屈原自殺的歷史背景後,在端午節時裝飾「鎧甲」和「鯉魚旗」的風俗中,
似乎看到了屈原為國家的未來而擔憂的悲傷,以及為了將來而希望孩子(特別是男孩兒)
能健康成長的屈原的希冀。
だからこそ私も端午の節句を祝う國に生まれた以上は、この素晴らしい端午の節句という伝統を次世代に継承していかなければならないと感じ入る次第です。也正因如此,我想既然我們出生在慶祝端午節的國家,那就應該將端午節這一偉大美好的傳統
傳承給下一代。
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