「可愛い」は日本人の口癖だ。電車の中にいると、女子學生がしきりに可愛いと言うのを耳にする。女子學生だけではない。大人の女性も、さらには男性さえも「可愛い」という言葉を口にする。「可愛い」は日本人がか弱くて愛おしいものに対して使う形容詞で、日本人は精巧で小さなものを非常に好む。
1982年、韓國文化論の學者、李御寧(イ・オリョン)氏が出版した著書「縮み志向の日本人」は、日本人の小さなものに固執する特質について論じている。この本が出版されてからすでに30數年が経つが、私の心の中にはずっと解けない謎がある。日本人はなぜ小さくて精巧なものを好み、小さなものを作るのが好きなのか?日本人の特質を発見した李氏も、「その理由はよくわからない」と率直な感想を述べている。
世界から高い評価を得ている日本人の「小型品」
日本人による日本人論や日本文明論は、みな歐米との比較になっている。しかし、日本文明や日本人を考察するには、単に歐米だけの比較だけではだめだ。隣國の中國や韓國との比較が大切だ。
中國人や韓國人と比較して、異なっている點があれば、それこそが日本人の真の特徴となる。李氏は、「縮める」ことが、日本人の性格の中で最も突出した特徴であり、この特質は中國や韓國とは完全に異なる性向であるという見方を示している。まさに、「日本人が作る小型品が世界の人々から高い評価を獲得している」ことが日本人の第1印象となった。
李氏は、「日本人は精巧な工芸品や縮小した小さな工芸品を作るのを得意としている。ユーラシア大陸から輸入した丸いうちわ(団扇)は、日本人の手で小さな扇子に生まれ変わり、その後世界各地に逆輸出された。大正時代、日本人は西側から輸入した長い傘を小型の短い折り畳み傘に改造し、それを世界各地に同様に逆輸出した。このほか、日本人は世界最小のオートバイや、室內のステレオを歩きながら聞けるウォークマンに小型化するのに成功した。
このほか、大自然を庭の中に縮小させて作った日本庭園、大きな樹木を植え替えて縮めた盆栽、4畳半の茶室、食卓の上の食事を小型化して、小さな箱に詰め込んだ幕の內弁當、ご飯を縮めたおにぎり、詩を17文字に短縮した俳句など、例を挙げれば枚挙にいとまがない。
まさに、日本人の大きいものを縮小し、小型化する特質は、中國人や韓國人と大きく異なる。
當時の日本人は縮める特質を忘れてしまい、経済大國へと邁進し続けた。膨張し続ける日本人は物質的に満たされても、膨張は日本人自身の精神文化に根差す「縮み」志向とは相反しているため心は満たされない。
日本人はなぜこんなにも物を縮めることが好きなのか?
この答えは、「縮み志向の日本人」の中には書かれていない。しかし、この本のあとがきで、著者は意味深な記述を殘している。
あとがきで、李氏は、「人々は水源がわからなくても、現に川の水は我々の前を流れている」として「なぜそうなったのかがわかれば、今後の流れがわかるはずだ。われわれはこの現象に対して深く考える視角が必要だろう」と記述している。
日本列島を徒歩で走破する日本人
山々に囲まれた地で育ち、遠くを見ることができなかった日本人は外の情報を知ることや旅することを好んだ。どうして?という理由を探しに旅に出る日本人は旅の際にはいつも山を越え、川を渡り、溼地を通り抜けた。日本列島の地形は牛や馬を輸送道具に使用することはできない。日本人は自分で荷物を背負い、一歩一歩長い距離を歩くしかなかった。
ユーラシア大陸の人々は日本人とは異なり、陸地で車に乗って素早く移動する。モンゴル帝國の絵の中に、人々は牛車や馬車に乗って大地を走る姿が描かれている。モンゴル帝國の人々だけでなく、ユーラシア大陸のローマ帝國や中國の秦帝國、イスラム帝國の人々も馬車や牛車に乗って素早く移動した。
縮めることのおもしろさ
長い距離を歩き続き、ようやく宿に著いて休む時、人々はお互いにいかに荷物を軽くできるかの心得や方法を教え合った。物を小さくする方法を発見した人は、同宿の人々からの賛同を得て、一夜にして英雄となった。これらの縮めた物は、あっという間に日本全國に広まった。
しかし、これらの縮める方法に気付いた人は、英雄として歴史に名を刻んだわけではない。これらの知恵は荷物を背負う人々、つまり自分の足で歩く平民である百姓のものだったからだ。
徒歩で旅する日本人にとって、物を縮めることや重量を軽量化することは、かけがえのない価値があった。
人々は物を細かく、小さくする方法を考え、大きな荷物を圧縮して小さい荷物にした。荷物を背負って徒歩で旅をする日本人の縮みの志向は、さらには人々の精神世界の美學にまで高まった。
日本人の縮み志向の謎はついに解き明かされた。民族に共通した性向の理由は実のところ極めてシンプルであり、そこまで複雑なものではない。日本人の縮み志向の謎の答えは、日本列島の地形や気候の中にあったのだ。
日本人の省エネ意識
21世紀に入り、世界中の環境が悪化し、エネルギー資源が枯渇しつつある。世界の未來において、継続可能な省エネ社會を構築することは、將來不可欠なことだ。持続的な社會がなければ、人々の倫理や道徳はありえない、倫理や道徳は共同體の中でしか役割を果たさないからだ。
現在出現している危機は、世界中の範囲に及んでいる。この地球上に無數の共同體が存在し、無數の共同體がリンクしている狀態の中、倫理や道徳で問題を解決するのは、問題をさらに複雑化し、解決を難しくさせるだけだ。
世界の環境問題や資源問題を解決するには倫理や道徳から遠く離れた武器で解決する必要がある。
倫理や道徳から最も離れた武器とは技術だ。日本人が常に口にする「可愛い」という言葉は、自分が好きな小さいもののことを言う。可愛いものを作るためには、必死に頭を使い、縮める技術を創造する必要がある。この縮める技術だけが、持続可能な最も省エネの社會を構築することができる。
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