色は萬國共通の言葉であり,どこの國へ行っても一目で理解し合えるものであると思っていましたのに,アメリカに留學した3年間に,外國人との色に対する感じ方の相違や習慣の相違にぶつかって,まごついたり,失敗したりしたことがありました。アメリカに行ってしばらくの間,私は英語の學校に通いました。クラスには,ハンガリア人,ポーランド人,スペイン人,ユダヤ人等,世界中の様々の國から來た人達や,アメリカ人なのにスペイン語を話すプエルトリコ島からやって來た人達がまじって勉強していました。
我認為顏色是各國通用的語言,無論去哪個國家都是一眼就能理解的,但是在美國留學的3年間,關於外國人對顏色的感受方式和習慣,我遇到了不同的情況,茫然失措過,誤會過。在去美國的期間,我上了英語學校。班裡有來自匈牙利,波蘭,西班牙,猶太等世界各國的人,還有明明是美國人卻會說西班牙語的波多黎各島人。
ある日,生徒の1人1人が順番に,與えられた単語を,他の単語を使って説明させられたことがありました。例えば,「誕生日」といわれたら「生れた日」と答え,「遠い」といわれたら「近くないこと」と簡単に答えればよいのです。私には「ペール PALE」(英和辭典をひくと先ず,青くなる―顔色が―の意と出ています)という単語があたりました。私はその単語の意味を辭書をひいてよく覚えていましたので「顔の色が青くなること」と自信たっぷりに答えました。
有一天,同學們輪番的讓我用其他單詞來說明給出的單詞。比如說,如果說「生日」的話,回答「出生的日子」,如果說「很遠」的話,簡單回答「不近」就可以了。他們給了我「ペールPALE」(首先查英日辭典,是臉色發青的意思)這個單詞。我查過了字典牢牢地記住了那個單詞的意思,所以很有自信地回答「臉的顏色變青了」。
すると,どうしたことか,クラスの中が何となく,ざわめいて,かすかな笑いの波がひろがって行くではありませんか。おだやかな先生はニコニコ微笑されながら「顔の色がホワイトになること」と訂正して下さいました。とっさに私は何のことか理解できなくてキョトンとしていましたが,やっとどうやら「ペール」という言葉の持っている「悪いしらせを受けてショックで青ざめる」という狀態を「青」という色に感ずるのは日本人だけの獨特の感覚で,外國人は「白くなる」と感ずるのだということが分りました。
於是,不知怎麼回事,班裡不知怎麼的,一陣喧嚷中,竊竊私笑聲傳開了。溫和的老師笑吟吟地說,請訂正為「臉色蒼白」。我一時無法理解,愣了半天,才總算明白「ペール」這個詞所具有的「收到不好的消息感到震驚而臉色蒼白」的狀態,而「青」是日本人獨有的獨特感覺,我明白了外國人所說的「變得蒼白」這一點。
でも日本では「顔色が白くなる」といえば,女性が一生懸命クリームや化粧水でマッサージをして色白に美しくなるという意味になってしまいます。またアメリカ人は「青くなる」といった私の答えに,頬にベッタリとコバルトブルーやウルトラマリンの絵具をなすりつけたとんでもない顔を連想したのかも知れません。またこれもアメリカに著いて間もなく,アートセンタースクールに通って,グラフィックの勉強をしていた時のことです。
但是在日本,要說「臉色變蒼白」的話,就意味著女性拼命用面霜和化妝水進行按摩,使皮膚變白。另外,美國人對於我的回答是「變青」,可能會聯想到臉上塗上了粘糊糊的、瓷藍和青色顏料的一張很荒唐的臉。這也是我剛到美國不久,就去藝術中心學校學習繪畫那時的事。
クリスマスカードをデザインする課題が出されました。私は張切って枝のニョキニョキ出た奇妙なクリスマスツリーを描き,それを美しいオレンジ色と黃色にしました。今まで一度も見たこともない斬新なカードが出來たと,我ながら得意になっていましたところが先生はいきなり「クリスマスの色は赤と緑です。オレンジはハロインの色ですし,この黃色はイースターの色ですから使ってはいけません」とあっさりやり直しを命じました。ハロインとは10月末のお祭りで人々はオレンジ色にうれた。西洋カボチャをくりぬいて,ちょうど日本の西瓜のチョーチンのように,目や口を刻んで,中にローソクをつけて飾ります。
設計聖誕卡的課題提出了。我畫了一個枝條上長滿枝葉的奇妙聖誕樹,把它變成了美麗的橙色和黃色。這是至今為止從未見過的嶄新卡片,我自己也得意。但是老師冷不防地說:「聖誕的顏色是紅和綠。橙色是萬聖節的顏色,這個黃色是復活節的顏色,所以不能用」,二話沒說命令我重新做。萬聖節是10月末的節日,人民喜歡橙色。把西方的南瓜挖開,就像日本的西瓜燈一樣,刻上眼睛和嘴巴,把蠟燭放在裡面裝飾。
また,イースター(復活祭)は卵からかえるひよこのやわらかい黃色がこの日の色なのだそうです。でも私にはオレンジ色をみてハロインを連想する習慣など持ち合わせていませんでしたので,先生の批評が納得できず。「何て概念的な教育なのだろう」と大いに不満に思いました。ところがアメリカ生活を1年,2年と過すうちに,私にもだんだんアメリカ人の風習というものが分ってきました。
據說復活節那天的顏色,是從雞蛋裡孵化出來的小雞那樣柔軟的黃色。但是我沒有看到橙色就聯想到萬聖節的習慣,所以不能接受老師的批評。我非常不滿「為什麼是概念性的教育呢」。然而,在美國生活了一、兩年之後,我也漸漸明白了美國人的風俗習慣。
各季節のお祭は,それぞれ個有の色がきまっていて,その日が近づくと,街の商店やショーウインドウは,その色一色に飾られます。何時の間にか街中やわらかい黃色で一杯に飾られると「ああイースターが近づいたのだ。もう春だナ」と思いますし,街中にオレンジ色があふれ始めると「もうハロインだ。秋も深まって來たナ」としみじみ思うようになりました。ですからクリスマスカードにハロインやイースターの色を使うのは,お祝いのカードを黒ワクにデザインするように間違いだったようです。
每個季節的節日都有各自不同的顏色,臨近那一天,街上的商店和櫥窗就會裝飾成統一的那種代表色。不知什麼時候,街上裝飾著柔和的黃色,「啊,復活節臨近了。我想已經是春天了吧「,街上開始充滿橙色的話「已經是萬聖節了。秋天也越來越深了」。因此,在聖誕賀卡上使用萬聖節和復活節的顏色,就好像把祝福的卡片設計成黑色鱷魚那樣的錯誤了。