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今日の音楽 「きみにとどけ」タニザワトモフミ
★★ 今天的重要語句★★
ポスト 郵筒
黒くろ 黑色
赤あか 紅色
メールやチャット、SNSの普及ふきゅうで、手紙てがみを書かく機會きかいがめっきり減へった昨今さっこんです。それでも、正式せいしきなお禮狀れいじょうや年賀狀ねんがじょう、旅先たびさきからの絵えはがきなどは、直筆じきひつのものを送るという人ひとも多おおいでしょう。手紙てがみを送おくるときにお世話せわになる「郵便ゆうびんポスト」。「郵便ゆうびんポスト」といえば「赤あか」が常識じょうしきです。ところが、日本にほんで郵便ゆうびん制度せいどが始はじまった明治めいじ初期しょき、「ポスト」の色いろは「赤あか」ではなかったのです。
當今,隨著郵件、聊天工具、SNS的普及,手寫書信的機會急劇減少。即便如此,正式的問候卡、新年卡、旅行明信片等,還是有很多人願意親自手寫寄出的。寄信時需要使用的「郵筒」,一般常識中都認為它是紅色的。但其實日本的郵政制度始於明治初期,當時的郵筒並不是紅色的。
郵便ゆうびん制度せいどが始はじまった1871年ねんに、日本にほんで最初さいしょの「ポスト」も誕生たんじょうしました。腳付あしつきの臺だいに四角しかくい箱はこを乗のせた「木製もくせいポスト」で、配達先別はいたつさきべつの郵便ゆうびん料金りょうきんと屆とどくまでの時間じかんを知しらせる「各地かくち時間じかん賃銭表ちんせんひょう」が貼はり付つけられていたといいます。
郵政制度開始於1871年,那時也誕生了日本第一個郵筒。帶腳的四方形箱子就是「木質郵筒」,上面貼著不同配送地點的配送金額和送達時間的《各地時間運費表》。
翌よく年ねんの1872年ねんには、郵便ゆうびん局きょくの數かずも増ふえ、それにあわせてたくさんの「ポスト」が必要ひつようとなりました。そこで、杉板すぎいたを四角しかくい柱はしらのように組くみ合あわせ、角かどに鉄板てっぱんを貼はって黒くろいペンキを塗ぬった「黒塗柱箱くろぬりはしらばこ」(黒くろポスト)が作つくられたのです。つまり、當初とうしょ、「ポスト」は「黒くろ」だったのです。しかも、「黒くろポスト」は、その後ご、約やく30年ねん間かんも使つかわれ続つづけました。
第二年也就是1872年,郵局數量增加,也就需要增設更多的郵筒。因此就做成了以杉木板做四角形支柱組合,角上包有鐵皮並塗成黑色的「黑塗柱箱」郵筒。所以,當時的郵筒是黑色的。而且,這種黑色郵筒使用持續了30年之久。
それがなぜ、現在げんざいの「赤あか」に変かわったのでしょうか?その理由りゆうは単純たんじゅんで、黒くろいと夜よるに見みえにくいからです。當時とうじ、夜よるは今いまよりずっと暗くらかったのです。1901年ねんに火事かじに強つよい鉄製てつせいの丸型まるがたポストに切きり替かえられたのと同時どうじに、イギリスにならって暗くらがりでも目立めだつ「赤あか色いろポスト」を試験的しけんてきに設置せっちしました。その評判ひょうばんがよかったことから、1908年ねんに正式せいしきに「ポスト」の色いろが「赤あか」になりました。
那為什麼變成了現在的紅色呢?理由很簡單,黑色在晚上很難被看到。當時的夜晚比現在黑多了。1901年被替換成了防火性更強的鐵質圓形郵筒,同時也學習英國,試著將暗色換成了醒目的「紅色郵筒」,受到了廣泛好評,於是在1908年正式將郵筒改成了紅色。
また、ポストの色いろは、各國共通かっこくきょうつうではありません。アメリカとロシアは青あお、中國ちゅうごくは緑みどり、フランスやドイツなどヨーロッパは黃き色いろが主流しゅりゅうです。
不過,郵筒的顏色在各國都不同。美國和俄羅斯是藍色的,中國是綠色的,法國、德國等歐洲國家以黃色為主。